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収穫の楽しみと寂しさと・・・

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 東庭のレイズドベッドにしている 低めの花壇で ニンジンの収穫が始まった 春先は チューリップが咲いた花壇であり 昨年は チューリップの後にバジルを育てた場所に  今年はニンジンの種をたのだった 一昨年  ここはシシトウを植えていたので ナス科植物の連作障害を避けてのことだった 北側に並ぶ場所には 既に キュウリも次々と収穫が続き 家計的にも助かっているかことは事実だが それ以上に 収穫の楽しみは大きい ニンジンは 同時期に収穫となりそうで ふたり暮らしには 結構な量であり こんな時は 保存の仕方が鍵となる  そこで  紙に包んで冷蔵庫の野菜室で立てて保存することにした スティックサラダにして食べてみると  しっかりとした甘みが感じられ うれしくなる お煮しめにして食べてもみたが  やはり その甘さに 妻も喜んでいた 話は変わり 先日 大きなショックを受けたことがあった 高校時代に同じ部活で 仲良く過ごしていた友人が亡くなった 癌が発見されて わずか1年で他界したと お嬢さんからの報せで知ったのだった 5年ほど前に 会ってからは  しばらく会わないままでいた その友人のSNS投稿は 見ていたのだが まさか こんなことになっているとは・・・ 振り返れば 確かに  ここ最近は めっきりと投稿が減ったいた とても悔しく そして残念であった 仲が良い友が減っていくのは 寂しいことだ あの未曾有の災害で亡くした たくさんの友人知人を思い出し 酷い虚無感に苛まれた数年間が  突然 フラッシュバックした私だった 長く生きるということは こういうことなのだろう 今は この夏 帰省してきた孫娘4人の姿を思い出すように 何かと話題にしては 笑顔になる私と妻 大病を乗り越えて  今の生き方を磨いている妻 私にすれば その笑顔が日常にあるだけで 何よりもうれしい 残された親は義母ひとりとなり  今年95歳 70歳の自分たちが  長旅に出られるのは あと何年あるのだろうか まだまだ 出かけたい場所がある・・・ 義母の状況から判断し 妻と話し合った結果  今後の旅は 1泊2日程度とし しかも  2時間ほどで帰宅できる場所に限定することにした それにしても昨日の雨は酷かった 息子が暮らす東京都も 大変な状態だった 千葉県在住の妹や 石川県にいる大切な友人のところも さぞやと思った 今年の...

2026年5月15日の地震について

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 震源地が まさに気仙沼沖の直近だった 気象庁の発表では 気仙沼市の震度が4という発表だが 我が家は それどころのレベルではなかった 我が家の地盤の影響もあるかとは思うが 震度5は確実にあったと思われた まずは 妻も私も無事であり 家の中の破損等は無かったのだが  2階の書斎の本棚から数冊落下した程度で済んだことは幸いだった  これから 本棚の耐震部の緩みを確認し 必要に応じて 対応するつもりである 自宅外壁の破損やひび割れ等については 明日の朝に確認しようと思う あまりにも震源地が近いため  スマホの警報は 地震の後になっていた あの日のことが 瞬時に思い起こされた私たち夫婦だった

今だからこそ  ~大切な友と再会するために~

ほぼ半世紀ぶりに再会できた  石川県在住の 大切な大切な友がいる 学生時代に 同じ学部のしかも同じ専攻で学び たまたま その友のお姉さんの嫁ぎ先が 私の出身地である一関市だったということもあり 自然に その距離が詰まったことが思い出される 学生時代の4年間は その友がいてくれたことで 精神構造の幼い私は 本当に助けられたのだった この年齢になり  やっと半世紀ぶりに再会できたのが  昨年のことだった 友が 一関在住のお姉さんのところに寄った後 気仙沼まで来てくれたのだった 顔を見た時は 手が震え 本当にうれしかったことを鮮明に覚えている 私の学生時代は 恥ずかしいほどに 幼くて愚かだった・・・ そんな私が  他者と比較しても 何も始まらないということに やっと気が付いた時には  人生の半分が とうに過ぎていた 自分の良さというものは どんな部分なのか そこに気が付くのが あまりに遅かった 自分の人生は 多くの方々のおかげで 今ここにある もちろん その大切な友の 豊かな人間性に  多くを学んだことはいうまでもない 退職して12年にならんとする今 過去となって久しい 仕事上の成果は  人によっては その人生を誇る 重要な要素かもしれないが  私には そのように誇れるものはない 仕事を辞めて 無職となってからは 家族のために 自分の時間を費やすと決めてきた 自分だけが思う 「自(おの)が人生」を  退職後に 新たに歩き出すと 心に決めたのだった 公(おおやけ)の職にあった自分は  心身共に 疲弊しきっていて 早期退職を選んだ それは 自分の身体も心も 弱かったからであり もうこれ以上は続けられないと 判断したからである 「逃げた」とも思われるだろう  「逃げた」と評価する方は  おそらくは強い心をお持ちなのだろう 幼い頃から感じていたように 自分に自信が無い私でも 運良く 最愛の家族を得ることができた 石川県在住の その大切な友は  仕事と併行して 自らの学びを深め  大学での職を得るまでになった 敬服するばかりである    私はといえば 仕事をしながら修士学位を取得するため 学びを続けてはいたが  単位を半分ほど取得した頃に起きた あの震災で 心が折れてしまったのだった  震災以後の私は  あの惨状によるトラウマが生じてしまい 何かにつけては 手が震えたり 涙が出る始...

