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ささやかな夢だったこと(追加修正あり)

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昨日に投降した内容の時間軸が前後していたり 文章的に不足していたことで  読んでくださる方々に申し訳ないと思い 修正を加えたことをご容赦願いたい 私には 子供の頃からの ささやかな夢があり それが 60年ほどの時を経て 今 やっと形になってきた感がある とはいえ 人はそれぞれに人生の荒波があり 御多分に漏れず 私にも何度か訪れた でも今は 共働きで苦労した子育ても すっかりと終わり 子供たちも家族を持ち 経済的にも完全に自立し 残った親の介護も 義母ひとりだけとなり その義母も 8年間続いた自宅介護を経て  昨年から施設にお願いすることができた 介護生活から解放されて1年半が過ぎた今 私が 中学生のころに思いえがいていた ささやかな夢が やっと形になったような気がする その頃の私の家は 父が経営していた仕事が傾き さんざんな貧乏生活を強いられていた時であり 思春期の入り口にあった自分にすれば 将来の自分の家族には 経済的な苦労だけは絶対にはさせたくない そんな思いを持ち続けて 今の年齢になった  その頃は 自分がどのような仕事に就きたいかも 定かではなかったが  自営業だけは絶対に嫌だと自分で決めていた その願いどおり 安定した職業に就くことができ 退職して10年が過ぎた今 現職時代に繰り返した仕事上の失敗や後悔 そして  精神的に だいぶ追い込まれていた過去も  時間とともに薄らいできたことが何よりだと思う 今年70歳となる私だが  まだまだ幼い自分がいることは事実 その部分は 妻がしっかりとカバーしてくれていて 良い妻と巡り合えたことに 感謝するばかりである 妻の今は  あの震災後に 片足ずつの手術を経て 今では両足に人口骨が入り  身体障がい者手帳を持つようになったが 歩けなくなると思っていた不安が 妻の努力で消え 家の中では クラッチ(杖)無しでも歩けるようになった 施設にお願いしている義母の面会も  自宅から直近の施設でもあり 気軽に通えるのが 何よりもありがたい 今の暮らしは やっと追い求めていた 柔らかな風が吹く 森の中の静かな日々となった とはいえ 最近のクマ騒動で 不安な気持ちもない訳ではないが ふたりの時間を少しでも長く楽しみたい そんな思いから 年に数回の旅を計画している 今年は 金沢に続いて 北海道への旅も終えた 北海道旅は 昨年に続き2度目...

予約注文していたものを手に入れた

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昨年に購入していたコメリ製のレジャークーラー(22L)は ひときわ優れたコスパで 活用度も高かったが 車旅を楽しむ私たち夫婦にすれば もう少し 小さめのサイズも欲しいと感じていた そんな折 この春先に 2026年モデルが発表され 新たに 15Lサイズが追加されたことを知り 即 ネットで予約注文をしていた 大きな街ならば 既に店頭に多数並んでいるらしいが 過疎化が止まらない田舎では 最寄りの店頭に並ぶことはなく 5月19日に やっと手に入れることができたのだった 22Lと同様に真空パネルが入ったモデルで メジャーな他社製品の 4分の1程度の価格で しかも性能は同等(以上?)という 驚きのコメリ価格・・・ レジャークーラーは 今や必需品であり いろいろなサイズがあることは望ましいが 保管場所に困るため 敬遠されがちな 生活用品でもある  我が家の場合は あの震災経験から  災害時に冷蔵庫から食品を移動するため  ハードタイプの 53L(冷蔵品用) 40L(冷凍品用) 旅行(車載)用として  とりわけ長時間の保温が効く ハードタイプ(真空パネル)が  22L(昨年購入) 15L(今回購入) 日常的な買い物用として ソフト タイプ(折りたためる)が 20L 7L そして 海釣り専用として 魚臭くなってしまった  ハードタイプの 17Lがある 総数は 7個 かつては 70Lというサイズ(海での大物釣り用)もあったが 船で沖に出かけることもなくなったので 欲しい方に差し上げた あると便利なレジャークーラーだが 置き場所に困るということも事実 我が家も サイズを考えて  家の中に分散させるしかなくて・・・ 私たち夫婦のお楽しみが車旅であり 特に今回の購入で  旅の楽しみが さらに広がった さて 次なる旅行計画は・・・

2026年5月15日の地震について

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 震源地が まさに気仙沼沖の直近だった 気象庁の発表では 気仙沼市の震度が4という発表だが 我が家は それどころのレベルではなかった 我が家の地盤の影響もあるかとは思うが 震度5は確実にあったと思われた まずは 妻も私も無事であり 家の中の破損等は無かったのだが  2階の書斎の本棚から数冊落下した程度で済んだことは幸いだった  これから 本棚の耐震部の緩みを確認し 必要に応じて 対応するつもりである 自宅外壁の破損やひび割れ等については 明日の朝に確認しようと思う あまりにも震源地が近いため  スマホの警報は 地震の後になっていた あの日のことが 瞬時に思い起こされた私たち夫婦だった

