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4月, 2024の投稿を表示しています

會津藩史を支え続けた御薬園(おやくえん)

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猛烈な桜吹雪だったお城を出た後 私たちが向かったのは 御薬園 その名の通り 薬草を育てるのがメインだったが  その歴史たるや600年を超えているという・・・ 詳しくは ネットで調べていただくとして 長い會津藩史を 陰となって支え続けていた場所・・・ 何度も この地を訪れていたが  メインの観光ルートとは異なる場所で 私たち夫婦としても 初の見学場所だった お城の東側にある博物館では 大粒の雨 そして お城では雨上がりの曇り空だったが  御薬園では  見事なまでに 晴れ晴れとした空になってくれた 受付を済ませ 庭園に入ると 思わず 声をあげてしまった 素晴らしい 私たち夫婦にすれば 伊達藩の有備館という名所があるが  その有備館を越える美しさだった スモモの花ごしに 庭園を見る 流れ込む水の音もあり 極めて落ち着いた雰囲気 ゆったりした時間が流れる 600年以上も愛されてきた理由が分かった そして 何故かカルガモもいた・・・ 薬草を育てる畑は さすがに結構な広さだったが 生憎 季節が悪く 土しか見えなかった・・・ これほどまでの敷地面積なら 時代にかかわらず 管理がどれだけ大変なのかを 十分過ぎるほど理解できた  この日も 徹底した管理の手が入っていて スタッフ数名が 雪吊りの道具を仕舞うため 働いていた・・・ これまで来なかったことを悔やんだ 緑豊かな季節に 是非 また来ようと思った 時刻も午後4時となり  会津旅行2日目はこれで終了 連泊予約していた温泉宿に戻ることにした 続く

桜吹雪舞う鶴ヶ城

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雨上がりの曇った空と 桜吹雪が舞う道を 片手松葉杖をつきながら  妻は この季節を味わうように  あちこちを眺めながら ゆっくりと歩いた  すると桜吹雪舞うお城が見え 妻は声をあげた   キャノンM3(ND4フィルター)撮影 天気予報から青空を期待していたが 仕方ない・・・  かつて訪れた時は ふたりとも若かった・・・ 城の内部の 狭くて急な階段(梯子に近い)も ほとんど苦にせず上ったものだった・・・ お城の内部改修後に 来てはいなかったので  妻の脚のこともあり  城が近づくにつれ 私の心配は大きくなっていた  なにせ 妻の両足には 人口骨が入っているため 特に階段は  足首の可動域からも 不安要素は消えない・・・ そして内部の展示物については かつて 私がもった違和感が払拭されているのかどうか・・・ そもそも 戊辰戦争が 會(会)津藩の立場で表現されているのか・・・ さらには  戊辰戦争後の會津藩(斗南藩)の歴史的悲劇が どのように表現されているのか   そんなことを事前に話題にしていたこともあり 妻は 見学したくて見学したくて・・・ よくもまあ 天守まで登り  さらには降りてきたものだと思った 妻は 本当に頑張った・・・・ 階段の改修はなされてはいたが   移動に困難さがある身体障がい者だけでなく 視覚や聴覚などの感覚障がい者のための配慮も難があった 外国人観光者も多く  階段になると 極端に移動速度が遅くなる妻と すぐ後ろから いざという時のためにサポートする私がいた そんな夫婦を  多くの観光客は 気にせずに 脇をすり抜けて進んでくれた それにしても多くの外国語圏の方がいらしていたが 外国人旅行者のためのホスピタリティに 不足を感じた 英語のみの表示が多く その文章をみると   内容そのものが不十分だとしか言えないものだった 確かに 深く学ぼうとする外国人旅行者は少ないのだろう しかも 学ぶ方法は 今や手元のスマホにある訳だから・・・ 会津藩の立場を軸とした視点で統一された展示内容は 直前までいた福島県立博物館と同一目線で表現されており 妻も私も納得できただけでなく  新たな学びもできた・・・ 私たち夫婦は  會津藩の方々の歴史的苦悩を共有しているつもりであり 奥羽越列藩同盟の立場を支持する夫婦  會津藩視点での歴史表現は この地にすれば当然のこと 東北地...

