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8月, 2025の投稿を表示しています

それは突然

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かなりの期間 雨が降っていない気仙沼市 水源となる河川も 渇水状態となり 給水制限になりそうな気配 そんな折に  偶然の「通り雨」があった その時に 玄関前のポーチの椅子に座り   雨をやり過ごそうとしていた私 たまたま 庭の草取りをしていたのだったが  降雨とともに 臭い風が吹いて来た  その時は 変な臭いだなと思っていたが 就寝前から 目が痒かった 洗眼しておけば良かった・・・ 案の定  翌日から 猛烈な目の痒みとなり  持ち合わせの目薬で やり過ごそうとしていたが 眠っていても 目をこすっていたらしく 3日目の朝には 瞼が赤く腫れてしまった アレルギー症状だなと思い  若い頃に一緒にバイクで走り回っ友人が院長を務める 近隣の眼科に行った 毎度のことだが  彼の診察を受けると 院長から あれからどうしてるとか  あいつは今どうしている・・・という 雑談が先行してしまう 「ちょっと待ってよ 診察結果は???」と聞くと 「ああ アレルギーの結果が出ていて 薬出しとくね」と 今は 厳しい院長と言われているらしいが  私の前では 互いにやんちゃなバイク乗りだった友 「しばらくはこれで 様子をみて」と言われ 「ありがとうございました」と診察室を出た  家の戻り 妻にこうだったよと伝えると 妻は「また いつものとおりだったね」と笑った 私の方が4歳年上なのだが  若い頃からタメでしゃべってくる 院長の気さくさが心地よかった それにしても このアレルギー症状は これまでに経験のない季節で訪れ  しかも 突然に爆発したような症状だった 通院してから3日目の今朝は  瞼の腫れもだいぶ収まり 痒みも軽減したが 点眼の間が開いてしまうと やはり痒みに襲われる なので だいたい4時間おきに  眼を洗ってからの点眼をセットにしている  前回 通院したのが3年前で  原因不明の眼底出血だった 久々に会った友人も 相変わらず元気だったので  何よりだった そして 深夜の地震 画像は日本気象協会のTenki.JPから借用したが 午前1時29分の地震  これはまずいぞと思わせた 地鳴りの大きさに目が覚め そして 連続する長い揺れ方・・・ 「臨機応変 臨機応変」と自分に言い聞かせ あらゆる事態を想定しながら 飛び起きた  妻も起きて  まだ 細かく揺れているというのに  1階のリビングに降りて テ...

ハチクマに感謝

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 ハチクマというタカの仲間をご存じだろうか 猛禽類の大型の鳥だが  毎年 5月あたりに大陸から渡ってきて 決まったエリアに営巣し 子育てをする 何年も 我が家の頭上で その声を聞いたり 姿を見てきたが 昨日の早朝 東庭の草取りをしていたら  独特なハチクマの声が聞こえ 空を見上げたら  恒例のことだが 見事なまでの真上を旋回していた しかも 親子で 親の後追いをして 飛んでいて  上昇気流に乗り 声を出しながら くるくると大きな円を描いていた  しめた! と思いスマホで撮影 とはいえ 撮れているかどうかは運任せ・・・ どこかで撮れていることを祈りながら  動画で撮ったものから写真にした 特有の鳴き声は YouTubeで検索し  他の方の投稿動画を参考にして欲しい ハチクマは 大型のハチのみを食べる特性があり オオスズメバチやキイロスズメバチといった 人間の生活に害のあるハチを 巣ごと(プレート1枚)を巣に運び 幼虫を雛に与えて 子育てをするらしい 今年も春先に出てきた オオスズメバチが いつからか 姿を見せなくなったので 今年もハチクマが来ているのかなとは思いつつも ついに昨日 確認できたのだった もちろん キイロスズメバチも見なくなっていた 自宅にも 何度も巣を作られては  自分で駆除をしてきただけに  本当にありがたいと感じていた  ハチクマのおかげで  暮らしの危険度は かなり下がった マダニ マムシ クマといった  大小の怖い存在は残っているが 飛来する危険な生き物が減っただけでも かなりありがたい ハチクマが営巣してくれる環境は 豊かな自然があるという証拠で それだけ田舎の山奥ということなのだろう 自宅が 山の尾根にあるため 上昇気流が発生し易いこともあり 他の猛禽類も 我が家の頭上を飛ぶことが多い 自分で選んだ 静かな環境での暮らしは つくづく 悪くないものだと思っている