藤の花の季節になり

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我が家の周辺の藤の名が咲き出した いつも連絡してくださる友人の投稿を見て 一関市松川にある藤棚を見るため  妻と出かけてきた その友人の自宅すぐ近くの道路を通過して 辿り着いた場所は こんな奇妙な案内が建っている場所で 「東北砕石工場」の名が刻んである この工場は あの宮沢賢治が病に伏す直前に働いていた工場で ファンの方なら 一度は訪問したことがある場所 この藤棚は その工場裏の斜面の上にある 見事な花穂の長さは いつも圧巻で 一眼レフ持参の女性が 夢中になって撮っていらしたのだが 邪魔にならないよう離れて動いていた私たちを 気遣ってくださったのか  女性から声をかけていただいた  この日の夜から 夜間のライトアップがなされる予定だとか・・・・ 全国的にみれば 規模は小さいのかもしれないが  私にすれば 何物にも代え難い場所である つい先日のことだが  庭を掃除したばかりだというのに またもや 暴風警報が出て  我が家の自宅南側敷地の砕石部分には 西側のスギ林から 大量の枯れ葉が落ちて 手前となる東側から西へと またもやブロアーで吹き集めていたが ここまで集めてみて 今回の量に驚いた訳で・・・ こんなにも風が吹き荒れたのは この場所に住み始めてからの30年で 初のことだった 昨日 お天気に誘われて  藤の花を見ようとおでかけしたのだったが 花を見るまでは 暴風の被害はなかったのか 少しばかり不安だった私・・・ とても良い状態だったことに安堵した  毎年恒例のお楽しみであり 管理されている地元の方々に感謝するばかりである 藤の花を愛でてから 平泉にある和菓子店に お気に入りの菓子を買いに行き 一関市内で食事と買い物を楽しみ のんびりと帰宅したのだった 夕食後の話題は 今年再訪する予定の 北海道帯広市の話や 釧路 富良野の観光情報について 妻の希望を踏まえながら あれこれと話をした 昨年は 桜の花が咲き出す直前の帯広を訪れて  雪が残る十勝地方を楽しんだが 今年は 花が咲き乱れる季節の帯広を楽しみたいと思っている

若葉の頃を過ぎて・・・そして暴風警報

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金沢旅行に出発した日は  気仙沼市の桜が 満開になる直前で  山々の木々も 新緑の芽生えが美しくなっていたタイミングだった 金沢旅行から帰宅して 一週間後には 予定していた 義父と義祖母の仏事(法要)を済ませ そこから あたふたと自宅の環境整備を続けてきた私 先ずは 暴風のために スギの葉や 枯れ枝が散乱してた宅地内を ブロアーなどで清掃し 次に 満開になっていたチューリップ(約90球)が ちらほらと花弁が散り始めたので  地中の球根を育てるため  早めに刈り取って 手にしてみれば 空も青くて 写真になるかなと思い まあまあかな・・・自己満足 その後の 雨あがりの朝 さらには 数年間さぼっていた カーポート屋根の汚れがあまりに酷く 指先で触れてみると  今年の大量のスギ花粉が そこに重なり まるで泥のようになっていたことに我慢ならなく 洗浄を決意 合掌型の2台分のカーポートから始めた 市販の旗立て竿に やはり市販のドライワイパーをネジで固定した オリジナルの道具の先に 台所用スポンジを3枚固定し ホースで水をかけながら 洗浄を進め  半分を終えて 下から見上げると 著しい左右差に 軽く驚いた私 残る北側の半分は かなりの差が出てしまったのだったが この日はこれで時間切れとなり  残る作業を翌日以降にまわしたのだった その翌々日に 北側半分を終え  軽自動車を置いている もう1台分のカーポートも終え 雨樋も洗浄を終えた後 コンクリート面も洗浄したのだった 私の車の向こうに 妻の車が見える 空の青も 見通せるようになった 家の中にいた妻を呼び この視点で カーポートを眺めた妻は  「お~」と 声を上げた  この数年間 汚れたまま手を着けなかったのは 2種類の脚立と 20mの高圧ホース そして高圧洗浄機を使い ひたすら水をかけながら 汚れを落とすという作業が  あまりに大仕事だったこともある  その後は  エコキュートの土台部のコンクリート表面の塗装を終え さらには  南庭の草地の手入れと 列植してあるレンギョウの花後の手入れを行い  すっきりと きれいになった南庭  その翌日には 水洗いだけしてごまかしてきた 愛車を カーシャンプーを使い 高圧洗浄だけでは落とせなかったスギ花粉などを しっかりと落とし ボンネットの鉄粉を除去した もちろん 妻の車も同様に しっかりと洗浄...

金沢市への旅3 ~ 一乗谷朝倉氏遺跡へ ~

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4月15日のこと 前日14日の夕食会は  本当に楽しい時間を過ごすことができた 半世紀も前の友 しかも大学時代の4年間を同じ専攻で過ごした友 稚拙な私にすれば その友の人間性に学ぶところがいくつもあり その友の言葉が放つ魅力に いつも耳を傾けていた私 岩手県一関市という 東北の小さな町の出身である私は 愚直極まる性格で 思考回路も融通が利かない 金沢という 歴史のある都会生まれの友に  私は 輝きを感じていたのかもしれないだけでなく 彼のウィットに富んだ発信にも魅力を感じていのだった 大学を卒業してから ほぼ半世紀が経ち 互いに さまざまな苦労を重ねてきて こうやって再び会えたことは ありがたいことだと思う さて15日は  お天気は 朝から雨・・・ 前日の 友からの願ってもない提案に  ありがたく甘えさせていただき  福井県の一乗谷遺跡見学となった 朝9時 ホテルの前に友が車で迎えに来てくれた 妻と私が乗り込んで 挨拶をする 金沢市周辺の遺跡としては  ぜひとも訪れてみたい場所の候補の筆頭が 一乗谷遺跡であっただけに  ありがたい限りだった 私たち夫婦にすれば 初の福井県であり 雨が流れる窓越しに見える 道路上の地名表示のひとつひとつに 心が浮かれていた 一乗谷に入り 復元町並地区の駐車場に車を停め 友は「車で読書しているから ふたりでゆっくりと見ておいで」と・・・ 私たちの歩く速度は遅く  ましてや このような表示があると  そのたびに あれこれと話を交わしながら移動するという 超がつくほどのスローペース 発掘された石垣を そのまま町の再現に使っているらしく・・・ 途中 どちらかが何かを見つけると  常に その話題を共有しては 話を交わすというパターンで そのスローな私たちのペースが 友には申し訳ないと思いながら見学をしていたのだった  桜をみつけて うれしくなった 桜は 農業と結びついた 時節の報せ そして 私たち日本人の精神性と深く結びついた樹木 桜を じっくりと眺め かつて栄華を誇った 朝倉氏城下の豊かな暮らしを思い浮かべていた この再現された町並みと 県道を挟んで向かい側に 朝倉氏の邸宅跡があり 友からも行っておいでと促され・・・ 友が待っていてくれることに感謝しつつ 小さな川にかかる橋をわたり 堀を右に見て 苔むした屋根の唐門をくぐり とても広い朝倉館跡...

