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3月, 2021の投稿を表示しています

フクロウと畑仕事

夜でもないのに 馴染みの声が 森から聞こえた 今年になって 初めてフクロウの声を聞いたのだ・・・ そんな昨日  今年初の畑仕事をした 午後からは雨になりそうだったので そそくさと午前中に作業を終わらせることにした 昨年の11月に植え替えをした際に 畑の土に有機肥料を大量に混ぜ込んだので これまでにないほどの生長をみせていた青ネギ 本数もだいぶ増えていたので 植え替えと同時に その恵みをいただくことにした  まずは すべてを静かに抜いてみたが その数およそ80本 そこから20本ほどを妻に渡し その柔らかな青ネギを 妻はさっそくぬた和えにし 昼食に出してくれた 春先の柔らかさに 充実した甘さも加わり  上出来の一品になった さて畑はというと  我が家のピアンタ(カセットガスを燃料とするホンダ製小型耕うん機)で  サクサクになるまで耕してから 鍬で畝をたて 小分けして植え替えた 長年かけて 土作りをしてきたが  やっと土が良くなってきたことが理解できた  赤土が主で そこに どれほどの腐葉土を入れてきたことか・・・ もみ殻なども大量に入れてきたが  やっと団粒構造になってきたなあと感じた 赤土の表土を処分して そこに畑用の土を買って 大量に入れたら あっさりと解決する課題だったが 土作りも 自分でやってみたいと思い 時間をかけて 毎年少しずつ土壌改良をしてきたのだった 未だに納得はいかないが  これからも 少しずつだが 改良を続けていきたい さて そんな極小サイズの畑に  新たに何を植えようか・・・ そんな楽しい悩みが始まった

五徳も自作してみた・・・この歳での火遊び・・・

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どっぷりと火遊びに嵌まっている しかも まったく予想もしていなかったほどの嵌まり方 面白くて仕方なかった もとはといえば  災害時で活用できる薪ストーブを作ろうと思った訳で 暖をとったり 調理用のコンロ替わりになるものを作ろうと思った  そこで知ったのが 高効率な2次燃焼ストーブの存在 あれこれと調べた結果   ペール缶を使った薪ストーブなら自分でも作れそうだと思った 売っているキットは 想定以上に高額で すべてのセットを買うと1万円を上回る・・・ そのため ステンレス素材の板と煙突を買ってきて いただいたペール缶をあれこれと工作・・・ しかも総額で1700円ほどとリーズナブル さてさて 前回からの追加は 高熱になる煙突先端に  ステンレス板を加工した自作の五徳を作り付けたということ あまりに無骨だが 硬い素材のステンレスを  手持ちの道具で切ったのだから  私としては上出来!! この五徳は軽いもの専用で 小さなフライパンで調理したり 小さめのやかんを置いてお湯を沸かすくらいなら楽勝 そして燃焼室内部の仕切り板を一枚追加し 以前の板との合わせ目は ステンレスワイヤーで縫合し その隙間を減らした後に わくわくしながら 火を入れてみた 薪に火が着いてから 燃えきるまでは 安定した燃焼音を立て  見事な燃焼状態を維持し続けていた 今度は 少しがっかりした あまりに うまくいったことが残念で 次の楽しみが消えた気がしたのだ これで完結か・・・・ 煤の量についてだが フライパンややかんに まったく煤が付かないということはあり得ないが 薪の状態によっても左右されるものでもあり 現状としては 十分に合格点を出せる そしてこのストーブには欠かせない 薪の話 我が家の薪は 昨年の秋に西側の森の間伐材を 薪の状態にして ひと冬かけて乾燥させていたのだが 少々 乾燥が足りないものがあった 3年は乾燥させてから使用するのが望ましいだけに さすがに一冬だけでは無理があったようで  燃焼中に 熱せられた水分が染み出し  煙の量が多く感じられたものがあった  DIYで販売されている薪の価格は あまりの高価格 まあ 薪を自分で用意するのも楽しみなので 昔話に出てくる柴刈り爺さんになろうと思う 今年も間伐をするので 今度は胴切りしたままで 3年ほどかけて じっくりと乾燥させようと思う さて 次は何を...