ミョウガの収穫

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毎年 お盆を過ぎた頃に 駐車場の北側にある 小さな面積の畑?からミョウガを収穫するのが常 今年も 50×80cmほどの小さなサイズだが 1回目の収穫は 良い状態のミョウガだった ミョウガの栄養価は高く その味と香りは大好物 西側の水路脇に植えてあるミョウガもあるが そちらは 周囲の草刈りをしないと収穫はできそうにもない 花が咲いていなければ良いのだが・・・ 連日の暑さで へばっている自分がいるが タイミングをみて 刈り払い機を出して 水路脇の鬱蒼とした草を刈り払ってから ミョウガのを収穫しないといけない訳で・・・ これだけ暑いと 気が滅入る 連日のように収穫するピーマンは その多さに どうすれば消費できるかを考えていたら 漬物にして食すのが もっとも消費量が多くなることに気が付き 今では 我が家の定番になった 夏の食材の中でも 栄養価が特に豊富なピーマン これだけたくさん食べたら 身体も若返るのだろうか・・・ いまさら 無理か・・・苦笑 それにしても この暑さは  いったい いつまで続くのやら ミョウガとピーマンは どちらも大量に収穫できそうなので 食べ切れなければ 冷凍保存しておけば良い しっかりと食べて もう少しがんばろうと思う

夢のような時間

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お盆が終わった 今年のお盆の期間は 気仙沼市も 過去に類を見ないほどの観光客が押し寄せ  数多くの他県ナンバーの車が走り  物産館などは かなりの賑わいを見せていた  我が家でも 娘と息子がタイミングを合わせて 家族を連れて帰省してくれた  娘も息子も国家資格の専門職で 糧を得ているが 仕事の性格上 お盆休みが  なかなかうまく取れないため これまで 同じタイミングで帰省したことがなかった ましてや コロナ禍で生まれた  一番小さな孫が3歳になり 孫娘だけ4人が揃ったら さぞや賑やかだろうなと思ってはいたが 仕事の性格上 一緒になるだなんて 夢のまた夢だった それが今回  娘と息子が連絡を取り合い  私たち夫婦の ささやかな夢を実現してくれたのだった そして 静かな暮らしが 再び始まった今 「あの時 こうだったね」と ジイジとバアバが 笑顔の記憶を話題にして 「楽しかった」 「面白かった」と繰り返す 単調な暮らしに 色彩が生まれた  老いを生きるとは こういうことなんだと  自分たちの今を 実感する 積み上げてきた 静かな暮らしが また新たな花を咲かせた そんな気がした 孫たちが使用した  タオル類の洗濯物を取り込もうとして出たバルコニーから  南庭を見下ろす 3歳の孫が 庭を走りたいと言って ほかの3名の孫も 一緒に走りまわった草地の庭 あの時の姿が蘇る 子供たちが進学で家を離れてからは この庭に記憶されているのは 手入れをする私の姿だけだった    いつの日からか  孫たちが走る日が訪れることを願い 草を刈りこみ 管理し続けてきた 賑やかに庭を走り回る 孫たちの姿を眺め ついにこの日が来たと 笑顔になった自分がいた   このような時間を与えてくれた子供と孫たちに感謝し さらには この年齢まで 生きて来れたという 運の良さにも感謝している 脚の悪い妻も このお盆で 少し無理があったようで 痛む両脚を 痛み止めを貼り  自分のソファで オットマンに足を載せて休養する時間が増えた かくいう私も 久々に強い腰痛が発生し 歩く姿も不自然なものとなり  痛み止めのお世話になっている 夫婦そろって うれしい記憶と痛みでのリバウンド 痛みは 収まれば 忘れてしまうが 幾度となく繰り返されるであろう  私たち夫婦の会話で強化され続ける うれしい記憶というものは  消えることはない...