金沢市への旅2 ~友との再会~

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お詫び 前回投稿の 文末の数行が消えていたため追加しました 先ずは 20日午後4時52分に 岩手県宮古沖で発生した M7.7 最大震度5強の地震で  確認できた現在の情報について記す 気仙沼市でも津波への最大の警戒をしたのだが  津波は 気仙沼市45cm 南隣りの南三陸町は60cmと発表された 昨年の青森県東方沖地震による津波では  かなりの被害額が発生したカキ養殖業者だった 今回は ほとんど発生しなかったという 複数の業者本人が発する SNSの一次情報に安堵した私だった さて 金沢旅行の 4月14日のこと この日は ホテルに車を置いたままにして タクシーで移動するものとし 午前中に金沢城 午後に兼六園を見学し 18時からは 大切な友が設定してくれた夕食会という流れを組んだ この計画に至るまでには 少し経緯があったので記しておく 当初 妻が希望する見学先は  茶屋街などにも行きたいとの主張だったが その距離と時間からして もっと少なくすべきだと 私が主張した  妻の足のことを考えると その希望は納得できなかったのだ それに対し妻は「ここまで来たんだから がんばる」とのこと とはいえ 足の負担を考えると  精神論では解決できるものではなく 無理をすることで 両足の再手術となる可能性も否定できず 妻を説き伏せた 妻が行きたい場所が たくさんあるのは理解できる 私も同じ気持ちだった 事前学習をすればするほど 金沢市は見どころが多すぎるのだった 何処でもそうだが 私たち夫婦のペースは遅く  3泊4日では 到底無理なこと ましてや 翌日は福井県の一乗谷見学という流れ  金沢をしっかりと見るには  最低でも一週間くらいないと 私たちには時間が足りなかった ホテルを出発する直前まで  金沢城と兼六園の高低差を あれこれと調べられる範囲で検討してはいたが 高低差だけではなく 歩く距離もかなりあり しかも 片手松葉杖をつく妻の移動速度は遅く 坂や階段となれば さらに速度は落ちる  一気に金沢城と兼六園を回るのは  やはり妻の足に 無理をかけ過ぎることが予想され お昼には一度ホテルに戻り 妻の両足を休ませる時間が必要だと判断した 妻の気持ちはわかるが 納得してもらうしかなく 予定外の出費を覚悟で その都度 タクシー移動とすることにした 午前は金沢城の石川門前 午後は 複数個所ある兼六園...

金沢市への旅1 ~友に会うために~ 追加修正あり

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学生時代の大切な大切な友に会うため 石川県金沢市まで 妻とともに5泊6日の旅をしてきた 旅といっても 長くても一週間ほどの小旅行に限られ 施設にお願いしている94歳の義母は  もともと胃腸も丈夫で 今も自分で食事ができていて  もしかすると 100歳を越えるかもと思えるほどだが 気楽に長旅をすることは 控えているのだった  さて 初日である12日は  午前6時30分ごろに自宅を出発 この日は 暴風警報が出されていて  東北道を南下していて  強烈な西風に 車体が安定せず  時には 大きな枝が飛んで来ることもあり  とても緊張を強いられた 常時4WD走行のスバル車を 4台乗り継いできた私だが  これほどまでの経験は初めてのことだった 郡山から磐越道に移ると 防風圏域から外れたのか 嘘のように 風に悩まされない走行となった  新潟市を通過して 長岡市に入り 午後3時近くに  予定していた 河合継之助(つぎのすけ)記念館の駐車場に着いた 駐車場はわずか4台程度しかなく 運良く利用できたのでひと安心 河合は 幕末に活躍した歴史的人物 戊辰戦争において  奥羽越列藩同盟にあった長岡藩の筆頭家老として  新政府軍と共存する道を探り 和平を願って行動したが 聞く耳を持たない新政府軍は  河合が差し出した嘆願書を読むこともなく拒否 やむなく河合は 決戦を決意  最終的に河合は  足に被弾したことが原因で命が尽きた 奥羽越列藩同盟の戦史において 長岡藩の戦いは  会津藩と同様に 歴史に残るものである 館内では 妻も私も会話することも忘れ 目を皿のようにして 資料を見てまわった 小さな巨人の生き様を しっかりと記憶に残すことができた 次は そこからすぐ近くにある 山本五十六記念館へと移動し 同様に 夢中になって資料を見てまわった 平和であることを希求し続けた 長岡出身のふたりの巨人 時代は大きく違えども 戦争という運命に振り回された ふたりの生き様を あらためて知ることができた さて この日の宿は 長岡市のルートインホテル 今回の旅のすべては ビジネスホテルを利用したのだった 初日の走行距離は449km 暴風の東北道で疲れきった私は すぐに寝入ることができた 13日は ホテルを9時ちょっと過ぎに出発した 今日の目的地は 金沢駅西のダイワロイネットホテルで  午後2時あたりには ホテルに...

報告 ~20日16時53分の地震~

4月20日 16時53分の地震についてですが こちらは 妻も私も無事です 妻が外出から帰って来て間もなくのことだったので 安堵しました かなり大きな揺れだったのですが  多少の物の移動があった程度で  被害というほどのものではありませんでした 自宅は 海から離れた 山の尾根にありますので 津波の影響は皆無です 再び大きな揺れが起きる可能性がありますので これから災害準備品の確認を行います  