手作り薪ストーブの追加修正

ねらいを定めて 仕切り板を追加をし 薪の投入口の体積を燃焼室全体の4分の1にし 火を入れてみた 燃えている時の炎の乱れがなくなり  ゴーと音を立て 連続した燃焼音になり さらには燃えた後の灰の量も 半分以下になった それらの点では 追加の効果はあったようだ ところが 納得がいかないところがあった・・・ 追加した仕切り板は 底に近い部分を15cmほど空け そこを火が通り抜けるようにした筈だったが 火入れをしてから 期待通りに煙突に火が回らず  薪の投入口から火が上がる・・・ つまりは 逆流していたのだ その問題を解決するため  ステンレス製の煙突部分をガスバーナーで温めることで 煙突内で上昇気流が発生させることで  燃焼室内にも 想定していた空気の流れが生じるだろうと・・・ 時間はかかったものの 想定した結果となった  然しながら  このままでは 納得がいかない・・・ そこで新たな対処策として  追加した仕切り板を 下からさらに5cmほど短くし 温められた空気が 少しでも2室目に移動し易いようにしてみようと思った また 2枚の仕切り板の間にある僅かな隙間も 火の流れを乱している可能性があることから  ステンレスワイヤーで縫合してはみたが また火を入れてみることで さらなる変更が生じるかもしれない はてさて どうなることやら・・・・楽しみ 楽しみ・・・・  

手作りの薪ストーブとゴム鉄砲

塗装を終えた手作りストーブに火を入れ その塗装を焼いた すると 以前の塗装が十分に落ちていなかった場所が熱で剥離し  その耐熱塗装の一か所だけが まだらになってしまった 熱が収まったところで やすりをかけ直し  再塗装をした でも 新たな課題は 内部の空気の流れにあった 炎が渦を巻きながら煙突に抜ける筈なのに 運良く 課題を見つけさせてくれたのが 風速4mほどの風 前回は無風だったので分からなかったのだろう 今回は風があったことで 内部の空気の流れに乱れが起きたようだ そこで その火の様子をじっと観察し 工夫すべき方向性が分かった 内部の仕切り板を追加して 空気の無駄な流れを抑えることにした そのため 当初 目論んでいた穴あけ加工は止め まずは仕切り板を追加することにした ここからは試行錯誤で 追加して 様子を見て また 修正  設計段階から すべてが解決するとは限らないし そんな工学部的な知識も経験もない素人作業 でも こういうことは面倒なことだけど とても面白い 何もないところから 何かを作り出す工夫 まるで 子供の頃に作った 割り箸製のゴム鉄砲 遠くまで飛ばすために あれこれと思案したことを思い出した

手作りの薪ストーブ ほぼ完成

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黒の耐熱塗装を塗り終えた 2次燃焼の手作りストーブ たまたま視聴した 遊火人(あそびと)キンタさんのYT動画を参考に 動き出したのだ・・・ そもそもは あの震災を経験して  家の周りにある大量の木材を使わない手はないという単純な動機 まずはここで 第一段階の終了 2枚目の写真を見て 苦笑いしてしまった 撮った時には 気にしなかったのだったが 木立ちの間の空が ちょうど煙突の上になってしまい いささか 面白い絵になったのだ 第二段階は 追加の加工や修正 真っ先に行うのは 再度の火入れをし  この耐熱塗装を焼かねばならない そして 追加の穴あけ加工が必要な気がする というのも 燃焼効率の良いストーブであることは十分に理解できたのだが 遊火人さんの動画では把握しきれないことがあった このままでは すべてが灰になるという2次燃焼ストーブではなく 現状では2cm角ほどの炭が わずかに残ってしまう・・・ 火入れ時は別としても  すべてが灰になり 燃焼中は煙も出ないことが理想・・・ 既に下のペール缶には 熱を抜くための穴あけ加工を行っているが これは 地面に熱の影響を与えないための工夫 その熱を抜く穴を活用し さらには 竈となる上のペール缶の底に小さな穴を開けることで ほぼすべてを灰にできないものかと思っている 開け過ぎれば 煙の発生を引き起こす可能性もある そうなれば 2次燃焼ストーブの価値は下がる・・・ 第三段階は 煙突からの熱と天板の熱をどのように活用するかである 小さめの調理器具を使っての調理はもちろん 空いたクッキー缶のようなものを使っての炭焼き遊びもできる 煙突の上に置く五徳を作ったり  天板の上に置く焼肉用のプレートを作るのも良いだろう 俄然 面白くなってきた・・・

