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歴史探訪に出かけてきた その3

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 前回の続き たかだか1泊2日の歴史散策を  3回にわたって綴るというのは 少し冗長かもしれないが  お付き合いいただければと思う 九戸城のガイドハウスを出て 次に向かったのは  車で2分ほどの距離にある二戸市埋蔵文化財センター おや?と思われた方も多いことだろうが そもそも九戸城跡が 二戸市にあるのだ 少しややこしく感じるのは  南北朝時代前後は  この地域が 糠部郡(ぬかべぐん)と呼ばれ  ここには 一戸という地名から九戸まであったといわれ 繰り返すが 九戸政実公のお城が 現在の二戸市にあるということなのだ さて 二戸市埋蔵文化財センターが 古い建物の3階にあるとは知らず その外観からも 階段を利用するしかないと判断した私たちだったが  幸いにしてエレベーターがあったので  足の悪い妻にはありがたかった これまで何度も「足の悪い妻」と書いてきたが あの3.11の大震災の後 妻の両足の同じ部位の骨が 順に壊死していまい  左右の順で 壊死した骨を人口骨に置き換える手術を受けており 今は 身体障がい者2種の手帳を持っているのである 手術前の私は 不安になっていた 妻は 再び歩けるようになるのだろうかと・・・ 今 こうやって  なんとか歩けるようになったことに感謝するばかり とはいえ 就寝前になると 足の痛みを湿布で誤魔化しながらも 日々暮らしている状況なのだった   話を戻す 埋蔵文化財センターの展示物のうち おめあての貴重な資料が 残念ながら貸し出し中だったようで 萎える気持ちを 抑えながら見学したが 興味深いものも多くあった  見終えて外に出た私たちは 「雨が降っていないね」とお天気に感謝  すると ちょうど正午のサイレンが鳴った 車に乗り込んで 「お昼になったけど お腹が空かないね」と私 「私もだよ しっかりと朝食を食べたからね」と妻 「雨のこともあるから 三戸町の雨雲の状況を見て決めよう」と私 車に乗り込んで スマホで検索 どうやら 二戸市の北に位置する三戸市は  まだしばらくは雨が降らないと思われ 食事をパスして 三戸町へと向かうことを決めた 杖を使う妻にとっては 雨は不都合だからである 雨になるだろうと諦めていた場所が 見学できると確信し 少し気分も 上向きになり 車を走らせる 三戸城は 三戸南部氏の南部晴政公による築城(1539年)であり 南部...

歴史探訪に出かけてきた その1

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妻と一泊で 歴史探訪の旅をしてきた 前回は 津軽旅で  今回は 南部藩の歴史探訪 八戸市と二戸市 時代を違えた今では 2県をまたぐことになる訳で 八戸は青森県で 二戸市は岩手県の自治体 ところで 戸と書いて「へ」と読むが 「へ」って何?というと 諸説あるらしいが 決定的な解釈はないらしい 自宅を朝7時に出て 三陸自動車道を利用して北上 終日 晴れの予報で 気持ち良いドライブが楽しめそうだった 気仙沼から宮古の北までは トンネルが多いが 次第にトンネルは少なくなり  表土が十和田噴火で埋もれ 海から100mほどの断崖の上にある台地の上を 広い空と海を眺めながら ひた走る ここは三陸海岸線の中でも とりわけ好きな風景である この日は とても天気が良くて いつものように 「道の駅おいすた山田」で最初の休憩 そこから さらに北に走り 久慈市の北にある「道の駅いわて北三陸」でも休憩 ここに来ると 毎度のように ポケモンの個性的な遊具を眺めて そして必ず  ポケモンが大好きな 孫娘3号の話題になる私たちだった ひとしきり ショップ内も眺めてから  北に向かった 階上岳周辺になると  美しい秋の空と海  右手に広がる 大規模な海岸段丘を眺めることができた そして 目線の先の低地に広がる八戸市が見えてきた  この景色は 三陸自動車道の終点を 広く見下ろすものであり 八戸に来たなと実感できる風景だった 気仙沼市から 休憩を挟んでも4時間弱という行程 時間は昼前で  先ずは 根城公園内の八戸市博物館駐車場へ向かう 駐車場の目の間には こんな騎馬像があった この騎馬像は 南部氏の始まりである師行(もろゆき)公 この台座の反対側には 南部氏は 後の岩手県盛岡市を中心とした南部藩の祖である 事前学習は進んでいたものだから 妻も私も ああだこうだと話しながら 食い入るように資料を眺め  草書体の一次資料などにおいては その解釈で 妻とあれこれ話し合う いつもそうなのだが ほかの見学者と比べると 時間のかけ方がまるで異なり 昼前に入ったのに 気がつけば午後2時にならんとしていた まあ こうなることは予想できていたので 車の中には パンやおにぎりを買い置きしてあり 少しだけ空腹を満たした さて この博物館の隣には  師行公が築いた城跡があり 「根城」(ねじょう)という  日本のお城100選のひとつ...

