天候不安の青森旅3

青森旅2日目となった5月8日の朝

あれ・・・ここは?と・・・


昨年も利用して ホテル特有の匂いを除けば

自宅の寝室で起きたような感覚になる部屋だった


そうだった ホテルだった・・・と納得する


カーテンを少し開けて 八甲田山の方向を見るが・・・雨・雨・雨

それにしても 窓ガラスが酷く汚れていて クリアではない状態


花粉・黄砂・PM2.5と 何処も同じ悩み

とはいえ クリアにならないものか・・・と


ネットで天気予報を見たら 雨雲が県庁上空に停滞しており

30分ほど経過しても その雨雲は動かない


運が悪いとしか言いようがないほど

雨雲レーダーでは丸い形で 雨雲が上空に居座っていた


まあ その真下にいる訳だから 

移動すれば雨も上がるだろう・・・


気を取り直して

テレビ画面のホテルインフォメーションで 

レストランの混雑状況を知り 

7時ちょっと前に レストランに行った


さて 提供される食材が

昨年と違うことを少し期待したが 残念ながら ほぼ同じ

とはいえ

高レベルなリンゴジュースのお味が 嬉しかった


部屋に戻るエレベーターの中で 

窓ガラス清掃についてのお知らせが 書いてあったのを見つけた


なんと 本日から明日にかけて行われるという・・・びっくり!!

雨雲 朝食メニューと小さな残念が連続したが

すくわれた気分だった・・・


窓ガラスが綺麗ならば 

ホテルの部屋から 雪を纏う八甲田山がよく見えるかも・・・


帰ってきたら 窓ガラスが綺麗になっていることを期待して 

愛車で ホテルを出発


満開の花が咲くリンゴ畑を 両側に見ながら つがる市に入ると

期待通り 雨は止んでくれた・・・うれしかった


この日の予定地は 雨が降っているとどうにもならない場所ばかり


まずは 岩木山の裾にある 

大森勝山遺跡に到着

この遺跡は 思いのほか標高が低い場所で145mほどの

縄文晩期の遺跡


遺跡の駐車場までは 狭い道路が多いことを経験しているが

車1台分の幅しかない舗装路を 対向車が来ないことを祈りながら

駐車場に辿り着いた

   

車を降りて 徒歩で遺跡に向かう訳だが 

最高気温が11度ということで 持参してきた衣服を追加し

この季節外れの寒さの中で歩きだした


挙句に 

雨上がりで 道の状態も悪く

両側には たくさんの笹が生い茂っていて 

クマ除けの鈴を 車に積んでこなかったことを悔やんだ


仕方なく スマホから音楽を流しながら歩いた


こわごわと 遺跡のある場所まで5分ほど歩き やっと着いた

このような小さな組石が77基あるらしいが  

そのすべてが コンクリートで固定されていた

冬の凍結での移動を防ぐためである


この組石が 環状に配列されていて 

このような形は これまでに見たことのないものだった


車までの帰り道も 笹の中に目を馳せながら

音楽を鳴らして こわごわ歩いた


そこから つがる市役所の脇にある 資料館カルコへに移動した

ここには あの遮光器土偶のレプリカがある


とはいえ 本物の遮光器土偶は 例の如く 国立博物館にあり 

そもそも所有者が 左足と一緒に欠け落ちた衣服の一部を

可哀そうだからと 安易に修復してしまったことも一因で  

本来なら国宝なのに 重要文化財になってしまったという 痛い話


素人には 本物もレプリカも その差は分からないが

やはり この存在感は大きい


衣服の修復だけが問題なのではなく

発掘状況等の記録が 一切なかったということから

国宝にならなかったという・・・


そして滅多に見ない 背中側を・・・


随分と前に 妻と亀ヶ岡まで来てはいたが 

その時は 正面しか見えなかった・・・


後頭部が赤ちゃんの髪の毛のように 文様が薄くなっていて

可愛いなと思えた・・・


そもそも亀ヶ岡遺跡は 江戸時代に菅江真澄が来て以来

多くの人が 興味本位に発掘して 持ち帰ったという・・・


貴重な埋蔵品が 貴重ではなくなってしまったという悲しさ・・・


資料も大したことないだろうなと思いながら

2階に上がると 

建物の外観からは判断できなかったほどの 驚きの資料数・・・


とはいえ これらのほとんどが田小屋野遺跡からのものだった・・・

 

特に 紀元前5000年ほどの田小屋野貝塚から出土された

成人女性の人骨には驚いた


通常なら 骨は土に帰っていて

このように出産痕まで判別できるほどの状態というのはあり得ないこと


貝塚特有のアルカリ性が功を奏したようで

貝殻の下に 濡れた状態で埋もれ続けていたという


水が 空気を遮断し 

アルカリ性分が 骨の分解を遅くしたらしい


その年代の人骨というのは極めて稀であり 驚いた・・・

ある意味 遮光器土偶よりも貴重だなと感じた


ガラス越しではあるが これを直に見ることができたのは

想定外の幸運だった 

事前学習が不十分な私たちは まったく知らなかったのだ


昼食時間直前だったが 何よりも雨が心配だったので

そのまま亀ヶ岡遺跡に向かうことにした


案内所の前の駐車場に入ると 

建物内に人影が見えた 

挨拶をしながら入ると ボランティアガイドではなく 

学芸員の方がいらした・・・運が良かった・・・


ここからは さすがに学芸員で・・・

話す内容の熱量が高く 内容が濃い・・・


その女性の学芸員の方は これまで 私たちが遺跡を巡ってきたかどうかを聞き

更に探りを入れて あれこれと質問してきた 

何度か返答していたら 一気に内容が濃くなった


歩きながら さらに多くの謎かけをされたが 

私たち夫婦が 次々と解答したことで

学芸員さんの 熱量がますます上がった・・・


途中 小雨が降り出した 


傘も持たずに来たことを悔やんだが

直ぐに止んでくれたので安堵した

 

ガイド内容が濃密だったもので 夢中で聞いていたら

亀ヶ岡遺跡の碑を撮らないでしまった・・・


隣接する田小屋野貝塚に移動 

江戸晩期から 興味本位で発掘がなされた亀ヶ岡遺跡は

今となれば どうしようもない荒らされ方だったという・・・


カルコで学んでから来た事が良かった


未発掘の場所が多い田小屋野貝塚の方が 面白かった


とはいえ 埋め戻しが遺跡保護の基本なため

草地だけと言える状態・・・


調査の前は人が住んでいた場所で 

家があった場所には 土留めのコンクリートブロックなどがあり

多くの土地は田畑になっていたという


未だに住んでいらっしゃる方の家が 奥にあった

立ち退きを促しているというが 

今後の発掘調査を期待して良いものかどうか 悩ましくなった


とはいえ 

かなり詳しくガイドしていただいて 本当に良かった

とても面白かった


発掘調査が 始まったばかりということも理解できた 

立ち退き問題もあるが 今後の期待は大きく

また来たい場所のひとつになった 


そこから 食事ができる場所を探し

やっと中泊町の物産館に食堂があることを知り 移動したが

定休日だった・・・がっかり・・・


気を取り直して検索すると

津軽鉄道の中泊駅に 小さな食堂があるらしいので 移動する


中泊町というと 幕内力士の宝富士関の出身地で

通過してきた五所川原は 

先場所に幕内優勝した尊富士関の出身地


小さな駅の小さな食堂で 暖かいネギ味噌ラーメンを食べ終え 

車に戻ったら・・・


次回に続く


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