インパクトレンチ初使用

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既に購入していたマキタのインパクトレンチを タイヤ交換で 初めて使ってみた 費用と効果で評価するなら 抜群に良いものを買ったと言える まずは 交換にかかった時間は3分の1に短縮 もちろん 最後の締め付けは 手で行うのだが 機械任せで ほぼほぼ締められており ほんのちょっと 締め上げるだけで済んだ 負担が大きく減ったとはいえ 左ひざ関節に変形のある自分としては しゃがんだ姿勢での作業はしんどくて やはり 時間が短くはなったものの 終わってみれば 膝の炎症が起きたようだ まあ いつものことなので 湿布を貼っておしまい さて次は 妻の車のタイヤ交換をいつ行うか・・・ スギ花粉がもう少し収まってからかな?

不意打ち

18時9分の地震 最大震度5強 宮城県女川沖の震源 家全体が大きく揺れて パニックになった 90歳の義母は 夕食直前で椅子に座っていたが  大きく揺れている その真っ最中に 逃げなくてはと思ったらしく  椅子から立ち上がってしまった 慌てて 椅子に戻したが  転ばなくて良かった・・・ 以前も 急に椅子から立ち上がり 転んだことがあったが  手で庇えず 顔を強打し 脳外科を受診した義母だっただけに そのあと 厳しく注意したことはもちろんのこと・・・ 妻は調理を止めて 作り付けの食器棚の扉を抑えていた  あちこちのものが 大きな音を立てて たくさん落ちた 本棚には転倒防止の部品が付いていたが その全てのネジが 揺れにより緩んでしまい 役に立たなくなっていたので 繰り返される 小さな地震の中で 低い脚立に上り ドライバーで締め直した さらに大きな地震が来たら  あの3.11の時のように 本棚が倒れることを恐れたからだった 外では しばらくの間 サイレンが鳴り響き あの日の消えない記憶が・・・ 津波もかなり低いレベルのものだったことと 我が家の被害が少なかったことが幸い でも 迂闊に安心してもいられない 明日の朝  外部に被害がないか確認しなくてはならない

いつもの静かな暮らしに戻れた

3月11日を前後して  毎年のように空はヘリコプターが飛び回り 直ぐに去ったかと思えば 次が来る そう  あの日からの空は ヘリコプターだらけだった 思い出す  テレビ番組も 3.11関連のものが 三日もすれば ほぼなくなる 昨日の15日ともなれば  静かな状態に戻る 昨年の空は  プライベートジェットのような中型の飛行機が ぐるぐると 上空を回り続けたものだから こんな高額な周回飛行をするなんて いったい誰が搭乗しているのだろう もしかして 税金を大量に無駄遣いしている安倍首相か? などと 憶測してみたり・・・ ともあれ  静かな空が戻った テレビは ほとんど見ない私も 地域局が作った 「ペペロンチーノ」というドラマは視聴した 一色伸之氏が脚本を手掛けた作品で ここに住む私たちの感情に寄り添った作品だった 視聴して良かったと思えた 「対岸の火事」という言葉がある 人の気持ちに寄り添える人と 寄り添えない人の二通り こちら側かあちら側かの違い 人の気持ちは そのふたつに分けられる