青森旅7月編 その2 〜縄文世界遺産〜

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梅雨とはいえ 気分爽快な初日の最終目的地は 三沢市から北西にあたる場所にある二ツ森貝塚遺跡 小川原湖を出発すると すぐに二ツ森貝塚の案内表示が目に入った 第3セクター経営の青い森鉄道の踏切を通り 少し進むと 右側に広い土地が目に入り 毎度お馴染みの標柱があり その後ろには ボランティアガイド用の小さなプレハブ小屋があった 実は 代表的な縄文世界遺産の北東北分はここが最後となる 写真からも小さく見えるが 三内丸山遺跡のようなたくさんの復元建物はなく 広い遺跡に 僅か2棟のみの竪穴式住居があった すると・・・ 妻が突然 「タヌキ!!」と声を上げた 右側の森からタヌキが飛び出してきて この広い敷地を 全速力で走っていたのだった タヌキは自宅周辺でも よく出没していて 身近な動物でもあるが これだけ広い場所を走り抜けるには タヌキにすれば 決死の行動で 空に猛禽類がいたらアウト・・・ これまでに見たことのない 全速力の走りは まさに「懸命」の走りだった 幸いにして タヌキは 左手にある舗装路を横断し さらに畑の中を走って 左奥の森に消えた 無事に横断できたことを見届けてから 少し先にある資料館へと向かった 資料館である二ツ森貝塚館は 廃校となった小学校の建物を使用していた 見学料は無料のようで 受付で見学者の名前と県名を記入して 資料を見学したが 想定外の充実ぶりに驚いた 事前に目を通していた資料(縄文遺跡群世界遺産本部が作成)では 鹿の角(つの)を用いて作成された装身具が掲載されていたが それ以上に内容は充実していた フラッシュ撮影でなければ 撮影OKだったので数枚撮った その代表は 遮光器土偶 そして 資料にも出ていた櫛 さらには 初めて目にした形の土器 表示の通り ヒトの顔にしか見えない・・・ ほかにも イヌの骨など  実に興味深い発掘品が並んでいた 北東北に11か所ある縄文世界遺産の最後となった  この二ツ森貝塚は 田小屋野貝塚と並び 侮れない貝塚であった・・・ 資料館の見学を終え 時間を見ると 既に午後3時を過ぎていた  いつも利用する青森市の宿までは  車で約2時間ほどかかる 一般道をひた走り 野辺地の南で 国道4号線に合流するまでは ひたすら山間の道を走る 国道4号線に出て間もなく  陸奥湾に面した眺めの良いを走ったのだが 野辺地から青森の市街地に入るまでは ...

