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3月, 2020の投稿を表示しています

コメント欄を復活

このブログ管理者のグーグルが プログラムを更新し  多くの点で 問題が解決されたことを理解した 捨ておかれたブログサイトかと思っていたが もちろんMacのOSでの 操作性も確認し 「これはいけそうだ」と思い コメント欄を 本日分から復活した 皆様から寄せられた 過去のコメントも 再掲載させていただいた お気軽にコメントいただけたなら 幸いである

印刷文字を読むのに苦労する

左目のトラブルが一過性であるのなら良いが 新聞や本を読むのがつらいことに気が付いた・・・ これまで  主に 利き目である左目で文字を読んでいた私 左目に負担をかけないようにするため ここ二日間は 静かにしていたが 日差しの入るリビングで 本を読み始めたら 肝心の 真正面の視界が まだらに霞んでいることに気が付いたのだ・・・

発症後の状況

軽い眼底出血が左目に起きた訳だが 今朝 起きて感じたことは 昨日の朝よりも  目の奥のほうに感じていた痛みもほぼなくなったということ さらには出血の影響なのか  右目よりも左目が わずかに白っぽい視界だと感じられる程度だが 場所によっては その曇りの度合いが少しだけ強いところもある 当然だが ゴミのような浮遊物はあり  それが飛蚊症と言われる理由 今はまだ 危険な疾病が背後に隠れてはいないので 焦らずに 静かに暮らそうと思っている そういえば このブログサイトについて かねてから その動作の不具合を挙げていたが やっとこさ 管理者がプログラムの更新をしたようで  MacのOSでも 動きが良くなった これまでWindows中心のサイトだったが これでまた ひと安心 実に良いサイトになった 将来的に閉鎖になるかどうかだが 世界中に多くの利用者がいるので  閉鎖は簡単ではないであろう まだまだ長く使えそうなサイトになった よし よし・・・

突然のアクシデント

それは静かに  しかも突然 襲ってきた なんて 書き始めると 俄かに 推理小説っぽいが 現実がそうであった・・・ 一昨日 親類にご不幸があり しかも火葬場で 待機しているときに起こったのだった 俄かに 左目に違和感を感じながらも 席を立ち トイレに行こうと歩き始めると 思うように歩けず ふらついたのだった あれ 三半規管のトラブルか? と 立ち止まった だが 立っていられないほどの眩暈でもない 吐き気もないから メニエルでもないだろうと思いながら 再びトイレに向かった

齢63にして やっとできたよ茹で卵

なんと 100円ショップが肝だった 我が家は IHヒーターでの調理になって 既に23年 これまで 私の茹で卵は 綺麗に殻が剝けず 毎度のことながら お肌がボロボロ状態の ハードボイルドになっていた あれこれと ネット検索し  その通りに調理しても うまくできなかった茹で卵 それが 100円ショップで売っている 卵のお尻にポツンと穴をあける道具を 半信半疑で 使ってみたら

ひとり家事生活 中間報告

妻が入院したため  朝起きると すぐに洗濯機を回し その後に お湯を沸かしてコーヒーを淹れる コーヒーを楽しんでから 朝食を作る毎日 朝はいつも ごはんと味噌汁 そして ささやかな おかず 妻がいると パン食とかもあるけど 朝は やはり日本人にはお米で パンは ついつい食べ過ぎてしまうハイカロリー食品 知らず知らずに 塩分が多くなるのもいけない ひとりだと どうしても大豆系食品が多くなる 何故に大豆なのか

ブログサイトが減っているということ

やはり このグーグルのブログサイトは 圧倒的にWindowsとの相性が良い Macでの動作は どうも相性が良くないようで 使えない訳ではないが 不便なことこの上ない ところが最近 SNSに押されて ブログサイトの活用が減っているらしい あちこちのサイトが閉鎖していることが 何よりの証明となっている このサイトは 広告が勝手に入らないサイトだけに グーグルとしては 慈善事業的にとらえ ほとんどアップデートがないまま放置されているようだ ブログサイトが減るのは  当然ともいえる時代の流れ

ブログデザインのテーマを変更

昨晩の夕食の話だが 薄味のポトフがうまくできた 素材の味を引き立てることができたのは いつもの保温調理器具と 美味しいヒマラヤ岩塩のおかげ 出来合いのコンソメなどを使うと 味に棘があり 好きではないのだった さて   これまでの 本棚のデザインテーマに飽きたので またもや変更した 自分の暮らしに見合ったテーマを模索していたので うまいこと 見つけた感がある 文字の明朝体も 乱視と遠視と老眼の自分には うまく見えないこともあって・・・ やはり ここはゴシック体でしょ ってことで変更!! 暫くはこれで・・・ 追記 ブログデザインのテーマ変更での 背景の変更については PCでないとわからないようです

自炊生活

前回の妻の入院以来だから 6年ぶりの自炊生活が続いている コンビニやスーパーのお弁当は 揚げ物が多かったり カロリー的にも悩ましい・・・ 何よりも 自分には合わない 濃い目の味付けが多い もともと 精進料理のように あっさりとした味が好みで 特に大豆系の食品を食べがちになることが多い 妻はよく分かっていて 「ちゃんと 動物性タンパクも食べてよ」と言うのだった

残念なオリンピック・・・

今年のオリンピックは  過去のパンデミックの歴史から判断しても  とても残念だけど 開催は無理だと考えることは 正しい判断に思われる やはり オリンピックは平和の祭典だから 世界中の競技者が集まってナンボというもの 世界中から集まることができなければ 開催の意味なし・・・ これまでのパンデミックは 収束するまで 早くても一年以上はかかっている いくら「完全な実施」と安倍首相がおっしゃっても 予選の段階で滞り 既に明らかに不完全な状況 総理の言葉が 虚しく響いて聞こえるのは私だけだろうか?