桜散る季節の会津若松市

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先週のことである かねてから 桜の季節に行ってみたかった会津若松城 過去に4度も行っているにも関わらず 桜の季節に訪れたことはなかった という訳で 夫婦で5度目の会津若松に行ってきた報告をする 初日は午後2時頃に 会津武家屋敷を訪れた 筆頭家老だった西郷頼母(たのも)の屋敷を 現在の場所に移築した  訪問者は少なく 一部工事中だったこともあり 可能な範囲は じっくりと見てまわったが ここも 既に3度訪れた場所とはいえ  桜の季節はまた格別だった この日は 少し早めに温泉宿に着き  食事と温泉を楽しみ 翌朝 福島県立博物館へと向かった   車から降りると雨が降り始め  次第に大粒になっていった 雨なら博物館を先行させ  午後になったら雨があがるという予報もあり のんびりと博物館を見学  博物館は4度目だったが 内容がとても良くなり これまで知り得なかった多くの学びを得ることができた ゆっくりと見学していたら2時間が経過していたので そろそろ昼食だと思い 館内の軽食喫茶に入る 妻は 昼食はこれだと 事前に決めていた・・・ 毎度のことだが 妻の食事内容の選択は 理解できない私・・・ かくいう私は ハヤシライスにした そのお味は どこにでもある普通のものだった・・・ 妻は かなり美味しかったようで 満足だと・・・ それから 水だしアイスコーヒーをふたつ・・・ まいりました・・・ 久々の味わい深いアイスコーヒーでした 雨も上がったこともあり 午後は会津若松城散策とした 屋外に出て お城に向かう道の左側に 新島(山本)八重さんの像があった  ご存じ 同志社大学創始者である新島襄の奥様になられた方で 会津藩出身で 歴史に名を残す女性のおひとり  外堀を渡り 東側の城門があった場所を通り  内堀まで来ると 軽く風が吹くだけで ものすごい 桜吹雪となっていた うまくいけば 満開のタイミングだと思って宿を予約したのだが やはり 自然相手だと 都合良くはいかないものである・・・ また少し歩くと  会津若松城が見えてきた 次回へ

春爛漫

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市内の桜も満開になり 春爛漫の我が家となった 南庭の列植した31株のレンギョウが 例年にないほど見事に満開になり ご近所の皆様から 見事だとお褒めいただき 東庭の数多(あまた)のムスカリも そして フロックスも咲き始めた ここまではキャノン6D撮影で 次の1枚は 気楽にスマホ撮影したが チューリップは 保存していた球根のうち 程度の良いものだけを選び 昨年の10月末に植えた81球が すべて開花した これだけの花が並ぶと圧巻なようで この時季だけは  デイサービスで外出する際 両側から支えられて立つ 義母の目にも留まり 指さして 喜んでくれている 些細な事だが  庭の花が 義母への親孝行になっているのだろうかと ふと思う・・・  

やっと墓参りに行けた

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私の実母が旅立って8年となる命日から 急な用事が立て続けに入り さらには天候の問題もあり  墓参りに行けないままでいたのだが 15日に やっと一関に向かうことができた 命日から少しずれてしまったが  母が旅立ったあの日も  桜が咲いていた・・・ そして 墓参りを終え あの日の記憶に残っていた  もうひとつの風景を見たくなった   そんな ふるさとの山を眺めに向かったのは かつて妹が通学の際 いつも見ていた筈の場所 私が高校時代に乗っていた原付バイクに乗り 妹は 学校まで通っていたのだ・・・ ここに立ち  たくさんの記憶が 蘇ってきた 雪が残る山は やはり ふるさとの山だった