また買い物したの?・・・予約ですが・・・

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また買い物をしてしまった  暮らしを良くするための買い物で  昨年購入したコメリの真空断熱パネルのレジャークーラー(22L)は  その性能と価格が不似合いなほど素晴らしものだったが いかんせん 私の車に積み込もうとすると その寸法(高さ)が ちょっと厳しくて  もう少し高さを抑えた15Lほどのサイズが欲しいと思ったら な・な・なんと コメリから新たなサイズ展開での発表があり しかも 求めていたサイズのクーラーが出たことを知り 妻と相談た上で予約した 主に妻のお買い物(冷蔵・冷凍品)に使うのだが   やはり 車で出かける時には ほど良く小さいものがあると 限られた荷室空間をより活用できる訳で・・・・ しかも  他社の真空パネル品と比べても 驚くようなコメリ価格 性能で考えれば これは買うしかなく 今や 私たち夫婦の暮らしの必需品 災害時においても必要なことは歴然で サイズやその構造で 使い分けできるのなら それに越したことはない 全く予想を外さない妻の反応は・・・  「これで 旅行先でおいしいケーキを買って ホテルに戻れるね」 とうれしそうだった おいおい・・・甘いものだけではなくて~ まだ 買ってないんだから~~ サイズが気になる方もいらっしゃるかと思い  少し 余計なお世話を・・・ 15年前の震災の時は  震災から3日目にして 仮帰宅できた私は  自宅の被害状況を確認した後 冷凍庫の中で 既に解凍し終えていたものも含めて 少しでも冷えている食品を なんとか生かせないかと思い 持っていた50Lの大きなコールマン製のレジャークーラーに 使えそうな食品を詰め込んで  やっとできた着替えを済ませた後 防寒対策を増やし  すぐに職場に戻ったのだった・・・ その翌日のことだったが 車を流され 別の場所に避難していた妻が 10km以上も歩いて私の職場まで来てくれて  互いの生存を 初めて実感できたのだったが 私の車で 一緒に帰宅し いざクーラーを開いてみると 食品から出た水が 腐敗臭を感じさせるものになっていたのだった 外気温が低いので なんとかなるのではと思っていたが やはり 無理なものは無理だった訳で・・・ 以後  レジャークーラーの所有は   ①コールマン  50L   ②ダイワ 40L これら2つは 災害時専用で ➂コメリ 22L ④コメリ 15L(今回予約) 以上がハ...

気持ちが落ち着かない日々

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毎年 3月11日を前にすると  何をするにも 気持ちが落ち着かなくなる 特に オールドメディアが ここぞとばかりに特集を組んで 取材のために 取材集団が町を闊歩する日が続く 正直なところ 静かにしておいて欲しいというのが 私たち夫婦の気持ち 忘れたくても 忘れられない気持ち 壊れた市街地と 真っ黒な煙に映る 燃え上がる炎の赤い色  あの時は 気仙沼が終わったと思い  以後は 生きていくための繰り返しで時間が過ぎていたことを思い出す あれから15年 今の気仙沼市の状態を想像すらできなかった   そして 先日の3月4日の 当地方の新聞が載せていた記事 残っていた工事が やっと今月末に完了するという 震災から15年かかって  これで やっと終わることになるのだろうか あの年に生まれた子供が 中学3年生になるのである  ここまでに至るまで かなりの紆余曲折があった あろうことか  宮城県知事による住民感情無視の発言や威圧的な態度により  2度にわたる土地嵩上げ工事が命ぜられ 工事が敢行された     震災後に嵩上げした土地に建て物を建てた水産加工場や商店では  2度目の嵩上げのために また作り直しをするなど 過度とも思える負担増に 再建を諦めたところも・・・ 今月末に終わる工事は 防潮堤の出入り口にあたる閘門(こうもん)で 昨年夏の地震津波の際 閘門が閉じられないという事態に陥っていた さて 話を戻す  この日が来てほしくないとは思いながらも  3月11日はやってくる  黙祷の際には 亡くなった友人や よく知っている子供たち お世話になった方々の姿や その笑顔を思い起こし 静かに 過ごそうと思っている