天気を見図らって2

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天気予報を見て  晴れの日を見計らっての ホテル1泊 盛岡旅 既に2日目の田沢湖ブルーのことは書いたが その前日のこと・・・ 今回は 有料道路を一切利用しないという計画  天気の良い日 良い景色を眺めながら  ひたすら のんびりと走りたいと思ったからである というのも  鶴岡・酒田は雪と雨 会津若松は雨と激しい黄砂 青森もやはり雨と 天気予報から目が離せない 3度の2泊3日の旅をしてきた それだけに  今回は 何よりも 晴れであることを優先し  以前にも使ったことのあるビジネスホテルの 広目のツインルームに空きがあったので 予約を即断したのだった 家を出て 無料区間の三陸道を陸前高田ICまで走る そこからしばらくは 気仙川沿いの道を走り赤羽峠を越え 遠野市の遠野住田ICから宮守ICまで 無料区間の釜石道を走り 宮守ICからは 一般道で お気に入りの「道の駅みやもり」に到着 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」で有名になった「めがね橋」 道の駅に入ると 壁には そして ミニサイズのわさびソフト 私のお気に入りで 地産のワサビを使用した から味の効いたソフトをいただいた そこからは山間の道を 気持ち良く走り  盛岡のすぐ手前となる稗貫(ひえぬき)から 矢巾方向へと西に向かい  パスタ専門店「トレンタ」矢巾店で昼食 「トレンタ」は秋田生まれのお店で 有名な稲庭うどんの素材を使用した もちもち感のあるパスタが特長で 濃厚なスープパスタが 何よりも好きだが なかなか 訪れる機会がなかった・・・   そして妻も私も いつか行きたいと思いながらも 一度も訪れることがなかった 報恩寺へ・・・ この報恩寺は 南部藩主が1394年に開基した寺で 豊臣秀吉による奥州仕置きにより 南部藩の所領が移され  現在地に移転したと思われる 南部藩内の20か寺の曹洞宗総録であり 歴代の南部藩主が眠る寺 しかも 地域の禅修行の専門僧堂 昭和35年に火災により本堂は全焼し 昭和39年に再建されたという 戊辰戦争の際  奥羽越列藩同盟を離脱した久保田藩を攻めた責を問われた 南部藩家老 楢山佐渡が ここで切腹を命ぜられたことでも有名 とはいえ その時の本堂ではない・・・ 一の門で礼をして入る  威風堂々たる楼門が待ち構えていた かつて 写真で見たことはあったが  実際に目にして 驚いてしまった 帰宅してから調べてみた...

桜吹雪と黄砂舞う米沢市

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旅行3日目は 会津の温泉宿を出発し 喜多方市を経由して  雪が残る風光明媚な朝日連峰を 左に見ながらドライブを楽しもうと思っていた ところが・・・ 宿を出て 間もなく この日の異変に気が付いた おや・・・・遠景が何も見えない・・・ 黄砂である しかも これまで経験したことのないほどの濃さ・・・ 空と雲 そして遠景を眺めるのが大好きな私だが この日のドライブは  楽しみを完全に奪われ ひたすら我慢を強いられることになったのだった 喜多方市内の自動車専用道を走っていても  直線の先を走る車が霞む・・・ 当然だが 朝日連峰も見えない・・・ ドライブの楽しみといえば 風景なのに 疲労感だけが残りそうな気配・・・ しかも 初めて通る 山間の道だけに どんな景色を楽しめるのかを 期待していたのに・・・ もはや私は  機械のように感情を捨てて運転していた 途中 「道の駅 田沢」でトイレ休憩を済ませ 店内を物色 意外にも 道の駅でモンベルの商品があったことに驚いた 飯豊山バージョンのTシャツだった 気にはなったが Tシャツは 山ほどあるので買わずに出た 途中  道端の 草木塔(そうもくとう)が何度か目に入った 草木への供養という なかなかお目にかからない碑が 山形には多いようで・・・ 米沢市街地に入り  センターラインに融雪装置のある道を通った さらには 雪を側溝に落とすため 道路の両側に こんなものが等間隔で並んでいた 運転中に写真は撮れないので Googleストリートビューから借用 路側帯に このようなハンドルが延々と並んでいたため 車を走らせていると 道がとても狭く感じられた  上杉博物館に到着 最近は 車いすマークの駐車場所に駐車するのを 遠慮がちにしている我が家だったが この日はガラガラだったので 遠慮なく駐車させていただいた もちろん 妻は身体障がい者であり手帳も所持している 前日 やはり お城を歩き過ぎたようで 妻は 痛み止めの湿布を貼っていたのだった それにしても この愛車の光の反射を見て欲しい 晴天なのである  太陽は まあるい光でしかなく 肉眼で直接目視できるという 驚きのスクリーン効果・・・ なので 車の影もぼんやりとしたものになっていた もちろん 背景に見える筈の美しい山並みは見えないのだった 館内を見てまわるが かつて訪れた時のまま・・・ まあ 一番の目的...

會津藩史を支え続けた御薬園(おやくえん)