正直に生きること

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前期高齢者も折り返し地点に近付いている 自分も歳を重ねたものだと つくづく思う 若い頃は そんな自分が想像できなかった そんな年齢になった 今の自分と向き合う 自分の人生には 貴重な出会いがいくつかあった 大学生の頃に 名画座という映画館で観た ソフィア・ローレン主演の「ひまわり」という映画 同じく学生時代に  むさぼるように読んでいた書籍で出会った 尾崎喜八の詩 喘ぐように仕事に夢中になっていた頃に出会った 女性(妻)の存在 結婚・子育てに学び 根源的な人生の喜びを知った 本当に大切なことが何かを教えてくれた あの震災 そんな出会いを大切にし 自分の生き方を忘れないように努めてきた 生き方の指標となるものに出会ったのが 今の自分を育ててくれたと信じている 全文を暗唱できるまでになってしまった 尾崎喜八の詩がある この詩に出会った20代のころから 私の生き方を 長く悟し続けてきた  そして 人生の終盤に入った 今の自分に いつも静かに 語りかけてくる 僅か3日前のニュースすら  甚だしく過去に感じてしまう日々を生きている今 捨ててはいけないものと 捨てるべきものを見極め 時代に振り回されることなく これからの人生も 自分に正直に 暮らしていこうと思う

手抜きしていた場所の補修

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日々暮らしていると 手入れや補修が必要な場所というものは ハウスキーパーの役割を担う自分としては その優先順位も 気分やノリによって左右されることも多く 特に緊急性がないものは 後回しになりかねない・・・ いつかやろうと思い なんと 14年も後回しにしていたものがあり ついにそこに手を着けた あの14年前の震災でできた カーポート奥にある 倉庫の乗り入れ部分と カーポートのコンクリートにできた隙間のこと わずか1cmちょっとの隙間だが これまでは  震災から1年後ほどに コーキング剤を入れて隙間を埋めていたが さらに隙間が拡大して コーキングが剥がれた上 劣化が進んでしまった 上の写真は コーキング剤を取り除いた後のもので 作業を進めるため 詰まったゴミも取り除いている モルタルの接着を良くするため この隙間に水をかけてから  モルタルを練って 隙間にいれていくと 予想以上に奥が深いらしく  想定していたモルタルの量では 半分程度の補修しかできなくなり 途中からモルタルを追加して練り なんとか 第1段階の埋める作業を終了 乾燥後の写真は 乾燥したら  かろうじて埋めただけというような状態・・・ しかも  あまりの暑さが原因なのか  モルタルの乾燥ひびまで 発生してしまった 「削るか盛るかして なめらかな繋がりにしたい」と思い始めたが 削る案は  以前 別の案件で実施してはみたが コンクリート粉塵の量が あまりに酷かったことを思い出した  盛る案は 仮に この状態から盛ったにしても  盛ったモルタルそのものの厚みがないため 早々に剥離して 汚い状況になり兼ねないと判断 そこで ここからできることはといえば  削ることも盛ることもせずに 新たに起きてしまった ひびの状態を確認しながら これ以上ひびが拡がらないと判断した段階で コンクリート塗料を塗ることで そのまま表面を保護する方向で 自分の気持ちに決着をつけた 未だに震災後の補修も手付かずの箇所もあり 自分の手で少しずつ作業していきたいと思う

また今年も青森へ その4

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 2泊3日の青森旅 最終日の7月24日のこと ホテルでの朝食を済ませて感じたことは 帯広で利用した リッチモンドホテル帯広駅前の 朝食がいかに豊かで 美味しかったかを実感した 確かに 青森と言えばおいしいものはいっぱいあるが 気仙沼と同じ海鮮がメイン食材で  帯広の食材は 当たり前だが まるで別物・・・ さて ホテルを出て  この日は お買い物を終えて 早めの帰路となる予定だった ホテルを出発し まっすぐに 観光物産館もある 青森市のランドマークであるアスパムへと移動 うれしいことに この日は 思いがけない幸運が 立て続けに起きたのだった 朝9時半だというのに  アスパム周辺の気温は30度を超えていた とはいえ これだけの好天となれば 展望台に上がらないのは勿体ないとばかり 真っ先にエレベーターに乗った 展望台では 真っ先に津軽半島方向の空に目が止まった 夏ならではの積雲と 上層の巻積雲が美しく 津軽半島の稜線も見えた  とはいえ 朝霧の多い 夏の陸奥湾で  これだけの見晴らしが見えただけで 幸運だったなと さりげなく思っていたら  今度は 窓ガラスが 予想外に綺麗な状態であることにも気が付いた すると妻が「窓掃除している」と私に教えてきた  妻が指さす方向を振り返ると ゴンドラに乗った作業員の方が  窓を掃除してくださっていたのだった いつも塩分で白く汚れているのに・・・ 「きっと ねぶた祭り直前のお掃除だ」と私 「ラッキーだったね」と妻 今回で4度目のアスパム展望台となるが これほどまでに綺麗なガラスで  ここからの景色を眺めた記憶がなかった 最上の景色を満喫するかのように 津軽方向を眺めていたら 足元の大型テントに気が付いた  遠視で老眼の私は 日常的に累進レンズの眼鏡を使用しているので 下方向の焦点を合わせるには 相応に 思い切り下を向かねばならず かなり顎を引いて じっと目を凝らすと  なんと ねぶたの山車を作っているではないか・・・ 妻は「わわわ・・ 見に行こう」と 私は「かなり暑いけどね」と  暑いのが苦手な私は 乗り気でない返事をする  そんなことを話しながら そこから右方向に移動し 陸奥湾の真正面方向を見て・・・ 目を疑った 帆船が入港していたのだった  まさか日本丸?・・・じゃないよな・・・ と思いながらも  スマホで【青森市 日本丸】と...