今だからこそ  ~大切な友と再会するために~

ほぼ半世紀ぶりに再会できた  石川県在住の 大切な大切な友がいる 学生時代に 同じ学部のしかも同じ専攻で学び たまたま その友のお姉さんの嫁ぎ先が 私の出身地である一関市だったということもあり 自然に その距離が詰まったことが思い出される 学生時代の4年間は その友がいてくれたことで 精神構造の幼い私は 本当に助けられたのだった この年齢になり  やっと半世紀ぶりに再会できたのが  昨年のことだった 友が 一関在住のお姉さんのところに寄った後 気仙沼まで来てくれたのだった 顔を見た時は 手が震え 本当にうれしかったことを鮮明に覚えている 私の学生時代は 恥ずかしいほどに 幼くて愚かだった・・・ そんな私が  他者と比較しても 何も始まらないということに やっと気が付いた時には  人生の半分が とうに過ぎていた 自分の良さというものは どんな部分なのか そこに気が付くのが あまりに遅かった 自分の人生は 多くの方々のおかげで 今ここにある もちろん その大切な友の 豊かな人間性に  多くを学んだことはいうまでもない 退職して12年にならんとする今 過去となって久しい 仕事上の成果は  人によっては その人生を誇る 重要な要素かもしれないが  私には そのように誇れるものはない 仕事を辞めて 無職となってからは 家族のために 自分の時間を費やすと決めてきた 自分だけが思う 「自(おの)が人生」を  退職後に 新たに歩き出すと 心に決めたのだった 公(おおやけ)の職にあった自分は  心身共に 疲弊しきっていて 早期退職を選んだ それは 自分の身体も心も 弱かったからであり もうこれ以上は続けられないと 判断したからである 「逃げた」とも思われるだろう  「逃げた」と評価する方は  おそらくは強い心をお持ちなのだろう 幼い頃から感じていたように 自分に自信が無い私でも 運良く 最愛の家族を得ることができた 石川県在住の その大切な友は  仕事と併行して 自らの学びを深め  大学での職を得るまでになった 敬服するばかりである    私はといえば 仕事をしながら修士学位を取得するため 学びを続けてはいたが  単位を半分ほど取得した頃に起きた あの震災で 心が折れてしまったのだった  震災以後の私は  あの惨状によるトラウマが生じてしまい 何かにつけては 手が震えたり 涙が出る始...

墓参りの後は

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母の命日には 少し早いが 墓参りのため 一関市まで出かけてきた 一関市は 桜が咲き出して  ところどころ満開になっていたこともあり あまりに慣れた道であっても ドライブが楽しめた やはり桜は良い  咲き始めの今は 実に心が浮かれるものだ お寺の駐車場に車を停めて  墓参する 愛車の背後にある桜は 咲き始めだった 母が旅立った日は 桜が満開だった  奥羽山脈には しっかりと雪があり 清々しい青空の日だったことを思い出した 私の墓参りは 生花をいつも用意しない  枯れた花を誰が片付けるのか・・・ 私の兄は 42歳で他界したのだが  その家族が  墓の維持をしてくれていることもあり  迷惑はかけたくないからである 手を合わせた後 お茶・水・菓子を片付けてから 車に乗り込んだ  一関市内で昼食をとり 少しだけ妻の買い物をしてから 自宅まで帰宅  帰り道は 母に もっとこうしてあげれば良かった・・・と 後悔ばかりが 頭の中で繰り返された 自分の人生を 84歳まで懸命に生き抜いた母  54歳で早くに他界した父も 戦後の混乱の中を  自分の持てる技術を生かし 懸命に働き 働き過ぎて 命が尽きた  その息子の私は 今年で70歳になる そんな私にできることは これからも変わらず  娘家族と息子家族のため そして 妻のために  私の時間を使うこと・・・ 本来なら 長期の旅に出かけたいところだが 施設に入所している 94歳の義母のことは 常に気がかりでもあるため  小旅行となるのは 致し方ない 暖かくなってきた今 ともに70歳となる夫婦は いい加減に冬服を仕舞い込んで 春の服装で 背筋を伸ばして動き出したいと思う

妻の車のタイヤを新調

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春は 税金等の出費が嵩む時季だが 今年はさらに上乗せ・・・ 妻の軽自動車の夏タイヤを新調しないとならない状況であり 10年目となる軽自動車だけに  当たり前だが 安全装備類もその10年前のレベル・・・ でも妻は 「市内だけしか走らないから これでいい」との主張 ゆくゆくは  妻の所有の軽自動車1台のみで暮らすことが理想であり 私のホンダ・モンキーというバイクを ファミリーバイク特約で その車の任意保険に追加すれば 妻の身体障がい者手帳で 自動車税が非課税となることもあり もっとも経済的な選択となるのであろう その点で 考えれば  軽自動車よりも 1500cc程度のハイブリッド車の方が 更に経済性は高くなる あらゆるラニングコストと 少し遠出もできる小さめの車の選択が 最も理想とするところとなる まあ 数年先のことになるが・・・ という訳で 今回選んだタイヤは             ※横浜タイヤHPから借用 新しくなったブルーアースを選択 気になっていたベーシックなタイヤで 久々のヨコハマタイヤを履かせることとなる お世話になっているお店に注文をしたら 入荷を待つことになった もちろん 妻の車での遠出はせず それ専用は やはり私の車 とはいえ 新しいタイヤで市内を走ることは ささやかな楽しみなのである  

花粉症に悩まされて

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もともとアレルギー体質ではあるが 一番恐れていたアナフィラキシー症状も運良く再発せずに この年齢まで暮らすことができた とはいえ 現代病のひとつでもある 化学物質による過敏症が発症し 自宅での生活には 支障がないものの 包装紙や書籍の印刷インクや 化粧品などに 酷い時には 眩暈や頭痛 吐き気が生じてしまうようになってしまった はてさて あまりに激しすぎる今年のスギ花粉には  さすがにまいっている・・・ こんな時は 目や鼻腔の洗浄は当然のことで さらには 2月の時点で 眼科と耳鼻科の医師から処方された 薬によって なんとか暮らせている ちなみに  我が家のカーポートの屋根には スギ花粉による風紋までできるほどで まあ 背景には 杉の木立が見える環境では どうにもできないが・・・ この西側の土地の所有者は  ここ数日をかけて  我が家から100mほど先から こちらに向かって 太い杉の木の伐採を始めたようだが 残念ながら 我が家の背後にある 細い杉の木は  伐採する予定がなさそうで・・・ そもそも花粉は 風に乗って運ばれるものも多いのだろうが 花粉が降り注いでいる我が家としては  どうにもならず しかも今年は 恐ろしいほどの量で 花粉症のない妻ですら 目がごろごろするという・・・ ここに 春の黄砂が混じると  えらいことになるのだが・・・ 金沢に旅行する頃には 花粉が大幅に減ることを 祈るばかりである

