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12月, 2024の投稿を表示しています

笑えた大晦日

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今日は大晦日 ・・・で 思い出した 昨年の大晦日のテレビ番組で放送された「逃走中」で マツケンさんが出ていたらしい・・・ 「らしい・・・」と書いたのは  私がテレビ嫌いで ガチャガチャと五月蠅いテレビ番組は好まず 余程のことがない限り 衛星放送も含めて テレビを視聴しないからである 特に嫌いな期間は  大晦日から正月にかけてで その期間は 私にすれば最悪の日々で 書斎に籠っているのが常 昨年の大晦日も そのように過ごしていたら 息子からメールと画像が来て 大笑いした 逃走中に出ていたマツケンさんと私が激似だというのだ 息子は姉(娘)のところにも この写真を送ったらしく 娘家族も大笑いしたそうである それがこの写真               2023「逃走中」から拝借 これを見た 妻も大笑い 自分で見ても・・・笑えるほど似ていたのだった まあ 実際は このマツケンさんよりも 白髪の量がはるかに多いのが私だが・・・ 今見直しても ほんと笑える・・・ そんな訳で 私のことをよくご存じの方も 大笑いされたことだろうと思う 義母の自宅介護で 大変な毎日を過ごしている私たち夫婦だが 「そういえば マツケンさんの写真が・・・」と思い出し 写真を見つけて ふたりで笑った・・・ 新しい一年も 笑い合える一年にしたいものだ

午後2時の気温が0.5度で風速6mだっていうのに

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寒い日だっていうのに いったい何してんの・・・ 12月27日 午後2時のこと 午後4時には 義母がショートステイから帰ってくるというのに 外に出て やりたかった遊びをし始めた私 伐り倒して 薪割り台にしていたミズナラも 3年も経過すれば 十分に中まで乾燥したと思い 樹皮を剥いだら 虫食いで ぼろぼろ・・・・ 諦めずに しっかりと樹皮を取り除き 表面をバーナーで焼いたあと 束子(たわし)で磨き 運び易いように 残り物の材料で作った 取っ手を付けて また バーナーで焼いて・・・ はいできあがり 既に細くしている薪だけを割る台なので こんなもんで十分  そして この冬は 西側の法面の柴刈りをする予定で 可能ならば 数本のハンノキやミズナラを伐採できるかも・・・ とすれば また薪や焚き付けが準備できるかもしれない とはいえ あくまでも 無理はせず 安全第一で 柴刈り爺さんを楽しみたいと思っている さてさて 現在は 午後3時を過ぎた そろそろ 車いすの婆さんが戻って来る また介護三昧の日が始まる・・・

空にはたくさんの飛行機雲が

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連日のように 澄み切った青空が続いている 最近の こんな青空の日は 上空には 1000mから2000m級の高度の雲が増えてきたように感じる 秋のような4000mから5000m級の高層雲は少なく 低層の雲がある時は 雪模様になる日も多くなった 今日は 愛車を洗おうと思い カーポート前に出たら  綺麗なひとすじの雲を引いた旅客機が 頭上に見えた この旅客機は 韓国航空の旅客機だった もちろん旅客機なので 高度は10000m程度 その高さには風がないようだったが 地上には 結構な風が吹いていて 洗車をしていると 車に落ち葉がたくさん落ちてきた こんな日は 飛行機雲が楽しい 興味深い飛行機雲・・・ 翼の先端により発生した風の乱れが リズミカルな雲を発生しているようだ 義母がショートステイに行っているため 車を洗ったり  灯油を買いに出かけたり 屋外倉庫の整理などして のんびりと過ごしている のんびりと言いながらも  バタバタと動いているような気もするが 義母がいる時とは異なり 気持ちはとても楽で・・・ 先日のこと 義母を内科通院させたら  「もうご本人は来なくて良いですので  家族受診にしましょう」と言われ 医師からさらに 「体調に何かあったら 救急車を呼ぶ前に こちらに連絡してください」と言われた いずれ 時は来る 覚悟を決め 慌てないようにしたいものだ