地震と雪

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12月8日 午後11時15分ごろに 青森県東方沖で発生した地震 その大きさはM7.5   揺れたエリアは 北海道はもとより 関東地区も含めた広範囲となった それは 寝る直前に起きたのだった・・・ スマホの警報が鳴る前に  とても大きな 横揺れが始まった すぐさま  ソファに座っていた妻を安全な場所に移動させたところで けたたましく スマホの警報が鳴った    長い揺れが収まった後 家の中で物音がした場所を確認  停電はしていなかったが  まずは 18Lのポリ缶に 水を貯めて 玄関ホールに置いた 次に 非常用の蓄電池を配置し  照明と暖房の対策をしている途中の 11時30分を過ぎたころに 再び 長く大きな揺れが・・・ その2度目の揺れが収まり  妻は 食器棚の乱れを整え直した あの震災から 毎日のように 寝る前には必ず  食器棚の両開きの扉に地震対策を行っていたことで 食器の破損は免れた  その後 建物の大きな破損がないかどうかを確認するため 寝間着の上にフリースを羽織って マイナスの戸外へ出た 海岸近くには 避難命令が出て けたたましく サイレンと放送が繰り返されていた 騒がしい市街地方向のことを機にしながら 懐中電灯で照らされた 我が家の外まわりを見た限りでは 特に 大きな被害はなく 細かな確認は翌朝に行うことにした 2階の窓から 市街地方向を見下ろすと 見える範囲で 停電は発生していない様子だった 結果 停電もなく断水もなかった あの震災で 悉くインフラが破壊されたこともあり かなりの部分が刷新され 強化されていたことも救いだった さて ここ連日のように雪が舞い リビングからの眺めが こんな日もあった こんな朝の景色は 心を和ませてくれる 北上山系の稜線の風景は独特で美しい 気仙沼市内にも かつて氷河があった場所があり そんなU字谷の景色が 我が家のすぐ近くで眺められる 山と海が作り出す 特有の景色は 私のお気に入り とはいえ 三陸沖は「地震の巣」であり 「いつでも 災害はやってくる」という心構えは絶やさない しかも最近  かなりの頻度で 釜石沖で地震が発生していたこともあり 近いうちに 大きな地震が来るのでは・・・ と不安になっていた それだけに 今回の地震は  ついに来たかと思った私だった  しかも震源地としては  頻度の少ないエリアでの発生だったのは意外だ...

お隣りの陸前高田市の今

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気仙沼市の北隣りにある 岩手県陸前高田市 あの「奇跡の一本松」で有名になった街 かつて 美しい黒松林(防砂林)が 砂浜から吹き付ける砂嵐から市民を守っていた 5万本ともいわれた黒松林の姿は消え 唯一残った1本の黒松が「奇跡の一本松」と呼ばれた 残念ながら その一本松も  今では人工のものに置き換えられている あの震災で破壊された市街地は 低地の盛土を行うために  近接の山を崩し 空中に張り巡らされたベルトコンベアで  土を移動して 広い土地全体を大規模に嵩上げした ダンプカーで土を運んでいたら  復旧に時間がかかり過ぎるからで 可能な限り 素早い土地の嵩上げを目指すための 苦渋の行政判断だった 過去も そして今も 私たち夫婦は  気仙沼市にはない美しい風景と 陸前高田市でしか買えない物品を買いに 出かけることが多い かつては 我が家から片道約1時間かけて 車で移動していたが  三陸自動車道ができてからは およそ半分の時間で行けるようになり 当然ながら 訪れる頻度も増えていた 震災からの復興道路として活用されるべく  宮城県矢本ICから 青森県八戸市是川ICまでの区間が無料であり その区間の自動車専用道は 日本最長の無料区間となっており 当地で暮らす者にすれば ありがたく利用させていただいている 先日 その陸前高田市に出かけてきた 私たち夫婦は 行くたびに町の復興状況を見て来るのだが  ここ数年 市街地の復興が止まっているように感じられるのは 哀しい現実と思えたのだった 今回は 陸前高田市博物館の屋上から撮った  かつての中心街の写真を お見せしたいと思う スマホでパノラマ撮影したのだが  これが大津波襲来前の市街地の中心付近と思われる場所 写真の左手奥には 陸前高田市の箱根山 山が切れている場所が広田湾で  その右側に気仙沼市の唐桑半島先端が小さく見え  それに続いて 同じく気仙沼市の霧立山なども見える 左手前に小さく見えるビルは 今では災害遺構となっている 旧米沢商会の建物で  所有者の希望で 今は震災遺構となっている 包装品の卸小売業をされていた米沢商会さんの建物が残り 周囲の建物は ことごとく津波で破壊された 津波が屋上を越え 煙突の先端近くまで達したのだが 御主人が 屋上の煙突の上に登り かろうじて命を繋いだのだった 奥に見える三角状の建物は かつての道の駅...