よく眠れていない

毎年のことだが この3月11日を前後する日々は あまりよく眠れない 4時間ほどの浅い睡眠が続く 春先の季節感が あの日々を思い出させるのだろうか あまり思い出したくないのも事実 言葉にすれば楽になるのだろうか 否 楽になるとは思えない 発災後 3日目にして  妻とやっと出会えたのだが それまでのことは 今も互いに封印している 妻もあの時の自分のことを語ろうとはしないのだ 何よりも今は  あの時  命を拾ったということ 今 大切なことは 心静かに暮らすことだと・・・

3.11のもの作り

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3.11は追悼の日 そして我が家の防災・減災を考える日 今年は 災害時に使える 高効率な2次燃焼の薪ストーブを作ることに決め あれこれと学び 用意するものを選んできた ペール缶と蓋 各2個は不用となったものをいただき ステンレス板(購入)→内部整流板用 ステンレス製煙突(購入) ステンレス製ネジ・ナット→整流版固定用 今回購入したものは 板と煙突のみでおよそ1700円 ペール缶の蓋を加工し 煙突用の穴を開け さらには薪の投入口を作り ステンレス板は グラインダーを使い 火花を散らしながら切り 内部の整流板として ステンレスネジで固定 ペール缶の取っ手の樹脂部分を切り取り ペール缶を2個重ねて できあがり ペール缶を重ねるのは 地面に熱を伝えないため 薪も既にこのために 自前で用意していることから すぐに火入れをしてみた ゴーゴーと音を立てて 燃え上がり ある程度 火が落ち着いたところで 内部の空気の流れを  iPodTouchで撮ってみた 内部のステンレス製整流板の右側を 炎が巻くようにして 煙突の下方向に回っていることが お分かりいただけるだろうか 煙突の中でも 炎が渦状に巻き上がっているのだが その状態を煙突の真上から撮るのは  iPodTouchを壊しそうなので撮っていない 横からの写真 この写真は 音を立てて燃えている時のものだが これだけシンプルな構造なのにもかかわらず 煙突から煙が上がっていないことに驚く 高効率な2次燃焼ストーブは  燃焼ガスまで焼いてしまうというのが 何よりも魅力 そして 火の粉もまったく上がらないので 山火事になることもない ペール缶の横の部分の塗装が焼け 色落ちしているが これは 最初の時だけのことで 近々に耐熱塗装をすれば良いだけのこと さらにこれに手を加えるとするなら  蓋に開けた薪の投入口に やかんや鍋を置いた時に 燃焼のための空気の取り入れ口を用意しないといけない また 煙突の上の熱量がかなりのものなので 利用しない手はないことから 自作の五徳を作り 小さな鍋などを乗せられるようにしたいと思う まだまだ 楽しい悩みは続く・・・

この日に思うこと

今日は 3月11日 この時季になると いつもマスコミは 被災地 被災地の連呼で TV番組は 特番の嵐 とてもテレビが煩わしい 被災地だと胸を張って言っていたら 間違いなく取り残されるという危機感をもって  その日を生きるために その生業を続けている方々がほとんど ここで生きているのだから・・・ 生きる場所を奪われた 福島県沿岸の方々のことを思うと 悲しくなるばかり この10年間の暮らしは 我慢と苦労の連続 おかげで 未来へのとんでもない負の遺産の象徴となる 巨大防潮堤が作られた 今後の維持管理費の試算によると  気仙沼市だけでも目を見張るような巨額 人口が減って 税収入が落ち込む中  どうやってそんな巨額を捻出できるのか 為政者の多くは 自分が作ってやったとばかりに 市民感情を無視した行政手腕を発揮する いくら伝えても その耳には届かない 先日 気仙沼湾横断橋が開通し  この10年間 酷い渋滞に悩まされ続けた気仙沼バイパスも ごく普通の田舎道のように 気楽に通過できるようになった 確かに 三陸自動車道が仙台から宮古まで全通となったことは とても喜ばしいことだが  自動車道に慣れていない 高齢者の自動車での進入で こちらがどぎまぎすることも多い 自動車専用道だというのに 自転車での進入も発生しており 警察も大変だと聞き及んでいる 宮城県では 震災後に仙台市の人口が増えたようで 仙台市の一極集中は進んでいる 海岸線からの移住がその理由 仙台市は「住みやすい街」だと多くの方が言う 学生時代を仙台で過ごしていたころから 私には苦手な街だった 根っからの田舎人なのだろう 今はこうやって 山の尾根に住んで 今朝は イタチが掘った 畑の穴埋めをした そんな暮らしが私には合っている 土埃だらけの町は だいぶ収まり 静かな暮らしが戻ってきている 心配なのは この疫病騒ぎで  観光客もなく 必要以上に町が静かになっていること 復興だ復興だとマスコミは声を大にするが こちらの意識は 既に復興ではなく 日々を生きることにある 「被災地」でも「復興」でもない ここで生きているのだから まだまだ先は長い・・・・