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猛烈な桜吹雪だったお城を出た後 私たちが向かったのは 御薬園 その名の通り 薬草を育てるのがメインだったが  その歴史たるや600年を超えているという・・・ 詳しくは ネットで調べていただくとして 長い會津藩史を 陰となって支え続けていた場所・・・ 何度も この地を訪れていたが  メインの観光ルートとは異なる場所で 私たち夫婦としても 初の見学場所だった お城の東側にある博物館では 大粒の雨 そして お城では雨上がりの曇り空だったが  御薬園では  見事なまでに 晴れ晴れとした空になってくれた 受付を済ませ 庭園に入ると 思わず 声をあげてしまった 素晴らしい 私たち夫婦にすれば 伊達藩の有備館という名所があるが  その有備館を越える美しさだった スモモの花ごしに 庭園を見る 流れ込む水の音もあり 極めて落ち着いた雰囲気 ゆったりした時間が流れる 600年以上も愛されてきた理由が分かった そして 何故かカルガモもいた・・・ 薬草を育てる畑は さすがに結構な広さだったが 生憎 季節が悪く 土しか見えなかった・・・ これほどまでの敷地面積なら 時代にかかわらず 管理がどれだけ大変なのかを 十分過ぎるほど理解できた  この日も 徹底した管理の手が入っていて スタッフ数名が 雪吊りの道具を仕舞うため 働いていた・・・ これまで来なかったことを悔やんだ 緑豊かな季節に 是非 また来ようと思った 時刻も午後4時となり  会津旅行2日目はこれで終了 連泊予約していた温泉宿に戻ることにした 続く

桜吹雪舞う鶴ヶ城

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雨上がりの曇った空と 桜吹雪が舞う道を 片手松葉杖をつきながら  妻は この季節を味わうように  あちこちを眺めながら ゆっくりと歩いた  すると桜吹雪舞うお城が見え 妻は声をあげた   キャノンM3(ND4フィルター)撮影 天気予報から青空を期待していたが 仕方ない・・・  かつて訪れた時は ふたりとも若かった・・・ 城の内部の 狭くて急な階段(梯子に近い)も ほとんど苦にせず上ったものだった・・・ お城の内部改修後に 来てはいなかったので  妻の脚のこともあり  城が近づくにつれ 私の心配は大きくなっていた  なにせ 妻の両足には 人口骨が入っているため 特に階段は  足首の可動域からも 不安要素は消えない・・・ そして内部の展示物については かつて 私がもった違和感が払拭されているのかどうか・・・ そもそも 戊辰戦争が 會(会)津藩の立場で表現されているのか・・・ さらには  戊辰戦争後の會津藩(斗南藩)の歴史的悲劇が どのように表現されているのか   そんなことを事前に話題にしていたこともあり 妻は 見学したくて見学したくて・・・ よくもまあ 天守まで登り  さらには降りてきたものだと思った 妻は 本当に頑張った・・・・ 階段の改修はなされてはいたが   移動に困難さがある身体障がい者だけでなく 視覚や聴覚などの感覚障がい者のための配慮も難があった 外国人観光者も多く  階段になると 極端に移動速度が遅くなる妻と すぐ後ろから いざという時のためにサポートする私がいた そんな夫婦を  多くの観光客は 気にせずに 脇をすり抜けて進んでくれた それにしても多くの外国語圏の方がいらしていたが 外国人旅行者のためのホスピタリティに 不足を感じた 英語のみの表示が多く その文章をみると   内容そのものが不十分だとしか言えないものだった 確かに 深く学ぼうとする外国人旅行者は少ないのだろう しかも 学ぶ方法は 今や手元のスマホにある訳だから・・・ 会津藩の立場を軸とした視点で統一された展示内容は 直前までいた福島県立博物館と同一目線で表現されており 妻も私も納得できただけでなく  新たな学びもできた・・・ 私たち夫婦は  會津藩の方々の歴史的苦悩を共有しているつもりであり 奥羽越列藩同盟の立場を支持する夫婦  會津藩視点での歴史表現は この地にすれば当然のこと 東北地...