穏やかな日々が

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朝の気温が 5度以下になる日も増えてきた となると  決まって リビングのペレットストーブに 火が入ることになる 火が点くと ほっとするのは本能的なものと思われ 安堵感に満たされた朝になる 揺らぐ火を眺めながら 朝のコーヒーを淹れる 妻が起きて来る前の ひとりの時間を楽しむ私 そんな朝の時間帯に PCでブログを綴るのも ネットで情報を探すのも 実に愉しい のんびりと暮らせることに感謝するばかり とはいえ  就寝前の入浴では いつも決まっているかのように 震災で受けてしまった軽いPTSDに  何故か 気持ちが振り回される いつもなら 音楽をかけて気を紛らわすのだが 昨夜は それどころではなかった 夕方に起きた地震により 音楽をかけて気を紛らわすことより 早々に入浴を済ませることが必要だった それは とても長く揺れ続ける地震であり 11月9日の17時03分に起きたのだった 気仙沼市は震度2という発表だったが そんなもんじゃなかった 震度4はあるだろうと思われるほどの揺れで 妻もそう感じていた もちろん気仙沼市の観測地は  何故か中生代の大きな岩盤の上にあるものだから  我が家のように 大量の土石流が起きたと思われる地盤が  長い長い時間の流れで  標高150mの丘になった土地とは 揺れ方が違うのは明白 今回の地震が 怪しいと感じたのは 8日の土曜日から始まっていた 8日に同じ震源地で2回起きた この時点で おかしいなと思った 以後 本震と思われる揺れまでの間に 8回の記録が 気象庁から発表されていた 今朝(11日)の午前7時までに 発表された記録では なんと21回となっているが  記録されない有感地震も多く  今朝も2度ほど 家具がカタカタと鳴って目が覚めた 記録されない有感地震は数知れず  小さな津波も来ていたようだった 津波注意報が出ていても  あの震災を経験した身にすれば・・・と そして はたと 正常性バイアスがかっていた自分に気が付く・・・ 得てして  正常性バイアスは 災害などの経験の有無にかかわらず 直ぐにリセットされてしまう傾向があり そのためにも 常日頃から  いざという時の対策を意識しておかねばならないのだが そうと分かっていながらも 反省を繰り返す 軽いPTSDがあるにもかかわらず こんなことを繰り返す私 また 大きな揺れが来るかもしれない  それで...

それは突然

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かなりの期間 雨が降っていない気仙沼市 水源となる河川も 渇水状態となり 給水制限になりそうな気配 そんな折に  偶然の「通り雨」があった その時に 玄関前のポーチの椅子に座り   雨をやり過ごそうとしていた私 たまたま 庭の草取りをしていたのだったが  降雨とともに 臭い風が吹いて来た  その時は 変な臭いだなと思っていたが 就寝前から 目が痒かった 洗眼しておけば良かった・・・ 案の定  翌日から 猛烈な目の痒みとなり  持ち合わせの目薬で やり過ごそうとしていたが 眠っていても 目をこすっていたらしく 3日目の朝には 瞼が赤く腫れてしまった アレルギー症状だなと思い  若い頃に一緒にバイクで走り回っ友人が院長を務める 近隣の眼科に行った 毎度のことだが  彼の診察を受けると 院長から あれからどうしてるとか  あいつは今どうしている・・・という 雑談が先行してしまう 「ちょっと待ってよ 診察結果は???」と聞くと 「ああ アレルギーの結果が出ていて 薬出しとくね」と 今は 厳しい院長と言われているらしいが  私の前では 互いにやんちゃなバイク乗りだった友 「しばらくはこれで 様子をみて」と言われ 「ありがとうございました」と診察室を出た  家の戻り 妻にこうだったよと伝えると 妻は「また いつものとおりだったね」と笑った 私の方が4歳年上なのだが  若い頃からタメでしゃべってくる 院長の気さくさが心地よかった それにしても このアレルギー症状は これまでに経験のない季節で訪れ  しかも 突然に爆発したような症状だった 通院してから3日目の今朝は  瞼の腫れもだいぶ収まり 痒みも軽減したが 点眼の間が開いてしまうと やはり痒みに襲われる なので だいたい4時間おきに  眼を洗ってからの点眼をセットにしている  前回 通院したのが3年前で  原因不明の眼底出血だった 久々に会った友人も 相変わらず元気だったので  何よりだった そして 深夜の地震 画像は日本気象協会のTenki.JPから借用したが 午前1時29分の地震  これはまずいぞと思わせた 地鳴りの大きさに目が覚め そして 連続する長い揺れ方・・・ 「臨機応変 臨機応変」と自分に言い聞かせ あらゆる事態を想定しながら 飛び起きた  妻も起きて  まだ 細かく揺れているというのに  1階のリビングに降りて テ...

手抜きしていた場所の補修

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日々暮らしていると 手入れや補修が必要な場所というものは ハウスキーパーの役割を担う自分としては その優先順位も 気分やノリによって左右されることも多く 特に緊急性がないものは 後回しになりかねない・・・ いつかやろうと思い なんと 14年も後回しにしていたものがあり ついにそこに手を着けた あの14年前の震災でできた カーポート奥にある 倉庫の乗り入れ部分と カーポートのコンクリートにできた隙間のこと わずか1cmちょっとの隙間だが これまでは  震災から1年後ほどに コーキング剤を入れて隙間を埋めていたが さらに隙間が拡大して コーキングが剥がれた上 劣化が進んでしまった 上の写真は コーキング剤を取り除いた後のもので 作業を進めるため 詰まったゴミも取り除いている モルタルの接着を良くするため この隙間に水をかけてから  モルタルを練って 隙間にいれていくと 予想以上に奥が深いらしく  想定していたモルタルの量では 半分程度の補修しかできなくなり 途中からモルタルを追加して練り なんとか 第1段階の埋める作業を終了 乾燥後の写真は 乾燥したら  かろうじて埋めただけというような状態・・・ しかも  あまりの暑さが原因なのか  モルタルの乾燥ひびまで 発生してしまった 「削るか盛るかして なめらかな繋がりにしたい」と思い始めたが 削る案は  以前 別の案件で実施してはみたが コンクリート粉塵の量が あまりに酷かったことを思い出した  盛る案は 仮に この状態から盛ったにしても  盛ったモルタルそのものの厚みがないため 早々に剥離して 汚い状況になり兼ねないと判断 そこで ここからできることはといえば  削ることも盛ることもせずに 新たに起きてしまった ひびの状態を確認しながら これ以上ひびが拡がらないと判断した段階で コンクリート塗料を塗ることで そのまま表面を保護する方向で 自分の気持ちに決着をつけた 未だに震災後の補修も手付かずの箇所もあり 自分の手で少しずつ作業していきたいと思う