2泊3日の荘内藩への旅 その4

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2泊3日夫婦旅の最終日  2連泊でお世話になったホテルを 朝9時に出て 再び 鶴岡市へと向かうことにした 宮城県最北の気仙沼市から訪れた  山形県最北の酒田市ともお別れし 酒田ICから日本海東北自動車道に入り南に向かう いやはや これが驚くことに 酒田ICから鶴岡ICまでの区間は 前後にまったく車が見えないという  ここを走っていて大丈夫かと不安になる  完璧なまでの ひとり旅状態・・・ 自動車道を走っていて 対向車は来るのだが こちらの流れには まったく車がないのだった こんな経験は初めてのことだった 鶴岡ICを降りると 前後に車がいるのが とても心地よかった さて 真っ先に向かたのは鶴岡公園駐車場 ここに車を駐めて  すぐ目前にある致道博物館へ 鶴岡城址公園では しきりに桜祭りの準備がなされていた 致道博物館でも やはりお雛様展示がメインとなっていた・・・ ううむ ここでもか・・・ 歴史に触れたかったのだが 我慢するしかない・・・ そしてここでも 補修工事がなされていて 入場する場所も変更され 見学も制限されていた・・・ 仕方なく旧鶴岡警察署庁舎の写真だけを撮ってきた お天気も 地元の方が 今年になってから最高と評価する 晴れ!!! 月山は 山頂部に雲がかかっていたので  写真を撮らないでしまったが 月山以外は 雲ひとつないという恵まれた天候だった 直ぐ隣の城址外堀を眺めながら 庄内神社へとゆっくりと歩く 妻も歩く気持ちが満々で 私より足早に・・・ 「もうちょっとゆっくり歩いてくれないかな」と私 腰にトラブルのある私の方が  クラッチ(片手松葉杖)歩行の妻よりも遅い・・・ 早く歩くと腰に痛みが出てくるのだから 仕方ない 神社を参拝したら やはりここも桜祭りの準備 作業音で少し賑やかな中 参拝し 資料館へと向かう 入口を入ると  どういう訳か あの有名な金蛇美具足(きんだみぐそく)があったので 当然だが 妻もびっくりした様子・・・ しかも 触れられる状態・・・ そうか お祭りの行列で使用する具足なのだろうと  すぐに私も気が付いた まあ 確かに荘内藩主は  かの有名な徳川四天王の家系だからなのだろう 資料館見学を終え 念願だった 藤沢周平記念館へ・・・ 鶴岡出身であること  そして 小説内では海坂藩(うなさかはん)と呼ばれたこの地 ひとりの作家の記念館だと 適正サ...

ペレットストーブもシーズンオフ

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我が家のペレットストーブを  シーズンオフにすることにした 昨日 今シーズン最後の炎を楽しんだあと 念入りにメンテナンスし 煙突掃除も終えた 冬の間 妻は ストーブの前に立ち  背中とお尻を暖めるのが好きで 少し寒く感じると すぐにペレットストーブの前に立っていた 妻のそんなお楽しみも 来シーズンまでおあずけ・・・ 東庭では スイセンが開いた その奥には これでもかというほど大量のムスカリが・・・ 森で ウグイスも鳴きだした さて次回は 庄内藩旅の続き