今年も記念月を祝う

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3月は 私たち夫婦の結婚記念の月で 今年で44回目となる  何やら調べてみると トルコ石婚と呼ばれているようだが 次回は こんな私ですら知る     サファイア婚 そんな44回目のお祝いを  いつものお宿で行ってきた いつものお宿と言えば  花巻「志だて」か  松島「一の坊」で 昨年が花巻だったので 今年は松島を予約 「一の坊」は 何といっても  食にうるさい気仙沼人を 納得させてくれるような料理を提供してくれる宿 しかも  美味しければ おかわりも自由という そんな夢のような宿 妻にとっては  和洋のお料理が自由に選べることが 最大の魅力であり そのすべてを一品ずつ食べても すべては食べきれない しかも デザートも多様で それらすべてが美味しい・・・ 次の誕生日で70を迎える私たち夫婦にとっては  自制心をもって 食を楽しまないといけない訳だが  幸いにして 食べたら体重が増えるだけという 単純な食事制限の夫婦 目の前で綺麗に盛り付けてくれる美味しいお料理と 肌がすべすべになるアルカリ泉の温泉を楽しみたくてのこと お宿に着いたのは 午後2時半で  チェックインの際に フロントスタッフから 「いつもご利用いただきありがとうございます」と 丁寧なごあいさつをいただいた  今回は この宿の利用も記念すべき10回目 少々お高い宿だが それ以上の価値があることは明らかで・・・ 慣れ親しんだ ハンモックが付いた お気に入りの部屋に向かう 部屋に入り 「ふう~」と声が出た  というのも この日は スギ花粉の量が凄まじくて 水平線が見えず 海の色も緑がかっていて  天頂部すら 青空が霞むほどで 最悪の飛散状況だったのだ 荷物を降ろして すぐさま うがいと手洗いを済ませて お風呂に向かった私たち 温泉を楽しむことはもちろんだが  何よりも 花粉を落としたかったのだった 子供のころからアレルギー体質で  10歳の時に 今で言う アナフィラキシーショックを起こし  全身が腫れあがり 呼吸も苦しくなったことで 病院に運ばれたことのある私    当時は そんな用語もなく 不明な症状のため カルテも別管理され 多くの予防接種は 医師から禁止され続けた  さすがに この歳になれば  予防接種もできるようになったのだが 形が変わり 今では 化学物質アレルギーになってしまい  暮...

また買い物したの?・・・予約ですが・・・

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また買い物をしてしまった  暮らしを良くするための買い物で  昨年購入したコメリの真空断熱パネルのレジャークーラー(22L)は  その性能と価格が不似合いなほど素晴らしものだったが いかんせん 私の車に積み込もうとすると その寸法(高さ)が ちょっと厳しくて  もう少し高さを抑えた15Lほどのサイズが欲しいと思ったら な・な・なんと コメリから新たなサイズ展開での発表があり しかも 求めていたサイズのクーラーが出たことを知り 妻と相談た上で予約した 主に妻のお買い物(冷蔵・冷凍品)に使うのだが   やはり 車で出かける時には ほど良く小さいものがあると 限られた荷室空間をより活用できる訳で・・・・ しかも  他社の真空パネル品と比べても 驚くようなコメリ価格 性能で考えれば これは買うしかなく 今や 私たち夫婦の暮らしの必需品 災害時においても必要なことは歴然で サイズやその構造で 使い分けできるのなら それに越したことはない 全く予想を外さない妻の反応は・・・  「これで 旅行先でおいしいケーキを買って ホテルに戻れるね」 とうれしそうだった おいおい・・・甘いものだけではなくて~ まだ 買ってないんだから~~ サイズが気になる方もいらっしゃるかと思い  少し 余計なお世話を・・・ 15年前の震災の時は  震災から3日目にして 仮帰宅できた私は  自宅の被害状況を確認した後 冷凍庫の中で 既に解凍し終えていたものも含めて 少しでも冷えている食品を なんとか生かせないかと思い 持っていた50Lの大きなコールマン製のレジャークーラーに 使えそうな食品を詰め込んで  やっとできた着替えを済ませた後 防寒対策を増やし  すぐに職場に戻ったのだった・・・ その翌日のことだったが 車を流され 別の場所に避難していた妻が 10km以上も歩いて私の職場まで来てくれて  互いの生存を 初めて実感できたのだったが 私の車で 一緒に帰宅し いざクーラーを開いてみると 食品から出た水が 腐敗臭を感じさせるものになっていたのだった 外気温が低いので なんとかなるのではと思っていたが やはり 無理なものは無理だった訳で・・・ 以後  レジャークーラーの所有は   ①コールマン  50L   ②ダイワ 40L これら2つは 災害時専用で ➂コメリ 22L ④コメリ 15L(今回予約) 以上がハ...