焼き芋と妻の左脚のトラブル

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一昨日のこと  外気温は3度だが 風がないので暖かいこともあり 義母が大好きな 焼き芋を 東庭で 自作の無煙薪ストーブを使って しっかりと時間をかけて  「甘くなあれと」願いを込めて焼いた 過去の記事で その製作状況については投稿していたが 理想の燃焼状態となるよう 何度も作っては壊した結果  ドラフト構造で しかも3次燃焼という  優れた燃焼効率のストーブが 一昨年にできあがった その上に用意した蓋も ペール缶で作成し オーブンとして使用していたが 昨年には 竈部分の基本構造を大きく変えていたのだった 義母は 焼き芋が大好きで マッシュした状態をスプーンで食べたのだが 小さめのサイズをまるまる1個分食べた 焼き始める前に サツマイモを下処理していた妻も もちろん その甘さを楽しんでいた そして 昨日  義母を6日間のショートステイに送り出した 義母がショートステイに行くと 私たちは あれこれと買い物にでかけるのが常 まずは 義母のリハビリパンツ購入に始まり 日常的な生活用品 食品類 追加が必要となった私たちの真冬用の衣類まで・・・ 昨日の昼食前だけで  5件のお店を妻と回り 帰宅してからの昼食 昼食後は 追加する介護用品のリース契約のため 業者が来宅しての契約 ほっとしたのが 午後3時を過ぎた時間帯 それから妻は 食品の買い忘れがあったということで 私が運転手で  近くのスーパーに行き  当然ながら 私が荷物運び 妻に重いものを持たせるのは危険で セラミック製という人口骨が その素材の硬さから 接する骨を壊してしまう可能性があるためである 帰ってきて直ぐに  妻は夕食の準備を始めようとしたので 休憩をするよう促した 義母を送り出す際にも かなり家の中を動いていた妻 私も妻のサポートに徹していたが 上述のとおり 義母を送り出した後も 買い物で かなり歩いたのだった 夕食後の風呂上り 妻の左脚が浮腫んでいることに気が付いた 右脚には問題はなかった 両脚が浮腫んでいれば 内科的な問題があるのだが 最初に手術したのが左足で2011年のこと そして  その2年後には 右足も人口骨に置き換えられた 左右のどちらも同じ骨で 原因不明の骨壊死だった 痛み止めの湿布を貼った後 妻はスツールに脚を乗せて ゆったりと休息 そして 今朝の妻の浮腫んだ左脚は だいぶ腫れも引いていたようで ...

介護負担も限界か・・・

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94歳の義母の介護が再開した その介護度は4 最重度が5となるので そのひとつ手前といったところだが その負担は かなりのもの・・・ 写真のように 玄関前にスロープを設置するため 施設にロングステイをお願いしていたのだが 帰宅してから 僅か5日間で  その負担の大きさに 私たちの身体が悲鳴をあげた  出来上がったスロープのおかげで 送迎は楽にはなったものの ほかの全ての面において  その負担が さらに増えたことを実感した 日に日に情況が厳しくなるのは 分かってはいたのだが・・・  家の中では 妻とふたりがかりで 義母の両側に立ち 義母を静かに立たせて ゆっくりと移動させるのだが 義母は 脚の裏に 自分の体重を乗せることが難しくなり 時には 自分の足で立つことすら忘れてしまうこともあり 義母の体重が 私たちの腕にのしかかってくることもある となると 家の中での車椅子使用も視野に入れないといけないが トイレの扉の前で 車いすから降ろす作業に難儀することが分かり  家の中では車椅子を使うことを避けることにし 私とふたりで移動させるという日々 妻の両足には 人口骨が入っている関係から 義母を支えることができるのは 右腕しか使えず  私は私で 腰椎の4個の椎間板すべてが潰れてしまっていて 腰痛があるのは日常的なこと そのため 義母を立たせるときは 妻が右腕で支えるしかなく 私は左腕で 反対側から義母を支えることになる 結果 妻の足の痛みが少し強くなり始めた かくいう私も 過去に左肘の靭帯損傷をしているにもかかわらず 左腕を使うしかなくなり 先日 左肘の痛みが再発してしまった そんなこんなで  義母を眠らせた後 夜中にふたりで 痛み止めの湿布を貼る日々 妻の身体的負担を考えると もはや限界で セラミック製の人工骨が 周囲の骨よりも硬いので 人口骨が周囲の骨を壊す可能性があるのだ・・・ そうなると 確実に妻は 足の手術のために再入院になると 担当医師から言われていた・・・ それだけは避けたいのが私の気持ち このような状態を ケアマネージャーさんに伝えたところ 状況を理解してくださり 入所申し込みをしている施設に空きがでるまでの間 ショートあるいはロングのステイを繋げていくという計画に変更し 妻の身体的負担を軽減できるよう配慮してくださった とはいえ  空き待ちが原則の入所のため ...