気がつかなかった

今回の投稿で  このサイトに引っ越しして701回目の投稿となった つまりは 前回の投稿が700回記念 今朝 気がついた これまで 三つのブログサイトを転々としてきたが このサイトは 実に心地良い CMなどが勝手に貼り付けられないので 鬱陶しいことがないのだ 正直 途中で綴ることが嫌になることもしばしばだったが コメントを受け付けなくしてからは 気持ちが楽になった

春彼岸の直前に墓掃除を終える

墓掃除に行ってきた 昨年の9月以来だったので 墓地は とんでもない状況になっていた 松の木と杉の木が 墓地に被っているので 葉が 積もりに積もっている状態だった 大物を片づけるのに 1時間半かかり 墓地の集積所に運び終え きれいになるまで 2時間かかった 厄介なのは杉よりも松の葉 玉砂利を敷いている墓地なので 刺さって刺さって 面倒なこと この上ない いっそのこと 玉砂利ごとセメントで固めてしまおうかと 毎度のことだが ひとり腹を立てた

懐かしい記憶が蘇る

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大学時代の部活の後輩から うれしい便りが届いた 仙台市青葉区にある大学を卒業してから 41年が経過し  学生時代の記憶だなんて  もうすっかりと 記憶から消えそうになっていた 懐かしい学生時代の思い出が 走馬燈のように 頭の中を駆け巡った 私が卒業する時の 部活の追い出しコンパで 会場にいた全員に サプライズの悪戯を仕掛けたことも 懐かしく書かれてあった 「私たち結婚します」と同学年の部活の女子Mさん(仙台在住)と お揃いの上下の服(たまたま似たようなのを持っていた)で しかも ふたりで安物のお揃いの指輪を コンパ会場に行く前に買って行くという Mさんも笑ってしまうほどの 手の込みよう・・・

9年も過ぎたというのに

あれから9年が過ぎたというのに やはり 涙が流れた 泣くまいぞと 心に決めていたのに・・・ 震災特集の番組がいけない・・・ 大切な友人の笑顔と声が 想起された そして  お世話になった知人や  職場の仲間 みんながみんな 満面の笑顔だった どうして笑顔しか浮かばないのだろうか こうやって綴っていて また泣けてきた 私の気持ちが届いて欲しい 合掌

3月11日の次の日

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3月12日の朝 青空と雲のバランスが私好み 今朝未明にWHOのパンデミック宣言を受け TVは大騒ぎ

無事に終わる

妻の手術が 無事に終わった 手術室には 歩いて入って行き 帰りはストレッチャーで 出てきた 脊椎麻酔で 覚醒状態での手術を嫌った妻は 薬で眠っていたらしい 途中まで 手術の進行を聞いていたらしいが いつの間にか 気持ちよく眠ったようだ すっきりとした表情で 手術室から出てきたが 麻酔が切れると 痛みが増すだろうことは必至 痛みに強い妻は 乗り越えるだろう 私なら大騒ぎになること間違いなし! ウィルス騒ぎで病院もたいへんで 術後の病室での面会は15分間のみ 時間を見ながら 話をしていたら 主治医が入ってきて 手術状況の説明をされた おかげで 貴重な15分が ほとんどなくなった 次に会えるのは 面会禁止が解けるか あるいは退院時のみだけという・・・ このウィルス禍が うらめしい・・・ それにしても  なんで この3月11日に手術になったのか あの時間帯は 手術中で 私は控室で待機だった いつものように 外に出て黙祷したかった・・・・

妻がいない日々

最愛の妻が入院 壊死した足のひとつの骨を 人工骨に交換するのだ 右足は6年前  そして今回は左足 左右 全く同じ位置の骨が壊死した訳で・・・ 結果 左右対称に人口骨が入ることになる 不幸にも この新型ウィルス禍のため 夫であっても 術後に妻に面会できるのは 手術の直後しかなく しかも最大限15分間だけ・・・ 以後の面会はできない まあ 幸いにして  命に関わるような病気ではないことが救い これで2度目の手術とはいえ つくづく 寂しさを実感している 自分は強くない 明日は3月11日  いつものように黙祷しよう いずれ妻も戻ってくる その日を楽しみに 暮らそうと思う

願わしい境地というものは

私の心に響く  そんなルポルタージュをネット視聴した 残念ながらアーカイブらしく 既に視聴された方も多いのだろう かいつまんで 話の流れを辿ることにする・・・・・・ 人里離れた 辺鄙な山奥の森を切り開き そこに 家を自力で建て 畑を耕し 電気も水道もない暮らしを  長く続けてきた老夫婦がいた 薪を割り 風呂をたて 竈で米を炊き 育てた野菜を食べるという 自給自足の暮らし 足りないものは軽自動車で 時折 町に買い物にでかける程度 長い間  そんな つつましやかな暮らしを続けていたのだった

空が青いと

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空が騒がしい 朝から 広い青空と薄っぺらい雲が広がっている もうすぐあの日がやってくる

癒される

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福寿草という花は 春の喜びを与えてくれる まさに 名のとおりであろう つくづくありがたい花だと思う 今年  カラスの悪戯対策で 可能な限りの工夫を行い やっと 綺麗に咲き揃った

春を食す

昨日のことである 家の周辺で ばっけ(ふきのとう)を見つけた 妻に声をかけたら 痛みのある足の状態で 「気分転換だ」と言いながら 玄関を出てきた 妻は 目が良いようで 次々と ばっけを見つけた 私が4個みつけるうちに 妻は倍以上の数を見つけた でも妻は 指さすだけで 採るのは私