テレビの新調

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昨日は 15年目の節目とやらの特番が 盛んに流れていた 何が「15年目の節目」なのか? 10年目の時もそうだったが  節目とやらいう言葉を 何でこのような大災害に付けたがるのか・・・ 偏屈な私には まったく納得できないまま 2026年3月11日が終わった 足の悪い妻にとっては 一日の暮らしの多くが 読書するかテレビで過ごすのだが  テレビが大好きな妻ですら  「どのチャンネルをかけたって 津波の映像ばかりで 気が滅入る」と・・・ 録画していたテレビドラマのストックを減らすことに努めていた そうだった テレビのことだった 3週間ほど前に 突然 テレビチューナーが壊れて 受信不能になったのだ 震災後に買ったソニーのブラビアだったが 10年が経過していたこともあり 妻と量販店をまわり 新しいテレビを決めたのだった それから一週間ほどかけて 妻はデッドストックになりかけていた HDに録画していたドラマを視聴していた 私は テレビは余程のことがない限り見ることはなく そんな習慣が かれこれ学生時代から続いていて テレビへの信用度(特にニュース番組)は とても低くて 新聞への疑念もかなり高いという偏屈者・・・    時にはテレビも見るが 主にスポーツ観戦か映画程度なので 妻は 新しいテレビが来るまでの間  接続しているHDのお掃除をしていたのだった 購入したテレビは 量販店の展示をあれこれ見てまわり 我が家のテレビキャビネットに入るサイズぎりぎりの シャープ製43インチと決めた それが      ※画像はシャープのHPから借用 量子ドットテレビの綺麗さに驚き  少しお高いが 10年楽しめたら かなりのコスパだと思っての決定だった もちろん HDも4Tという 大きなサイズで 10年前ならば考えられないほどの価格で 日本エレコム製品を購入した シャープは かつてのような純国産ではなく 今では  台湾のホンハイ精密工業も関わってはいるが 量子ドットの圧倒的な画像に心が奪われたのだった さっそく妻は お気に入りのドラマを たくさん予約していた 私も NBAバスケットボールを観戦してみたら  これまでのテレビとは 画像も音も雲泥の差だったことに驚いてしまった そこで 処分したテレビと一緒に使っていた ヤマハ製スピーカーシステムまでも取り外し 近いうちに 市の処理施設に運んで 処分すること...

気持ちが落ち着かない日々

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毎年 3月11日を前にすると  何をするにも 気持ちが落ち着かなくなる 特に オールドメディアが ここぞとばかりに特集を組んで 取材のために 取材集団が町を闊歩する日が続く 正直なところ 静かにしておいて欲しいというのが 私たち夫婦の気持ち 忘れたくても 忘れられない気持ち 壊れた市街地と 真っ黒な煙に映る 燃え上がる炎の赤い色  あの時は 気仙沼が終わったと思い  以後は 生きていくための繰り返しで時間が過ぎていたことを思い出す あれから15年 今の気仙沼市の状態を想像すらできなかった   そして 先日の3月4日の 当地方の新聞が載せていた記事 残っていた工事が やっと今月末に完了するという 震災から15年かかって  これで やっと終わることになるのだろうか あの年に生まれた子供が 中学3年生になるのである  ここまでに至るまで かなりの紆余曲折があった あろうことか  宮城県知事による住民感情無視の発言や威圧的な態度により  2度にわたる土地嵩上げ工事が命ぜられ 工事が敢行された     震災後に嵩上げした土地に建て物を建てた水産加工場や商店では  2度目の嵩上げのために また作り直しをするなど 過度とも思える負担増に 再建を諦めたところも・・・ 今月末に終わる工事は 防潮堤の出入り口にあたる閘門(こうもん)で 昨年夏の地震津波の際 閘門が閉じられないという事態に陥っていた さて 話を戻す  この日が来てほしくないとは思いながらも  3月11日はやってくる  黙祷の際には 亡くなった友人や よく知っている子供たち お世話になった方々の姿や その笑顔を思い起こし 静かに 過ごそうと思っている

暮らしを維持していくということ

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昨年の初冬に始めた 西側法面の柴刈り作業は 結果的に 全面を終えるまでには至らない あまりに半端な状態でシーズンが終わった というのも  本来なら作業の中心的な期間となる1月下旬から 2月の中旬の外気温が  69歳の腰に持病を抱えた爺さんには あまりにも低温だった 例年同様の衣服で最低限の暖を確保した上で 一度は試みたものの やはり厳しかった 既に投稿したように  1月上旬から2週間ほど  経験したことのないほどの咽頭蓋の炎症が起きて  微熱と通院が続いたことも 作業を滞らせた理由のひとつではあるが 気仙沼に住んで44年にもなるのに 初めて経験する あまりにも長期的な低温に負けてしまい 冬場の環境整備を敢え無く断念するしかなかったのだ 何故にそんな寒い時季に作業をするのかといえば 気温が下がると動けなくなる害虫が多いからである さらには 広葉樹を伐採して 薪を作るのに好ましいタイミングだからでもある 薪は主に 災害時に使用する薪ストーブで使うためだが 薪というのは いつまでも保存できるものではなく 虫食いが発生し 薪としては使えなくなってしまう 以前に用意した薪は 5年前のものが多く 燃料としては不適切なレベルに近づいた そして 雪も終わりだと思っていたら 積もった・・・ 雪が降ったのは 一昨日だったが  昨日の最高気温は3度で  しかも終日曇り空のため 日照取得ができず 家の中は寒いだけで 暖房使用は必須 何せリビングは 吹き抜け構造なため 最も大きなクラスの家庭用エアコンだけでは 風が煩わしく感じられるため じんわりと温めてくれるペレットストーブは 大活躍 今年は 例年にない寒さのため  木質ペレットの消費は 例年よりも多かった これまでなら 多くても年間で75袋以下で収まったが 今年は それ以上になり 結果的に90袋を購入した 1袋10kgなので 900kgを買ってきたことになる この暖かさを 一度経験してしまうと 片道7kmほどの運転をして 何度も木質ペレットを買いに行くのも 苦にはならない とはいえ  既に高齢者の仲間入りをし  次回の運転免許更新から 高齢者講習の対象になる私 ポンコツの身体が動く限りは  我が家の暖炉でもある ペレットストーブの火を 心地よく眺めるため 地味に買い出しに行こうと思う さて・・・ 最近になり 人生最後の車選びを考え始めてい...

