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6月, 2016の投稿を表示しています

古代蝦夷(えみし)の遺跡探訪(巨石信仰)

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かなり長い記事になるため、予め、ご了解いただきたい。 また文中に「蝦夷」(えみし)という文字を使っている。 「えぞ」という読みは、11世紀になってからの読みなので、 予めご理解いただきたい。 「蝦」はエビを意味し、 「夷」は髭が長いこと、 あるいは 「弓を引く人」などの意味を有し、諸説が多い。 初めて「蝦夷」という語は、日本書紀で使用され、 そこでは、その中心が「日高見国」と書かれているが、 おそらくは、 北上川周辺を指し示すものと思われる。 さらにそこには「豊かな国なので、討ってとるべし」とまで書かれている。 おそらく「蝦夷」は、 「髭の長い野蛮人」という蔑称だと解釈するのが、 もっとも一般的であるといえる。 その討伐目的は、我欲を広げるためか、 あるいは、残した禍根(後に記述)を抹消するためかは定かではない。 あえてここでは蝦夷を使うが、正直なところ、使いたくもない。 しかしながら、あくまでも、この東の民族の総称として、 記事を進める都合上、 蝦夷を使用することにした。 さて前置きが長くなったが、 今回、記事にするのは、 日本古代史にとって、飛鳥時代後期という いわば日本国の礎となる時代のことである。 この飛鳥時代を、分かり易く述べるならば、 聖徳太子が国政に参加した頃に始まり、 伊勢神宮の式年遷宮も、この飛鳥時代に儀式化され、 桓武天皇が長岡京から平安京に遷都するまでの間を指し示すのだ。 この平安京遷都によって平安時代の幕が開いたという、 そんな古い時代の話・・・・。 古代飛鳥の日本では、邪馬台国(大和)から見た蝦夷(えみし)は、 まさに未開の野蛮人(鬼畜生)が住む地域。 何のことはない、大和の国が征服しようにも 容易には手出しができなかったという、僻遠の地だったということ。 しかしながら、記録には残っていないが 蝦夷の国は、独自の文化を有する、 ひとつの大きな民族国家であったという事実が残る。 すなわち飛鳥時代は、大和と蝦夷の二つの国が、 この日本にあったということなのだ。 もともと大和という国は、 九州方向から北上してきたといわれる邪馬台国の人々が、 出雲の斐伊(ひい)の国(島根県の斐伊川周辺)に住んでいた和人を滅ぼし、 身内から天皇を担ぎ上げ、大...

縄文遺跡探訪(環状列石)

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1万年もの間、続いたといわれる日本の縄文期 それも、いわゆる部族間抗争の跡が、ほとんど発見されず、 東北には、北海道を含めて、豊かに交易をしていた事実だけが残る。 現代の、内戦やテロが一向に消えてくれない、 そんな悲しい時代から見ると どうして、そんなにも精神性の高い、 豊かな暮らしを、永きにわたって続けることができたのだろうか。 そんな疑問は消えない。 然し乍ら、この点において、今風の表現を借りるならば、 いわゆる「持続可能社会」として、 現時点で学ぶべきことが、多岐に及ぶ筈である。 悔しいことに、文字を持たないその時代は、 いかんせん記録そのものがない。 実は先日の青森旅行で、帰り道に寄りたかった場所のひとつが 秋田県鹿角市にある大湯環状列石であったが、 生憎の雨模様ということもあり、見学を断念したのだった。 そこで、悔し紛れと言っては恥ずかしいのだが、 規模は小さいものの、近隣にある環状列石を、 妻とともに、見学してきた。 北上市にある樺山遺跡 昭和52年に国の指定遺跡となり、 北上市教育委員会の手によって、今も美しく、この遺跡は管理されていた。 北上市の文化遺産に対する誇りと、心意気がうれしく感じられた。 ※唯一、このブログサイトで気に入らないのが、Googleという大きな会社にも関わらず、 写真の精度が甘いことである。今回の写真はすべて、Canon 6Dというフルサイズカメラを使用した。ぜひとも写真を クリックし、ピントのしっかりとした、奥行き感のある写真をご覧いただきたい。 上の写真の位置から左(南)方向を見ると、 なだらかな斜面に沿って、一帯に多くの環状列石が観察された。 芝もきれいに刈りそろえられていて、北上市民の憩いの場を窺わせた。 奥に見えた爪先上がりの斜面の下まで行くと、 丘の上には、竪穴式住居が設置されていた。 上の写真の左側にある階段を、妻と一緒に静かに上がって、 ゆっくりと振り返ると 豊かに広がる北上平野と、 北上川が長い時間をかけて作り上げた、 とてつもなく大きな、河岸段丘が見渡せた。 そう、自分が立っていた、この場所も河岸段丘の上にあるのだった。 度重なる北上川の氾濫による被害をさけるため、 川の状況...