45年ぶりの友人が来るタイミングで津波が・・・

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7月31日のことを書く  7月30日の朝 カムチャッカ半島で発生した地震のため 日本中が大騒ぎになった その翌日に しかも津波警報が出ているタイミングで 石川県在住の 学生時代の大切な友が 遠路はるばる 気仙沼を訪れてくれた その友とは45年ぶりに再会した訳で 幸運な再開だった 幸運と書いたのは  この年齢で お互いに元気に再開できたということに尽きる 大学時代の数ある友の中で 誰よりも会いたかった友である 待ち合わせ場所を指定しておいてたのは私だったが 友は 想定していた時間よりも10分ほど早く着いたのだった コンビニの駐車場に入り それと 思わしき車を発見した私は 車を停める前に すでに満面の笑顔になっていたことに気が付いた 友の車の隣に 私が車を停めると  友も車から降りてきて 再開の握手と挨拶に 震えるほどの嬉しさに満たされたのだった ひとしきり挨拶を交わした後  暑かったこともあり 先ずは我が家に案内することにした 私の暮らしぶりを目にしてもらい ささやかな昼食で接待した後  津波警報の最中での 気仙沼市内の案内をした 当然だが 予定していた海の近くの施設が 臨時休業になっていたり 日常的に使用している道路が 津波対策のため扉が閉じていたり  コンビニまでもが閉まっていたりと 極めて稀なタイミングとなってしまい 申し訳なく思いながらも 気仙沼市の観光ガイドをした訳で・・・・ そんなタイミングでのルート設定をしたのだったが そのひとつとして 気仙沼大島に渡る橋の上から見える風景・・・・ こんな姿・・・ これはとても哀しい姿だったのだ 平時であれば  たくさんの養殖筏が 航路の両側に整然と並んでいるのだが その美しさは皆無の状況で 筏の数も大幅に減り  おそらくは 沈んだり 大きく移動してしまったのだろう しかも 鰹船が行き来する航路も無いほどの状態になっていた 落胆していた私の近くに  知人の水産関連(漁網等の)会社の方が  現状確認のため来ていたことに気が付いた その方の情報では なんと3tもの重さのアンカーが移動するほどの津波で 昨夜は 川のように 潮が行ったり来たりし 時には大きな渦を巻いていたという・・・ 気仙沼市は最大で99cmの津波 「たかが1mに満たない津波」ではない 1mでも その被害は甚大なのだ 素人の私が 記憶していた過去の情報か...

災害対策準備品が やっと揃った

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震災から14年が経過し 今になってやっと 自宅の環境を踏まえた上での 予定していた災害準備品が ひととおり揃ったことになる 予算の都合上 一度には揃えられない しかも 消耗品を除いたものとして 自分の計画に沿ったものが 商品としてあるのかどうか なければ自作も・・・と思い あの震災から これまでの時間をかけて 自分の暮らしにとって都合が良く 日常でも使えるものを手に入れたいと思い 準備を進めてきた ここでいう消耗品とは 主に燃料であり 燃料の多様性さえあれば いかなる状況でも 取捨選択が可能だからである そして 我が家の燃料はというと 家の周りから調達できる薪 ガス缶(CB缶 OD缶)  ホワイトガソリン 木質ペレット  灯油   これらの燃料は 主に調理と暖房で使う 手作りしたのは 屋外で使える オーブン機能を備えた薪ストーブで これについては過去に記事にしている 災害時の照明については 屋内専用として 灯りと暖房器具に使うための ポータブル蓄電池3台 屋内外用として マキタ製のバッテリーランタン2種を用意している さて 今回購入した 最後の道具というのは  イワタニの「タフマル」という 屋外用ガスコンロ 基本的には屋外での使用が望ましいが 屋内でも使用でき 火力が高く しかも風の影響を受けにくいことから アウトドアでの評価はすこぶる高い 燃料は CB缶を使う 北東北に位置する我が家では  冬場のことも踏まえると 気温が+5度以上で使えるブタンを主にしたCB缶だけでなく かなりの低温でも使える  イソブタンとプロパンの混合率を上げたものを 発電機用のCB缶も含めて 多めに準備している このタフマルは 発売開始当初から もうこれしかないと 心に決めていたが 先日 スポーツショップのアウトドアコーナーで ネットショップと同等の価格になっているのを見つけてしまった・・・ 何かとネットショップを使いがちになる私だが 地方経済の活性化は重要なことなので 即決で購入 もちろん 日常的にも使え ウッドデッキや 玄関前の大きな軒下で 調理を楽しむこともできるのはうれしい 災害時用の調理機材は 自作の薪ストーブ(焼き芋で何度も記事にしてきた) ウッドガスストーブ(大中小3台) OD缶専用ガスストーブ OD缶専用ガス炊飯器 IHヒーター(ポタ電を電源) それ以外としては これがひとつ...