桜散る季節の会津若松市

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先週のことである かねてから 桜の季節に行ってみたかった会津若松城 過去に4度も行っているにも関わらず 桜の季節に訪れたことはなかった という訳で 夫婦で5度目の会津若松に行ってきた報告をする 初日は午後2時頃に 会津武家屋敷を訪れた 筆頭家老だった西郷頼母(たのも)の屋敷を 現在の場所に移築した  訪問者は少なく 一部工事中だったこともあり 可能な範囲は じっくりと見てまわったが ここも 既に3度訪れた場所とはいえ  桜の季節はまた格別だった この日は 少し早めに温泉宿に着き  食事と温泉を楽しみ 翌朝 福島県立博物館へと向かった   車から降りると雨が降り始め  次第に大粒になっていった 雨なら博物館を先行させ  午後になったら雨があがるという予報もあり のんびりと博物館を見学  博物館は4度目だったが 内容がとても良くなり これまで知り得なかった多くの学びを得ることができた ゆっくりと見学していたら2時間が経過していたので そろそろ昼食だと思い 館内の軽食喫茶に入る 妻は 昼食はこれだと 事前に決めていた・・・ 毎度のことだが 妻の食事内容の選択は 理解できない私・・・ かくいう私は ハヤシライスにした そのお味は どこにでもある普通のものだった・・・ 妻は かなり美味しかったようで 満足だと・・・ それから 水だしアイスコーヒーをふたつ・・・ まいりました・・・ 久々の味わい深いアイスコーヒーでした 雨も上がったこともあり 午後は会津若松城散策とした 屋外に出て お城に向かう道の左側に 新島(山本)八重さんの像があった  ご存じ 同志社大学創始者である新島襄の奥様になられた方で 会津藩出身で 歴史に名を残す女性のおひとり  外堀を渡り 東側の城門があった場所を通り  内堀まで来ると 軽く風が吹くだけで ものすごい 桜吹雪となっていた うまくいけば 満開のタイミングだと思って宿を予約したのだが やはり 自然相手だと 都合良くはいかないものである・・・ また少し歩くと  会津若松城が見えてきた 次回へ

2泊3日の荘内藩への旅 その4

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2泊3日夫婦旅の最終日  2連泊でお世話になったホテルを 朝9時に出て 再び 鶴岡市へと向かうことにした 宮城県最北の気仙沼市から訪れた  山形県最北の酒田市ともお別れし 酒田ICから日本海東北自動車道に入り南に向かう いやはや これが驚くことに 酒田ICから鶴岡ICまでの区間は 前後にまったく車が見えないという  ここを走っていて大丈夫かと不安になる  完璧なまでの ひとり旅状態・・・ 自動車道を走っていて 対向車は来るのだが こちらの流れには まったく車がないのだった こんな経験は初めてのことだった 鶴岡ICを降りると 前後に車がいるのが とても心地よかった さて 真っ先に向かたのは鶴岡公園駐車場 ここに車を駐めて  すぐ目前にある致道博物館へ 鶴岡城址公園では しきりに桜祭りの準備がなされていた 致道博物館でも やはりお雛様展示がメインとなっていた・・・ ううむ ここでもか・・・ 歴史に触れたかったのだが 我慢するしかない・・・ そしてここでも 補修工事がなされていて 入場する場所も変更され 見学も制限されていた・・・ 仕方なく旧鶴岡警察署庁舎の写真だけを撮ってきた お天気も 地元の方が 今年になってから最高と評価する 晴れ!!! 月山は 山頂部に雲がかかっていたので  写真を撮らないでしまったが 月山以外は 雲ひとつないという恵まれた天候だった 直ぐ隣の城址外堀を眺めながら 庄内神社へとゆっくりと歩く 妻も歩く気持ちが満々で 私より足早に・・・ 「もうちょっとゆっくり歩いてくれないかな」と私 腰にトラブルのある私の方が  クラッチ(片手松葉杖)歩行の妻よりも遅い・・・ 早く歩くと腰に痛みが出てくるのだから 仕方ない 神社を参拝したら やはりここも桜祭りの準備 作業音で少し賑やかな中 参拝し 資料館へと向かう 入口を入ると  どういう訳か あの有名な金蛇美具足(きんだみぐそく)があったので 当然だが 妻もびっくりした様子・・・ しかも 触れられる状態・・・ そうか お祭りの行列で使用する具足なのだろうと  すぐに私も気が付いた まあ 確かに荘内藩主は  かの有名な徳川四天王の家系だからなのだろう 資料館見学を終え 念願だった 藤沢周平記念館へ・・・ 鶴岡出身であること  そして 小説内では海坂藩(うなさかはん)と呼ばれたこの地 ひとりの作家の記念館だと 適正サ...

