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3月, 2019の投稿を表示しています

二つの驚き

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静かな我が家の暮らしに ささやかな二つの驚きが起きた 一つ目は   リビングに置いていた シャコバサボテンが 何故か一輪だけ花を咲かせたこと 毎度のことながら そのゴージャスな姿に見惚れてしまった

孫の卒業

福島市に嫁ぎ 最愛の家族を作っている娘の第一子が 健やかに成長し 小学校の卒業式を22日に終えた 娘はふたりの女児に恵まれ 成長とともにアパートが手狭になり 今月初めから 転居しての   借家の一軒家住まいを始めたばかり そんな中での卒業式 間も無く中学生デビューをする孫娘 未だに小柄な孫娘だが 素直な心のまま   しっかりと成長していることに 祖父母である私たちは   うれしさを隠せない

気仙沼市内のインフラ整備が進む

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気仙沼市の震災後のインフラ整備が ここに至って     やっとのことであるが 誰の目にも   見える形になってきた 嵩上げした土の山だけが目についていたので 震災後   8年も経って   やっと実感しているのだった まずは  津波災害時を想定した   避難道路確保のために あの震災以前よりも   川にかかる橋の数が増えた あの時は    橋に集中した車両が渋滞し 車に乗ったまま   津波にのまれ  亡くなった方々が多かった なので   災害避難道路としての機能を持たせるため 高台に避難できる橋の数を確保したのだ 「命を守る橋であること」が求められるだなんて これまでの人生経験では考えが及ばなかったこと そして   気仙沼湾にかかる三陸自動車道の大きな橋も 大規模に進められている 内湾には作業船が係留され 盛んに自動車道の橋脚を作りあげていた 気仙沼大島という離島への橋は   路面舗装も終わり センターラインを入れて   あとは開通を待つだけとなった しかしながら   津波災害を受けた地域の 地盤嵩上げ工事が終わったにしても    その60%の土地の活用が決まり 残りの40%は未定のままで   空き地となりそうだという 道路が整備され    街並みも整然としたものになる反面 賑わいの創出は   困難な道のりとなるのだろうか それにしても 海沿いの   無機質で異様なほどの高さの壁が 海との暮らしを分断している気がしてならない

あまりに多い

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スギ花粉 今年は大変です 家の周りは杉の木が多いので 毎日のように 愛車のボンネットは この状態で    もう大変です 私も当然    酷い鼻づまり 病院で   抗アレルギー剤を処方してもらいました 服用したことで   鼻はだいぶ楽にはなったものの 目も痒い・・・・ 嗚呼・・・

野菜栽培の第一弾は

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今年の野菜栽培のトップを切ったのは ラディッシュ ラディッシュ栽培は   自宅では初の試み 外気温が発芽温度に達していないので 室内でプランター栽培で遊ぼうかと考えた 買ってきた「さくらんぼ」という名の種を蒔いたら 二日で芽が出て    可愛い双葉になった 毎日の水やりが楽しい 二十日大根とも呼ばれるもので 僅かこれだけの量なので サラダの盛り付けに   使ってみようと思う

3月14日はホワイトデー

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3月14日は  ホワイトデーだが 今回の記事は   クッキーをお返しするという どうにもこうにも   私には馴染めないイベント・・ そんな3月14日の朝は まさにホワイトデーに・・・ 朝   カーテンを開けて   我が目を疑った

違和感のある・・・

3.11を明日に迎え 落ち着かなくなっている自分がいる テレビ番組も   延々と震災関連のプログラムが続く 「被災地」呼ばれ続けることに 違和感を感じているのは自分だけなのだろうか あと数年で   これまでにない新しい街が出来上がる 今は   その過程にあると理解したい

ベランダ避難

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昨夜からの積雪も お昼前には消えた 今日の最高気温は5度ほどで 少し寒いが   陽射しは暖かい さて・・・タイトルに避難と書いたが 災害があった訳でもなく 夫婦喧嘩で妻に寝室から追い出され ベランダで一夜を過ごした訳でもない 我が家のビワの話 一昨年の春先に 新しい葉を   ニホンカモシカに食べられてしまい ものの見事に  葉が無くなったビワだったが 2階ベランダで   冬越しをさせることで ニホンカモシカの食害から回避しようと 重い植木鉢を   抱きかかえながら 庭先から2階まで移動して    2度目の冬が過ぎた

自分と向き合う月

月といっても お空に浮かぶ  お月様のことではない 3月になると 各局のTVが   あの震災の映像を流し始めるのだ 今も   テレビから   あの津波の映像が流れてきた 目を逸らした自分がいた 涙が出そうになった 弱い自分と向き合う3月 亡くなった多くの友人や知人 そして幼い子供たちの顔が あの頃のままの表情で想起される いつ葬儀を行ったかも分からないまま 多くの葬儀が営まれた   あの2011年 自分自身も   揺れる心を押し殺しながら 目の前の仕事と戦っていた テレビの映像は   まさに押し寄せる津波のように 一気にあの時の記憶が思い起こされる