シロアリ被害

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1997年10月から 現在の家に住み始めたので 新築から28年目を過ごし  今年10月以降で29年目となる 建築当時は 将来的なシロアリ被害を想定し 可能な限りの対策を施したのだったが 先月末の夏日になった日あたりから  壁の隙間から 羽根アリが出てきた 私のスマホ撮影では 当然ながらピンボケ 紛れもなく シロアリ・・・ 慌てた そこで いつお世話になっている工務店さんに連絡 さっそく 見てもらい 内壁の一部を剥ぐことに・・・ シロアリ駆除業者にも来てもらった状態で 壁を剥ぐと これを見た私たち夫婦は・・・言わずもがな・・落胆・・・ シロアリ駆除業者さんは 床下に入って調査し 他に被害がないということで 少し安堵したのだった・・・ そして 本日6月4日の午後に  薬品で対処してもらい  追って 6日に 工務店さんが来て 部材の取り替えなどを行ってくださるという流れになった さらに その後 壁紙の交換もすることに・・・ そもそも 羽根アリが出てきたのは 2011年の あの地震でできた この写真の柱上部の隙間から出ていた訳で・・・ 立て続けに起きた大きな地震もあり 「どうせ また大きな地震があるだろう」と思い 工務店さんに依頼することもなく 誤魔化すように  へたくそなパテ埋めをして やり過ごしていたのだった なので今回は ダイニングの壁紙交換ついでに この柱の左隣りにある    日光で色褪せしていたダイニング窓枠の下の部分を  小さな棚のように作り変える工事を追加発注した 震災後に放置していた部分も含めて 今回もまた 出費・・・ 暮らしていく上で 出費は欠かせないものだが 年金法改悪としか評価できない法案が  衆議院を通過したばかりで このままいくと 私の年齢だと  年金額においても 10%近くのステルス増税となる・・・ これは ぜひとも廃案になって欲しいところだが 立憲民主党も この案に同意していることから かなりの現実味を帯びた年金改悪となりそうだ 諸物価が高騰し 生活の質が悪化している現状を いつまで政府は無視し続けるのだろうか ここまでくると 厚生年金を受給している年金生活者であっても 夢に描いていた 退職後の今後の人生も かなり薄れた色になってしまいそうである 自民党には 絶対に投票しないぞ・・・

今日は静かに過ごそうと

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2025年になってから 2か月間をかけて行ってきた 柴刈り爺さんの法面整備作業も 休養をはさみながら 自分の身体の調子と向き合ってきたが ひととおり 法面作業が終わってみれば  自宅周辺で まだ作業が必要な個所が残っていた とはいえ 今日は3月11日  あれから14年  大切な友人や たくさんの知人が 空の星になった 気仙沼市だけで 新たな星が1200以上も増えてしまった日 そして 先日 我が家の福寿草が咲いた 福寿草が咲くと 春が来たなと思うと同時に あの日のことを思い出す 今日は静かに過ごそうと思う

柴刈り爺さんのひとりごと

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前回も記事にしたが 今年こそはと 意を決して取り組んでいる柴刈り作業 しかも 敷地西側の 水路脇と法面の作業だが 全長70mちょっとの作業のうち 水路脇と法面の下3分の1ほどを先に済ませていて さらには 北側の40mほどを刈り終えた あと残るエリアも 下の写真で見える範囲のみとなった 前回の投稿のとおり 下側は既に終わっていて 刈った草で水路は隠れているが  全ての刈り払いが終わったら 水路に被った枯れ草を除ける予定 とはいえ 長い・・・しんどい・・・ 今後の作業は 斜面にへばりつきながら 電動手鋏とハンディチェンソーで 3年越しに生長した木を伐り 細かくして法面の下に重ねていき 残った笹を 電動刈り払い機で処理するという流れ そして 一昨日の午後の作業で 残った南半分の15mほどを終えた 写真を反対側から撮ると 北側となる写真の奥側は すっきりした景色  さすがに3年も放置していたものだから 生長の早い木などは ハンディチェンソーが必要になるほどで なかなか作業は進まない 残る作業も あと2回で 終わると思われ すっきりとした法面に 春の芽吹きを感じられるようになるのだろう とはいえ 3月上旬に またもや寒さがぶり返すらしい スギ花粉の被害も始まり 目が痒くて 鼻づまりがつらくなってきた そして 心配なことがある 陸前高田は鎮火したものの 大船渡の火災が とんでもないことになっていることである 今も ヘリコプターが頭上を飛んで行った ヘリコプターの数が多くて  あの震災の時のことを思い出してしまう 残念ながら 亡くなられた方もいるようだが 早く 鎮火してほしいものだ