2泊3日の荘内藩への旅 その3

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ヒヨリベーカリーでの昼食後 向かい側にある 即身仏で有名な海向寺には向かわずに 隣の日枝神社の とても大きな山門を見学し そこから 日和山公園へ 公園北側にある千石船を見に行くと  冬季管理のため 池には水がなく  ポツンと 捨て置かれたような状態で 水が抜かれたコンクリートの上に鎮座していた そこから南方向に歩き 少し小高くなっている場所にあったのが 旧酒田灯台として使用されていた木造六角灯台 もちろん 再現(再建)されたものだろうが  この秀逸なデザインが 私の心に刺さったが ここで あれれれ・・・となった 太平洋に慣れた自分には  昼間で海が右側にあると 向いている方向が北だと感じてしまうのだが 光と影が逆・・・   晴れていたから まだ良かったのだが 曇っていたら 明らかに南北が逆転しかねない私だった 六角灯台を眺めながら  そんなことを考えていたら 妻は私を置いて  クラッチ(片手杖)を突きながらどんどん先に歩いていく・・・ 歴史的な地における 妻の興味関心レベルは高く こんな時は いつも私は「置いてけ堀」・・・ 脚が悪いというのに・・・ 日和山公園を後にし  愛車で 南洲神社へと向かう 荘内藩は戊辰戦争での薩摩藩との戦があったにも関わらず 西郷隆盛(南洲)の指示もあって  終戦時に特段の配慮を為された 会津藩が 青森の下北半島で斗南藩(となみはん)となり  言葉にできないほどの辛酸を舐めたことに比べれば 同じ奥羽越列藩同盟としては 完全な特別扱いだった もしも 薩摩郡が太平洋側を北上していれば  会津藩のように 悲劇の歴史を歩むことなどなかったのでは・・・と 西郷の その特段の配慮に感謝し 建てられた南洲神社 礎には こんな碑文があった 明治政府に反旗を翻し 西南の役で没した西郷が  明治政府主導で 何故に上野公園にその銅像が建てられたか・・・ 今でも腑に落ちない自分ではあるが こと荘内藩にすれば その行為を「大徳」とまで評して 西郷を神格化したことには ある程度は納得がいく・・・ 加えて 「遺訓」の碑までもあった 庄内藩の人々からすれば  「教え」となるのも然り・・・・ この碑を眺めて そんなことを考えていたら 妻は 小さな建物の中で  チャリンと音を立てて 賽銭箱の前で 手を合わせていた・・・ テロ紛いで 京都の治安を掻き乱し  江戸幕府を強引な手法...

2泊3日荘内藩への旅 その2

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1日目の午後6時ごろ  たいへんな量の霙(みぞれ)の中を ホテルに到着し  部屋の大きさに安堵し 大き目のバスタブに浸かって 温まることができ 気仙沼から鶴岡市の加茂水族館を経て 酒田市まで ほぼ8時間ほどを運転したせいもあり 珍しくも 妻より先に夢の中に・・・ カーテン越しに光が感じられたので  午前4時半ごろに ベッドから起きて カーテンを少し開けてみた  すると  昨日はまったく見えなかった鳥海山が ほぼほぼ全体像が見えた・・・ 雪を抱いた その美しさに見入ってしまった そして カメラを持たずに来てしまったことを後悔した 朝食を済ませ 山居倉庫に9時前に到着 旅の中日であるこの日は 酒田市内を巡る予定であり 前日とはまるで異なり  見事なまでに晴れてくれたことは何よりだった 酒田といえば 藩を支え続けた豪商本間家 その本間家といえば 何よりも山居倉庫 豪雪地なだけに  作業車が入り 屋根の修理がなされていた お天気に左右されずに 屋根のかかった長い通路で 蔵から米などを出し入れ作業ができるという これまた とんでもない建物が 驚くほどの長さで・・・ それにしても見事なまでの大欅(ケヤキ)が多いのに驚いた スマホ撮影なので 味気ない画像になるがお許しいただきたい この欅は 夏場の日除けになるらしく  蔵の温度を上げ過ぎないようにという配慮からだという スケールが大きすぎる・・・・ いつもそうなのだが 旅となると 脚の悪い妻の歩調が いつもより活発になる・・・ 建物に興味の強い 私を捨て置いて どんどん先に咲きに進む妻・・・ 山居橋を渡ると  石垣に蔓延った植物を  除去する作業がなされていたのに気が付いた 本格的な観光シーズンを前にしての 手入れがあちこちでなされていた 荷揚げの船のエントリーが楽なように スロープまでも用意されており どれだけ盛んに商売されていたかが分かる 残念ながら 資料館は閉じていて 4月半ば頃からの開館となるらしい・・・ 車に乗り 本間美術館への道を走り出すと  フロントガラス越しに 鳥海山が見えた 雲に隠れているところもあるが  感動ものだった・・・ 山居倉庫から10分ほどで 本間美術館に着いた 美術館の資料は 3月ということもあり 多くのお雛様が並んでいた 妻は 既に知っていたようだったが どうやら 市内の名所は 揃って雛飾りを展示し...