こちらも定期的に

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退職してからは 専業ハウスキーパーである私 定期的メンテナンスの必要なものを タブレット端末で スケジュール管理し 実行している 昨日 入浴を終えてから  排水溝などの部品を軽く洗浄し ドメスト水溶液に漬け込んだ 上の写真は今朝のもの 容器は クローゼット用の引き出しがちょうど良かった それにしても 洗浄パーツが多いのがネック・・・ 殺菌処理すると その後の汚れの付き方が遅くなるのは当然のことで それだけでなく 洗浄作用もあるので 漬け込む前の洗浄は 雑で構わないというのも利点 夕方に 水溶液から出して 水で洗浄するだけで ほとんどの細かな汚れやカビは落ちてしまう もちろん 排水溝のトラップにもドメストを流し込んでいるので 今夜の風呂場は 極めて清潔な状態・・・・ 今夜は お気に入りの入浴剤を入れて  温泉気分でも味わおうとするか・・・ 

長距離の定期通院

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昨日は妻の通院で 私はいつもの運転手 この通院のため 義母にはショートステイに行ってもらっていた 仙台市内の病院まで 高速道路を使っても往復で5時間半ほどかかり しかも往復300km強という長距離通院 11時からの診察予約のため 10時くらいには着くように自宅を7時30分に出発 気仙沼市から東北道の金成ICから仙台宮城ICを利用し 往路は 2時間45分で到着 10時15分過ぎに受付を済ませて 診察順を待つ 予約時間から45分過ぎた 11時45分に名前を呼ばれた 私は 静かに文庫本を読んで待つ 読んでいたのは 盛岡市在住の高橋克彦氏の作品で その歴史小説の作品群は 北東北を中心にしたもので固められ 重厚でしかも 極めて緻密 複数回読み込めるほどの高橋氏の作品群は 読み返すたびに 理解が深まる ・・・私の頭が悪いからだろうが・・・ 10分間の診察時間を終え 病院の食堂で昼食をして ふと思った 昨年の3月に妻の左足の手術してから 外食をしたのは この病院の食堂のみで  通院回数はこの1年で7回目・・・ 気仙沼市内では まったく外食はしていない 疫病感染を警戒してのことで・・・ まあ 安全管理が徹底した大きな病院内であれば  帰宅途中での食事よりは はるかに安全と判断して 毎回のように食事をして帰ることにしていた お味?・・・それなりで・・・期待してはいけない・・・ 帰宅途中で 今年で3歳になる 孫娘の服を買えたので 妻は上機嫌だったが 私は 久々の長距離運転で かなり疲れたことも事実で 早々に就寝したのだった  