気仙沼市の賑わいが戻ってきているが・・・

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2011.3.11の地震と大津波で 壊滅した気仙沼の中心街が ほぼ その新たな都市計画通りに作られ  観光客も 震災前よりも増えた 有難いことに 多くの     YouTuber の方々が  気仙沼市の美味しい食べ物や 美しい景色を取り上げてくださっている 内湾近くのお店で買い物するため 山の尾根の自宅から 街に降りたが 他県ナンバーの車がたくさん来ていて  冬だというのに 内湾地域は かなりの人が出ていた とはいえ  前回の記事にも 少し触れたが      ※地方紙 三陸新報から借用 津波被害を受けた土地の半分が未使用・・・ 確かに 高台移転したり 他の市町村に転出したりと 中心街の人口密度が下がったことは 次の災害での人的被害が減ることは確実であろうけれど  減った人口だけでなく 物流コスト上昇という現況が重なり 家を建てるにしても 材料費が高騰し 若い方々が 家族のために家を建てられないという・・・ そんな中 国民の手取りを増やし ガソリン価格を下げるという 国民民主党の政策に 大いに賛同している方々も多いことだろう とりわけ  ガソリンや軽油価格の高騰は 多くの面で物価高騰に影響するものだけに 地域で暮らす者にすれば 死活問題 ぜひとも実現して欲しいものだと思っている 話を戻す 多くの空地が残ることで メリットも発生していて かつて気仙沼にはなかった 有名なチェーン店が店舗を出している 店舗数が激減した気仙沼市民にすれば ありがたいことだが  地元の商店街にすれば  これまた死活問題・・・ さて あと2年で70歳になる私たちの暮らしは 見通せない物価上昇の煽りを受けて 先行不安の状況 自らできることといえば 先ずは 大幅な断捨離で 新たに買うものは 必要なものだけに限り ミニマリストのように 物を増やさない暮らし方が必要になる あれこれと効率的に節約を考え とどまることなく連続し続ける物価高騰に 適応していかねばならない 減ることを知らない国の税収が 過去最大と言える状況は 私たち国民の暮らしを 圧迫し 見捨てているとも思われる現状・・・ 次の参議院選挙で 国民の意思が問われることになる・・・

ニッコウキスゲの群生地が危機的状況に・・・

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気仙沼市内のとある岬に  今年もニッコウキスゲが咲き出したと新聞に出ていた 和名は 禅庭花  英名は Yellow daylily 学名は へメロカリス 調べていくと どうにもしっくりとこない結果がつき纏う・・・ どうやら 学名と同定には混乱があるという??? 何故に 混乱・・・・ 今の時代になっても その混乱を解消できていない理由は・・・?? まあ 学者という人間が決めるのだから いずれ その時を待つしかないようで しかも  Googleで画像検索しても ニッコウキスゲではなく マンシュウキスゲと出るばかり 新聞が正しいとは限らないので やはり マンシュウキスゲなのだろうか・・・?? 分からない・・・・ 何はともあれ・・・ この時季になると 毎年のように  大好きな この花を愛でるために 車を走らせる 自宅から 車で30分ほど走らせ 岬の駐車場に車を停めて 遊歩道を歩き出す ニホンカモシカと思われる足跡が 遊歩道のそこかしこにあった 撮影上  うまく背景が整理できそうな一輪を見つけた 英名が指し示すとおり 朝に開いて 夕方には閉じる その日限りの 儚い花である 違和感を感じた・・・・ 群生していた筈の花が 周囲に見当たらず  次の花を探しても  その多くが 単体で咲いていたのだった シカが好んで食す花らしいが ニホンカモシカは食べるのだろうか 遊歩道から見える磯場は 霧に包まれていた そして昨年よりも 松枯れが進行していて とても残念な風景が目立っていた 松枯れにより 地表に当たる日光の量が増えたためか 下草が密生している場所が多く その下草に隠れるように ニッコウキスゲが咲いていた・・・ 途中 草刈り作業をする方々がいて  邪魔にならないよう 留意して通り過ぎたが 記憶にない場所に タブノキが育っていたことにも気が付いた この岬は タブノキが繁殖していて 特にここの神社には 大きな固体が多い タブノキを例に出したが  タブノキが問題なのではなく  増え過ぎた下草が問題なのである   かつてのようなニッコウキスゲの群生を 期待できなくなるほどに 環境が変化していたのだ あの震災で 海水を大量に被ったことも 松枯れの誘因になっているのかもしれないが   大津波の後 遊歩道の両脇には 新たに松が植えられて 既に 私の背丈以上にはなっており  タブノキとともに  この鎮...