また今年も青森へ その3

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2泊3日の青森旅 その中日の7月23日分の後編 うんまい昼食を食べてから  私たちは そのレストハウスの南側に歩き出した 何やら 意味不明なデザイン・・・吉田松陰詩碑とな・・・??? 幕末期に 吉田松陰が津軽に来ていたことは知っていたが 竜飛には来ていない筈で・・・ その手前には やはり 来ていないことが書いていたが  でも 何故ここに???? 分からないが 追及のしようがないので終わりにした それよりも  ここは太平洋戦争の頃の砲台跡で・・・ それを見たくて 来たのだが もうひとつ 理解不能のなものが 竜飛だけに 龍があしらわれた橋の飾り・・・・?? まあ そうなんだろう・・・これも追及しないことにした この視線の先は 小泊の陸地が見え  橋の向こうには・・・ 砲台があったことが分かる・・・ 確かに 日本海も見渡すには もってこいの場所 この先に行くと 断崖絶壁なので 早々に退散し 見るのを忘れた水準点を探しに 灯台の方に戻ったら ありました 本州最北の水準点 確かに見たぞ! そして これから帰る方向を見ると たっぷりとした分厚い雲がかかっていて 不穏な気配が・・・ 雷は嫌いだし 視界不良も大嫌いだから 来た道を戻ろうかとも思ったが  ええ~~い ままよ とばかりに 小泊に向けて出発 案の定  眺瞰台に付く前から 視界5m未満という恐ろしい状況になり 眺瞰台に着く直前には 視界が2mにも満たない状況となってしまい かろうじて その駐車場に車を入れて  しばし状況改善を待った こんなにも視界の悪い状況での運転は この年齢にして初のことで 助手席の妻も 怖い怖い を連発していただけに 車を停めたのは正解だったようだ とはいえ  車の中にいるのも 直ぐに飽きてしまい 外に出たら 視界が少し改善し  なんとか運転できそうな状況になり 出発 ここで景色は 目をみはるばかりの素晴らしさなのだが もはや どうにもならない・・・ おそるおそる車を進め なんとか雲の下に入ると その先は 日本の風景とは思えないような 晴れていれば この美しさも増すというのに・・・仕方ない このあたりからは快調に車を進めることができた 間もなく 七つ滝に到着 この後は 小泊を経て 十三湖の道の駅で休んで 蟹田を経由して 連泊のホテルへ・・・ なんとも怖い帰り道だった まあ 悪天候にも旅の面白さがあると...