久しぶりの花巻温泉宿2

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花巻「志だて」の朝食を 十分に楽しんだあと 少し休んで 私は部屋風呂を楽しみ 妻は 大浴場に向かった 妻は 湯上りに またアイスを楽しんできたと・・・笑 少し涼んでから 着替えを済ました後 妻の希望で お隣りの「志戸平温泉」への専用通路を通り フロント前の大きなショップに行った 私はいつものように荷物持ち 日常的に 片手がクラッチで塞がれているのが妻の歩き方 そんな妻に負担をかけさせたくないので 私が荷物を運んでいるのだった お子さん連れの多い「志戸平温泉」は  いつも音楽が流れ  楽しそうにお子さんたちが走り回っていた これもまた 良い風景 東京在住の孫たちの姿と重ね 目を細める私たち 孫たちと一緒なら 間違いなくこちらに宿を取るだろう 買い物を終え  ゆったりと 11時ちょっと前にチェックアウト この後の予定は 最近話題になっている場所に・・・ 場所は 大リーガー菊池雄星選手と大谷翔平選手を育てた 花巻東高校のすぐ隣りにある KOHこと "King Of the Hill"という練習施設 菊池雄星選手が自費で 母校の隣りに建てたことで 報道等で有名になった 中を見学できるのかどうかまでは確認できなかったが 今回は 外観だけを見に行った そのあとは 花巻市役所の駐車場に向かい この場所に移設された 盛岡藩花巻城の鐘楼を見学 小雨がぽつぽつと降っていたが 初見となった史跡 この日の予定は 花巻城址の見学で 既に この市役所周辺も 城址の中ではあったが 再び車に乗り 復元された西御門に向かうことにした 資料によると 花巻城は そもそもが1591年の九戸政実(くのへまさざね)の乱の後 盛岡に入部した盛岡藩南部氏領南端の抱え城であったことは史実であるが 1189年の奥州藤原氏の滅亡以後の400年にわたり この地を支配した稗貫(ひえぬき)氏の居城で その当時は鳥谷ヶ崎(とやがさき)城であったという そして 初めて花巻の名の由来を知ることになった 桜の花びらが お城のすぐ脇を流れていた北上川に落ち 渦を巻いている風景からだという・・・ 後に 北上川の氾濫を理由に 川の流れを変えたというが そのことすらも知らなかった さて 今回の一番の目玉は  あの新渡戸稲造氏の祖父は この花巻城に勤める 南部藩の重臣だったということで  訪れたのだった 広い城跡だけが残っ...

久しぶりの花巻温泉宿1

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前回の墓参りの記事と 時間的に話は前後するが 義母のロングステイが終わる直前の  チャンスとなったタイミングで 花巻のいつもの温泉宿「志だて」に行ってきた 運良く リーズナブルな宿代になるセールがあり そのタイミングで予約がとれたのだった 宿に到着したのが 午後3時ちょっと前だったが 辺りは 雪になるか雨になるかの瀬戸際の気温のようで 山深い場所を流れる豊沢川沿いは  冷たい霧が 川の上に帯のように立ち込めていた 愛車を駐車場に入れて 外に出ると 纏わりつくような湿気の多い空気が  一層 肌寒さを感じさせた 荷物を降ろそうとしていたら  宿のスタッフが  停めたばかりの車のところまで 出迎えに来てくれた いつものことだが スタッフに 最近のクマの出没状況を聞くと なかったとのことで 軽く安堵した ラウンジのソファに案内され チェックインの手続きをする際に 今回で何回目になるかスタッフに聞いたら 7回目とのこと 最初に利用したのが ちょうど10年前だった お気に入りの宿とはいえ 決してお安くはない宿・・・   7回目と聞いて ずいぶんと利用したものだと思った 現在 このお宿は 2部屋を抜いたスイートルームを作ったことで  全24室から23室になった あまり人に出会わず 静寂を楽しめること そして 高いレベルの創作和食を楽しめることが  私たち夫婦のお気に入りでもある 客室は4階まであるが  クマを警戒する生活は 自宅だけにしたいので 1階の客室は予約したことがない 部屋に入り 荷物を降ろすと さっそく私は  窓ガラスの向こう側で湯気を上げている 半露天風呂の温度を確かめることにした すべての部屋に 源泉掛け流しの風呂があり 1階は石風呂だが 2階より上は陶製のものが置かれている 樹木を眺めながら すっぽりと肩まで湯に浸かり 宮沢賢治の作品にも出てくる豊沢川を眺めるのが  いつもの私のお気に入り この日の豊沢川の水は いつもより白濁しており まるで春先の雪代混じりのようで 上流の豊沢ダム周辺に積もった雪が融けて  川を濁らせていたのだと思われた そして 畔には ハンノキと思われる黄葉樹木が散見されていた 写真には見えないが  その右側には ひときわ高木となったアカシデが オレンジの葉を散らし終えていたようで 羽根の形の実を たくさんぶら下げていた  お湯に手を入れてみる...

父の命日と雪

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父の命日である先日の午後3時頃  一関市内の墓地へと向かい  墓参りをしてきた 墓地の上にある菩薩様の方向から陽が差し込んでいた 父は54歳で旅立った  ガンだった 現在の私は67歳 父よりも干支で一巡以上も年上になった そう思うと 自分も長く生きてきたものだと思う さて 今朝は 最低気温がマイナス2で  うっすらと雪化粧となった そして 一昨日から 義母が施設から戻ってきた これまで  義母が施設にお世話になっているタイミングで 業者に 車いす用の通路を玄関前に造ってもらい 自前の作業で ウッドデッキの右側に  施設の車が入って来れる場所を確保し しっかりと タイヤ止めまで準備した  そして  12月7日の今日から デイサービスが再開する 今は  義母の朝食中で 妻が介助している 介助の段階も一段上がり  ほぼほぼ全介助となり 妻と私のふたりがかりとなっている 私の両親はともにガンで他界し 病院でみとられた 94歳の義母の 世話をし続けながら あれこれと 自分の今後を思っている これからの自分は どう生きるべきなのだろうか・・・と