3年越しのペール缶薪ストーブが完成

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2021年の3月12日の投稿から始まった 一連の使用済みペール缶を活用した薪ストーブ製作が やっと形になったので報告する 完成した 最新の姿が下の写真 次の写真は 2021年の第1作目 単純にペール缶をふたつ重ねて  上の缶だけ 加工を施しているという 今思えば あまりにも手抜きで 2重にしたことで さして暖かくもないという・・・ 今では この1作目で使っていた煙突を ダウンドラフト構造の中心部分となるヒートライザーとして 断熱材と合わせて 新たにペール缶の中に閉じ込めて活用し 1作目で使用したペール缶素材は 2作目で使い切った・・・ その2作目は ペール缶を横置きにしての製作構想だったが あえなく没・・・ そこで  理想とする姿を再確認した・・ 無煙燃焼により 鍋などの食器が煤けずに調理でき その熱い天板は 蓋を乗せればオーブンにもなるという そして 寒い冬でもストーブで暖がとれる  そんな理想的な屋外用薪ストーブを作りたい IHヒーターで調理をし 電気暖房に頼り切っていた我が家が あの震災で 本当につらい思いをしたことが そもそもの動機・・・ しかも  薪となる雑木は 西の森にいくらでもある・・・ そんな経過もあり 2年前に 理想を解決する構想が練り上がり 第3作目となった姿が つい先日までのもので 竈の高さが 現在の改良したものと比べて半分ほどで 竈部分の体積の不足のため 薪が少しでも太いと 竈に入り切れずに 写真のようにはみ出してしまう そのため 良好な燃焼状態を作るのに 何度も薪割りを強いられるだけでなく 扉を閉じられないので 爆(は)ぜた熾(おき)が  座っている自分の足元に飛び出しくる・・・ そんなことから 太い薪を使えることで手間を減らし しかも 扉を閉めても 燃焼状態の良いものにしたい・・・ そこで  竈部分の構想を練り直し 新たにペール缶を お世話になっている気仙沼スバル店さんからいただき 竈部分の作り直しにかかったのが 今年2月末 今回 新しくなった竈部分を ざっくりと説明すると ペール缶を逆さまにして活用し 下部には 灰を出すための 取り外し窓を付け 焚口には扉を付けた めざすところは 扉を常に閉じた状態での  中火の2次燃焼 天板には 上に載せるダウンドラフト部とつながる 炎が通る穴を開け  さらに 下部には 直径6mmの空気穴をぐるりと3...

落ち着かない一日

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あれから13年目の今日 朝から落ち着かない 起きて 真っ先に福寿草の鉢を見たら あれれ・・・ 鉢の中の土は凍っているけど もしかすると 今日咲くかも・・・と思い 我が家で一番暖かいベランダに 鉢を移動した 幸い 午前中は8度ほどの温度になるらしく  かなりの暖かさ 午前10時過ぎから 洗車することにした  この暖かさだと 素手で洗車できるのがうれしい 愛車のクロストレックが 融雪剤まみれになっているので  高圧洗浄機を持ち出し 丁寧に洗うことができた その後 福寿草を見たら まさかの 3月11日の開花・・・うれしかった 昼食後  やはり何かをしていないと落ち着かないので 東庭の春の準備 タマスダレの冬枯れの葉を除去し ラベンダーの周辺を整理していたら 午後2時を過ぎていたので 家の中に入った とはいえ リビングのソファに座る気になれず  うろうろしていたら あの時間になったので 玄関から外に出て 海の方を向いて庭を眺めていたら 広報無線のアナウンス 黙祷をする あの日以後 自分が変わった  小さいころからの泣き虫が  爺さんになって さらに泣き虫になった  気仙沼市内だけでも 1200人以上が犠牲になったのだから 多くの方々が家族や親族だけでなく   友人や知人を亡くしていた 誰しもが あの惨状がトラウマになっている  黙祷が終わり  また動き出した  何かをしていないと落ち着かない・・・ 今度は家の中の整理や掃除を始めた ずっと動いていたので 身体が休めと主張し始めた 背中や腰が痛みだしたのだ  仕方なくソファに座り  大相撲2日目を視聴し始めた いつの間にか 居眠りをしていた 目が覚めたら 幕内後半の取り組みになっていた  宮城野部屋の騒動など どうでもよくて  ただひたすらに 東北出身の力士を応援する私 相撲を見始めたら だいぶ落ち着いてきた 生々しい震災の記憶に重なるように コロナ禍となり  さらには  ロシアが戦争を始め 悲しい世界情勢だが 今日 福寿草が咲いたのは  何か良い知らせがあるのだと思うことにした

あの日に近づくと 気持ちも空も重くなる

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3月8日 早朝から雪になった 朝起きた時には うっすらだったが それから1時間ほどで こんな景色に・・・ 気仙沼には 大雪着雪注意報が出ていて 今も どんどん降っている あの日のような・・・ TVなどでも あの日関連の番組が増えてきた 日に日に 気が重くなる 直後は 途方に暮れていたが 日が経つにつれ  たくさんの友人知人の訃報を知ることになり そうだったかのと 涙した 混乱の中にあったこともあり 自分と妻と義母の その日のこと そして 離れて暮らす子供たちのことを考えるのが精一杯だった この時季は 何かをして気を紛らわすしかない 幸い  明日も雪予報で 除雪作業に明け暮れることになりそうだ 身体は疲労するけれど 気持ちは楽である