春が来た

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午前7時に  リサイクルゴミの処分に行こうと 玄関から出たら  南側の欅の木の方向から ヤマガラの地鳴きが聞こえてきた 今朝の外気温は マイナス1  最高気温は10度という予報で  かなり暖かくなったものだと実感  それにしてもこの冬は 多くの地域で大雪となったようだが 三陸海岸は 寒さだけは厳しいが降雪量は少なく 日照量が多いという特有の気候を守っていたようだった   いつもなら  2月末にどっさりと雪が降る「沖あげ」と呼ばれる 海からの東風に乗った 大量の降雪もないまま3月を迎えた 自家用の小さな除雪機の稼働も2度だけで 本当に雪の少ない冬だった 3月ともなれば  積もった雪も 直ぐに溶けるので  降雪への不安も ほぼ消えたといえる 私のお楽しみの準備も始めた 若い頃に比べたら すっかりと小さくなってしまった 愛車のバイクに 外していたバッテリーを取り付け エンジンをかけたのが一昨日のこと バイクで走りたくても 最高気温が15度を越えないと  走る楽しさどころではなく ひたすら我慢大会となるだけで とてもじゃないが 「風を切って走る」だなんて  70歳にならんとする爺さんには 無理というもの そして3月となれば 渓流釣りの解禁で 既に年間の入漁券は購入済みで  補充分のフライ(毛鉤)も 巻き終えた そして昨日  待望の福寿草が咲いた 10年ほど前に 自宅西側の 用水路脇に咲いていたものを ふたつの素焼き鉢に植え替えた 蕾が大きくなり 開花する前に  日陰から 日向に移動し  咲いた姿を楽しむ 咲き終えて 葉が萎れると  十分な手入れしてから 日陰に戻す 毎年 そんな繰り返しをしてきた    我が家に咲く 次の花はムスカリで 賑やかに大量に咲  く姿は見事のひと言に尽きる さて今日は 飛び始めた杉花粉への対策を忘れず  春先の庭の手入れ 第一弾をしようかと思っている   先ずは 冬枯れしたタマスダレの葉を除去し 施肥をしようかと・・・

暇なので

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 前回の投稿を 読み直したら たくさんのミスを発見した訳で 我慢しきれず修正・・・ご容赦いただきたい 処方してもらった薬のおかげで  風邪の症状も改善した・・・ とはいえ あまりに長い期間 おとなしく家の中にいたものだから だいぶ体力が落ちてしまい 柴刈り爺さんの続きを始めようとしたら 腰痛発生 どんだけ だらだらしていたのかと・・・ そうしたら 厳しい寒波となり 外での作業は 年齢的にも好ましくないと判断 すると 数日後には 予測不能の温度上昇で 森に身を潜めていたシジュウカラの群れが 明るい声を響かせながら 家の周りを飛び交う日も見られるようになった とはいえ 気温が低いのは当たり前なのだから 雪が多く降る春先まで 油断はできないのが 三陸海岸特有の気候 さてさて この冬の最低気温で 最も低かったのは 自宅観測でマイナス10 ふた桁になるだなんて 滅多なことで 最高気温がマイナスの真冬日も2日ほどあった そんな寒さも どこに行ったかのような  今日(15日)の予想最高気温は なんと15度・・・ これまた 2月としては異例の暖かさ 気温の上り下がりが激しいものだから  69歳の爺さんは 気を付けないとね・・・ とはいえ 暇なものだから タブレット端末で写真の加工遊びをしていて 自分の写真を 加工してみたら  妻に大うけした  「可愛すぎる」と大うけした理由は さもあらん〇等身・・・ もちろん 上の画像には自分も笑ってしまった 人生で初めて 鼻の下に髯を伸ばしているのだが なんとか見られるほどになっている 別の写真を使って 油絵バージョンも作成したが そちらは 結構リアルで 私のお気に入りになった もし自分に何かあったら それを祭壇に飾ってもらおうかと・・・笑 そちらの写真は もちろん非公開 さて  長く続いた 病み上がりの身だけに  寒さを無理しても 良いことはない なので 家の中では 暖炉化しているペレットストーブの炎を眺め 穏やかに ぬくぬくと過ごしている そんなこともあり 今年の冬場の環境整備は 半端なままだが 中止にしようと思っている

体調不良でのお楽しみ(追加修正あり)

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長いこと 新規ポストしないまま過ごしていた とにかく今回の寒波の影響は大きく 毎日のように 最低気温は マイナス6度ほどで  最高気温は かろうじてプラスになる程度 空気は驚くほど乾燥し 正月七草のころから のどと鼻の風邪になり 1月14日に  いつもお世話になっているクリニックで薬を処方していただき 改善はしていたが 一向に鼻閉状況が治らないまま難儀していたこともあり これは耳鼻科しかないなと判断し 1月29日に 毎度お世話になっている一関市の耳鼻科医院に通院し 2月2日の今日になって やっと治ったと実感ができるようになった 気仙沼市内には開業している耳鼻科がないため 2次救急のための気仙沼市立病院ではなく  距離で50knちょっと離れた一関市まで行くのが常 耳鼻科通院後はだいぶ楽になり すっかり頓挫していた柴刈り爺さんを始めようかと思ったが 妻に止められた 確かに 最高気温が1度や2度では  身体の負担が大きいことも事実 作業は大量に汗をかくほどで  年齢からしても 重労働に間違いはなく ここは健康と安全が第一と判断した  それにしても この寒さと雪で 動くのが億劫になっている 兄の命日であっても 墓参りにも行けないまま 自宅に籠り続ける毎日 まあこんな時は 旅行計画をあれこれと妄想するのが一番 タブレット端末で地図を開き 距離と時間から 旅程と宿を選ぶ まずはその前に  今年の結婚記念日はどうするかという話題になった  いつものように「おいしいものを思いっきり食べたい」と妻 となれば 今回で記念すべき10回目の利用となる宿しかない その答えは 「松島一の坊」 ここのお目当ては  私たちの目前で シェフたちが極めつけの一皿を用意する これに尽きる  しかも美味!! 宿泊料金は少々お高いが それだけの価値はある もちろん お酒も和洋あり 好きなものを好きなだけ 食べて飲んで過ごせる 温泉も 大好きなアルカリ泉質で 予約した部屋は  予約者しか入れないという専用フロアにある  いつものハンモックデラックスツイン          ※一の坊HPから借用 チェアハンモックに揺られて のんびりするのは 実に気分が良い 部屋の冷蔵庫には 2人分のペットボトルのお茶2本と水4本 しかも 廊下には フロア専用のラウンジがあり いつものことだが  チェックイン後に 部屋に到着する...