また今年も青森へ その2

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 2泊3日の青森旅 その中日の7月23日のこと 先ずは 久しく訪れていなかった ねぶたの家ワ・ラッセへと向かった ホテルから5分ほどで到着 建て物は変わらないなと思いながらも いざ 入ってみたら  メインの展示場に行く手前の回廊の展示が 驚くほど充実したものになっていた   これなら 学校種を限らずに修学旅行も受け入れられるなと感心 ジイジ・バアバの私たちも楽しく過ごせたことは言うまでもない メイン展示場は これでもかというほどの迫力で 昨年のお祭りで使用されたものがたくさん展示されていた 勿論 凄いね! 凄いね! の連発だった さらには ねぶた絵師さんの紹介展示までもがあり その充実ぶりも含め 全体として大きくレベルアップしていた そこから 蟹田を経て 新幹線の今別駅へと移動 途中 廃線が決定された蟹田からの今別のJR津軽線の踏切を渡った時に 線路に草が伸びているのが目に入り 少し哀しくなった というのも  在来線の津軽線はJR東日本の管轄で 青森から函館をつなぐ新幹線はJR北海道の管轄 JR東日本とすれば 蟹田から北の部分は 甚だしい赤字路線なのだろう・・・ 調べてみたら2022年8月の大雨被害の後 運休路線となっていて  2027年4月1日に廃線となることが決まったという そんなことを  妻と話しながら今別駅に到着 この時の時間はお昼ちょっと前で 道の駅も併設されているので 食事もできるが グルメお目当ての私たちは この先の竜飛まで我慢・・・ 冬場の雪のことを考えて 無料駐車場には屋根がかかっているが 日陰を求めて 屋根の下に車を停め お腹が空いているのを我慢し  道の駅の食堂メニューを眺め 気になるものもあったが ここは我慢・・・ その道の駅の裏には 廃線となったばかりのJR東日本の津軽二股駅があり ホームに上がってみると どうしたって こうなってしまう・・・ 線路も 早々に 草の中に隠れてしまうのだろう 今別駅から出発し 竜飛岬へと向かった 竜飛岬灯台から 下北先端を右奥に見て 津軽海峡を見ると 今まで見たことのないほどの濃い色彩の海が見え 妻も 凄い色だねと喜んでいた 下方向には竜飛漁港が見えたが  しばらく来ていなかったこともあり 漁港が綺麗になっていたことに気が付いた さて ここはお目当ての食事がある レストハウス竜飛 寿恵盛屋さん...

45年ぶりの友人が来るタイミングで津波が・・・

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7月31日のことを書く  7月30日の朝 カムチャッカ半島で発生した地震のため 日本中が大騒ぎになった その翌日に しかも津波警報が出ているタイミングで 石川県在住の 学生時代の大切な友が 遠路はるばる 気仙沼を訪れてくれた その友とは45年ぶりに再会した訳で 幸運な再開だった 幸運と書いたのは  この年齢で お互いに元気に再開できたということに尽きる 大学時代の数ある友の中で 誰よりも会いたかった友である 待ち合わせ場所を指定しておいてたのは私だったが 友は 想定していた時間よりも10分ほど早く着いたのだった コンビニの駐車場に入り それと 思わしき車を発見した私は 車を停める前に すでに満面の笑顔になっていたことに気が付いた 友の車の隣に 私が車を停めると  友も車から降りてきて 再開の握手と挨拶に 震えるほどの嬉しさに満たされたのだった ひとしきり挨拶を交わした後  暑かったこともあり 先ずは我が家に案内することにした 私の暮らしぶりを目にしてもらい ささやかな昼食で接待した後  津波警報の最中での 気仙沼市内の案内をした 当然だが 予定していた海の近くの施設が 臨時休業になっていたり 日常的に使用している道路が 津波対策のため扉が閉じていたり  コンビニまでもが閉まっていたりと 極めて稀なタイミングとなってしまい 申し訳なく思いながらも 気仙沼市の観光ガイドをした訳で・・・・ そんなタイミングでのルート設定をしたのだったが そのひとつとして 気仙沼大島に渡る橋の上から見える風景・・・・ こんな姿・・・ これはとても哀しい姿だったのだ 平時であれば  たくさんの養殖筏が 航路の両側に整然と並んでいるのだが その美しさは皆無の状況で 筏の数も大幅に減り  おそらくは 沈んだり 大きく移動してしまったのだろう しかも 鰹船が行き来する航路も無いほどの状態になっていた 落胆していた私の近くに  知人の水産関連(漁網等の)会社の方が  現状確認のため来ていたことに気が付いた その方の情報では なんと3tもの重さのアンカーが移動するほどの津波で 昨夜は 川のように 潮が行ったり来たりし 時には大きな渦を巻いていたという・・・ 気仙沼市は最大で99cmの津波 「たかが1mに満たない津波」ではない 1mでも その被害は甚大なのだ 素人の私が 記憶していた過去の情報か...