熟睡できなかった理由

今朝は 午前3時に目が覚めた 寝入ったのが午前12時半頃だったので 僅か2時間半ほどの睡眠だった 昨日6日は 気仙沼湾横断橋「かなえおおはし」が開通し 物見遊山に 午後8時頃に家を出て  橋を一往復してきたのだった それがいけなかったのだろうか 変な興奮状態のまま その後に放送された 一色伸之氏原作の「ペペロンチーノ」という NHK仙台製作ドラマを視聴し 必要以上にあの震災のことを思い出してしまったようだ・・・ そのドラマは こちらの人々に配慮されたようで 津波の映像もなく 淡々と心情を描写していたのが好印象だったものの やはり この時季になると あの日のことを 無理やり思い出させるかのように TVは季節限定で 特別な構成をしてくるのだった 正直なところ 毎年のように辟易する そうでなくても この時季になると そわそわして落ち着かない日が続く ましてや 先日の福島沖を震源とする大きな地震があったのだから 否が応でも 思い出された訳で・・・ 消したいと思う記憶  巨大パニック映画でも視聴したかのような そんな記憶 現実だったのか 妄想だったのかも関係なく 記憶から消し去りたい記憶であり 消すこともできず 心的外傷になったことも否めず・・・ 加えて・・・ いつまで 被災地と呼ばれる続けるのだろう 今年(10年)で終わりにして欲しいものだ・・・ 午前3時に 目が覚めてしまったことで そんな自分にがっかりした 俄かに 窓の外から 何物かの声が聞こえてきた 微かな声だったので 耳を澄ました・・・ すると 西側の森から フクロウの声・・・ ホッホ ホホッホ ホーホー 何度も何度も鳴いていた  これまでは 初夏の午後9時前後に聞こえていたのだが 3月上旬の しかも丑三つ時にも鳴くのだとは気が付かなかった フクロウの声を聞きながら いつも間にか  また 私も寝入ったようで  次に目覚めたのが 午前5時前のこと 何気にiPodTouchで開いてしまった電子書籍が  既読だった梶井基次郎の「檸檬」 しまった・・・と思ったが 一気に読み終えてしまった 旧仮名遣いが邪魔くさいが それがまた厭らしいほどに味わい深いとはいえ 混沌とした目覚めには あまりに不適切な作品だった・・・ 「檸檬」が描写する世界観が・・・ 少し話を戻そう 昨日の午前中から 義母はショートステイとなった 妻の予約通院(術...

悩ましい

鼻はつまるし 目も痒い この時季になると悩ましい・・・ そこで  処方されていた抗アレルギー薬を 今朝から飲み始めた やはり効いた 薬単価の高いディレグラというタブレット 眠くなりにくい薬だと お世話になっている医師から話されてはいるものの やはり眠くなったのは 単に暇人だからか? 昨日は 義母がディサービスに行ったので 予定していた確定申告に行ってきた 受付し 呼ばれるまで1時間ちょっとかかったが 還付金が発生するようで 少しほっとして帰ってきた 妻と温泉旅行に行ってこれるかな?という金額だが 今日も義母の世話で 一日が終わった 知的な劣化が日に日に進んでいるようで 毎日のことを 同様に繰り返せない 今日もすったもんだで 一日が終わった 毎日のように 妻と介護内容について話し合うのだが その話し合いが生かせないという 義母の行動の揺れ もはや「揺れ」のレベルではなく 「乱れ」の方が正しいような気がする 今 食べたものを 食器を片付けると 何を食べたか分からなくなる  今 トイレに行ったばかりなのに トイレに行っていないから行くと言い張り 時には怒ってしまう義母 精神的な距離をとるように 妻に話すが 自らの親であるためか 妻は義母の心を理解しようとする 「混沌に入り込むのは危ない」とアドバイスし 努めて妻の話を聞くよう 私も気を付けている  花粉症も介護も 本当に悩ましい・・・

常体文であること

 敬体文で書くか 常体文で書くか 私は常体文を好んで使うことが多い 不特定多数の誰かに対して敬意を払い 書き綴る必要など無く しかもブログは日記でもあり 離れて暮らす家族も読んでくれている 旧知の友も読んでくれている もちろん 敬体文は 面倒くさいというのも事実 SNSで発信しても良いのだろうが 何せ 古い人間に属する自分なものだから SNSは 学生時代の友人との繋がり重視で閲覧している このようなブログは 読み飛ばしてくださって結構という 開き直りができるというもので 本音も出せるのが利点で その本音を綴るのに敬体文は不要と判断している