新年初でシーズン3回目の

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冬季限定のお掃除のことで 話題は 一昨日に行ったペレットストーブの煙突掃除のこと 我が家のストーブ煙突は  壁から出ているだけで  その長さは 60cmほどの直管となっている そもそも 煙突がそんなに短くても大丈夫なの?と よく聞かれるが  排気用モーターによる強制排気だからこその安心感がある 稼働時に排気口に手をかざしても 危険だと感じるほどの熱さではない   ぞの構造は2重で 外側から吸気して 内側の細い管から排気する形となっている 吸気した燃焼用の冷たい空気は 内側の排熱により暖められ 内側の排気熱を下げるだけでなく  ペレットの燃焼効率を促す仕組みになっている なので 煙突掃除というのは 内側の排気管の中を ブラシで掃除し 煤を掃除機で吸い込むだけの簡単作業 とはいえ 煤は飛び散るのは必須で  周辺の煤を払うため ダスターも用意している 煙突掃除をした後は  毎度のことながら コンクリート面の水洗いを行った いよいよ本格的な寒さとなる予報が出ている 今後数日間 最低気温がマイナス7から8度程で 最高気温が +1~3度程度の日が続くという こんな寒さの時は  ペレットストーブは大活躍 エアコン暖房だけだと 風が煩わしく 空気の乾燥を 加湿器で補うことになる その点で言えば ペレットストーブの柔らかな暖かさを感じるだけでなく ストーブの上に置いた鉄製のヤカンで お湯を沸かし おいしいコーヒーを飲むこともできる そして何よりも 暖炉として火を楽しめるということは 実にありがたいもので 妻との穏やかな暮らしを演出してくれるのだった  こんな寒さが続くとなると  降った雪が春先まで溶けないことが多い 当然 道路も凍結することも多く  しばらくは 近くでの買い物程度で済ませ 遠方に出るのは控えたいものだと思う 何せ 次の誕生日で70になる爺さんにすれば 安全が第一だからである 火を眺めての お籠り生活を楽しもうと思う

冬季限定の柴刈り爺さん

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この時季だからこそできる  自宅周辺の環境整備作業がある それは 家の周囲の柴刈り作業 その1回目を昨日終えた  恒例の 西側法面(のりめん)の整備  寒さで 虫や蛇の動きがなくなり 作業し易くなっているからである この法面は 隣地であり   所有者の許可を得た上での環境整備 昨日までの2日間で 斜面の下半分を終えた状態が上の写真  斜面に立って作業をするので  安全面から考えれば 体調が悪い時には無理な話で 膝や腰の痛みの少ない時を見計らって作業を行っている さらに この作業の終盤に  奥の斜面に立っているハンノキを2本ほど 伐倒する予定 広葉樹のハンノキは  どんどん大きくなってきており  いずれは 我が家にとって支障木となる そのハンノキは 薪割り後に  3年ほど乾燥させて 災害時の燃料とする予定 更に作業は 玄関から見える道路脇の整備を並進めていて 安全運転に支障となることを避けたいがための作業 既に手前を刈り込んでいるが 写真の奥側となる部分は 今後の作業場所であり カーブの先を見通せるようにするのが目的  路肩が下がっているため 作業するには厳しいが この作業をするようになってからは ご近所さんに 感謝されようになった 土地としては 知人の所有であり もちろん了解を得ての作業である 作業事故があれば 自己責任ではあるが  見通しの悪さから 運転中に何度か怖い想いをしているだけに 自宅前での交通事故は願い下げだと思う気持ちから 道路に迫った草木を刈り払っているのだった 慌てず 安全に作業を進めて 暮らし良い環境を作っていきたいと思う

明けましておめでとうございます

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 新年 あけましておめでとうございます 皆様にとって 良い一年になることをお祈り申し上げます さて 元日の今朝は 午前5時50分に目が覚めた  「覚めた」と書いたが 年末に鼻風邪をひいてしまい 布団の中で目が覚めたら  くしゃみと鼻水で起きずにはいられなくなったというのが 正直な話 市販薬を買って来て だいぶ鼻風邪も回復はしているが 朝が 一番つらくて・・・・ 新年早々 鼻風邪だの 鼻水だのと・・・失礼 さて  今朝の日の出は6時52分となっているが 雨雲マップでは すっかりと雪雲に覆われた朝で  初日の出は 拝めそうにもなく 外は雪になっている ちょっと前から降り出した雪は まだ僅かのようで 6時13分に玄関から外に出てみると  街灯のある北側の風景は まだ夜・・・ 雪がちらついていて 反射光が走る状態 外気温計はマイナス5度を示していた 明朝はさらに寒くなりそうな予報 新聞受けから 元日ならではの分厚い新聞を取り出して 家の中に戻った エコキュートは北国仕様だが 念のため 風呂の水をちょろちょろと流していた 凍結していないことを確認し 水を止めた 台所に戻り お湯を出して再確認  明日も油断できない寒さ 厳冬期の泊付きの旅行は  凍結の不安があるので 予定は立てられない こんな記事を書いていたら 外が明るくなってきたので 日の出の時間に 玄関から外に出てみたが 空は雲に覆われていた  どうやら 初日の出は拝めそうになく 今年が良い一年であるよう 朝日の方向に合掌し  家の中に戻った  世界情勢は 少数の裸の王様に振り回されていて  日本の国政も そんな裸の王様を崇める輩たちに振り回されている 安定を願う 高市内閣の不休不眠の努力もあり 僅か2か月ほどで トリガー条項と呼ばれたガソリン税も  今日から25円ほど 確実に廃止となった 高市内閣に期待を寄せてはいるが 今後の国民生活が 少しでも良い方向に向くことを祈るばかりである