2泊3日の荘内藩への旅 その3

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ヒヨリベーカリーでの昼食後 向かい側にある 即身仏で有名な海向寺には向かわずに 隣の日枝神社の とても大きな山門を見学し そこから 日和山公園へ 公園北側にある千石船を見に行くと  冬季管理のため 池には水がなく  ポツンと 捨て置かれたような状態で 水が抜かれたコンクリートの上に鎮座していた そこから南方向に歩き 少し小高くなっている場所にあったのが 旧酒田灯台として使用されていた木造六角灯台 もちろん 再現(再建)されたものだろうが  この秀逸なデザインが 私の心に刺さったが ここで あれれれ・・・となった 太平洋に慣れた自分には  昼間で海が右側にあると 向いている方向が北だと感じてしまうのだが 光と影が逆・・・   晴れていたから まだ良かったのだが 曇っていたら 明らかに南北が逆転しかねない私だった 六角灯台を眺めながら  そんなことを考えていたら 妻は私を置いて  クラッチ(片手杖)を突きながらどんどん先に歩いていく・・・ 歴史的な地における 妻の興味関心レベルは高く こんな時は いつも私は「置いてけ堀」・・・ 脚が悪いというのに・・・ 日和山公園を後にし  愛車で 南洲神社へと向かう 荘内藩は戊辰戦争での薩摩藩との戦があったにも関わらず 西郷隆盛(南洲)の指示もあって  終戦時に特段の配慮を為された 会津藩が 青森の下北半島で斗南藩(となみはん)となり  言葉にできないほどの辛酸を舐めたことに比べれば 同じ奥羽越列藩同盟としては 完全な特別扱いだった もしも 薩摩郡が太平洋側を北上していれば  会津藩のように 悲劇の歴史を歩むことなどなかったのでは・・・と 西郷の その特段の配慮に感謝し 建てられた南洲神社 礎には こんな碑文があった 明治政府に反旗を翻し 西南の役で没した西郷が  明治政府主導で 何故に上野公園にその銅像が建てられたか・・・ 今でも腑に落ちない自分ではあるが こと荘内藩にすれば その行為を「大徳」とまで評して 西郷を神格化したことには ある程度は納得がいく・・・ 加えて 「遺訓」の碑までもあった 庄内藩の人々からすれば  「教え」となるのも然り・・・・ この碑を眺めて そんなことを考えていたら 妻は 小さな建物の中で  チャリンと音を立てて 賽銭箱の前で 手を合わせていた・・・ テロ紛いで 京都の治安を掻き乱し  江戸幕府を強引な手法...

2泊3日荘内藩への旅 その2

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1日目の午後6時ごろ  たいへんな量の霙(みぞれ)の中を ホテルに到着し  部屋の大きさに安堵し 大き目のバスタブに浸かって 温まることができ 気仙沼から鶴岡市の加茂水族館を経て 酒田市まで ほぼ8時間ほどを運転したせいもあり 珍しくも 妻より先に夢の中に・・・ カーテン越しに光が感じられたので  午前4時半ごろに ベッドから起きて カーテンを少し開けてみた  すると  昨日はまったく見えなかった鳥海山が ほぼほぼ全体像が見えた・・・ 雪を抱いた その美しさに見入ってしまった そして カメラを持たずに来てしまったことを後悔した 朝食を済ませ 山居倉庫に9時前に到着 旅の中日であるこの日は 酒田市内を巡る予定であり 前日とはまるで異なり  見事なまでに晴れてくれたことは何よりだった 酒田といえば 藩を支え続けた豪商本間家 その本間家といえば 何よりも山居倉庫 豪雪地なだけに  作業車が入り 屋根の修理がなされていた お天気に左右されずに 屋根のかかった長い通路で 蔵から米などを出し入れ作業ができるという これまた とんでもない建物が 驚くほどの長さで・・・ それにしても見事なまでの大欅(ケヤキ)が多いのに驚いた スマホ撮影なので 味気ない画像になるがお許しいただきたい この欅は 夏場の日除けになるらしく  蔵の温度を上げ過ぎないようにという配慮からだという スケールが大きすぎる・・・・ いつもそうなのだが 旅となると 脚の悪い妻の歩調が いつもより活発になる・・・ 建物に興味の強い 私を捨て置いて どんどん先に咲きに進む妻・・・ 山居橋を渡ると  石垣に蔓延った植物を  除去する作業がなされていたのに気が付いた 本格的な観光シーズンを前にしての 手入れがあちこちでなされていた 荷揚げの船のエントリーが楽なように スロープまでも用意されており どれだけ盛んに商売されていたかが分かる 残念ながら 資料館は閉じていて 4月半ば頃からの開館となるらしい・・・ 車に乗り 本間美術館への道を走り出すと  フロントガラス越しに 鳥海山が見えた 雲に隠れているところもあるが  感動ものだった・・・ 山居倉庫から10分ほどで 本間美術館に着いた 美術館の資料は 3月ということもあり 多くのお雛様が並んでいた 妻は 既に知っていたようだったが どうやら 市内の名所は 揃って雛飾りを展示し...