断捨離は「もの」だけと限らない

母があっさりと旅立ってしまったのが、今年4月11日のこと。 母は独居を自ら選択し、20年もの間、実家で暮らし続けてきた。 もちろん、何度も私たち夫婦と一緒に暮らすことを提案し続けたが、 やはり仏壇のことを大切にしようとしていたようで、 いつも答えは「ノー」だった。 母が去ってから2か月が過ぎ、実家の整理もだいぶ落ち着いてきた。 実家までの距離は50kmちょっと、 時間にして車で1時間20分ほど。 当初、多い時には週に5日通っていたペースだったが、 長期戦になることを覚悟し、今では通いのペースを落としている。 還暦を迎える私自身も、身体壮健ではなく、 年齢相応の状態・・・・否、芳しくはない。 母の他界を機に、つくづくと思っているのが「断捨離」ということ。 そして、痛切に感じているのが、 捨てるべきものは、家財に限らないということ。 あまりに豊かさを追い求めての、自らの暮らしの構築は、 自分自身の精神性から発生している訳で、 精神性そのものを簡素化することが、 「断捨離」の根幹となる動力源であるということ。 こうやって、書斎のPCで、キーボードを叩いていて、 目の前の本棚にある大量の書籍の半分以上は、 2度と目を通さないだろうものである。 「勿体無い」精神もほどほどにし、 自らの生活スタイルを再構築し、 「やっておけば良かった」と悔やむことのないよう、 自身の整理を、少しずつ進めようと思う。

ストロベリー・ムーン

「ストロベリー・ムーン」って、お聞きになったことがありますか。 お恥ずかしい限りですが、私は初めて知りました。 夏至と満月が重なる現象を指したものらしいです。 なんと今回は、49年ぶりの現象のようですね。 目視できると「好きな人と結ばれる」という、 ありがたいご利益のある月らしいです。 夏至は、今日21日ですが、 その満月を、昨夜、愛する妻と一緒に見ました。 一緒になって、今年で35年目、 前回一緒に、この現象を見たわけではありませんが、 この35年間、いろんなことがあったと、 しみじみと感じていた私でしたが、 妻は「綺麗だね〜。」とつぶやき・・・ 49年ぶりの現象以上に、TVプログラムが気になるようでした。 放送作家の仕事ぶりに興味がある妻は、 ドラマのチェックに余念がありません。 かく言う私は、余程のことがない限り、 フィクションのドラマには、興味がありません。 妻がTVドラマを見ている間は、 私はいつも、タブレットでネットの世界を彷徨っているか、 書斎のPCで、写真の整理をしています。 昨夜も、写真を整理していました。 歴史ファンの方には興味深い写真だと、自負しております。 いずれ、記事にします。

やはりWRX S4は愉しい車だった。

現在の私の愛車は、お分かりの通り、 スバル WRX S4。 自分にとっては高額な車であり、 パワーも大き過ぎるのではないかいうこともあって、 買い替えの際に、大変に悩んだのだった。 でも・・・「今、S4に乗らなければ、もう乗る機会はないんだぞ。」と、 自分を問い詰め、思い切って手に入れた車であった。 購入したのが、昨年の10月。 先日の青森旅行と、今日のお出かけで、 やはり自分の選択は間違ってはいなかったことを 今になって、やっと確信した。 先日の青森では、ロングドライブ。 今日は、ホーム・コースの北上高地(山地)での、 ワインディングとアップダウン。 私の要望に、すべて忠実に反応してくれた、 このスバル WRX S4。 私程度の運転レベルでは、余りあるパワー。 そんな大パワー車であっても、乗り心地も荒くない。 肝心の、高速走行でのブレーキ性能も、文句無し。 ハンドルを切った際の、車体の動きも不安なく、 どんな時も、四つのタイヤがしっかりと踏ん張っている。 車体が大きく揺すられるような継接ぎだらけの路面でも、 みしりとも鳴かないボディ剛性の高さ。 そして燃費は、プレミアムガソリン仕様にもかかわらず、 カタログ燃費を越える13.3km/L以上を保っているのだ。 このS4という車の、造り込みの良さに、 ここにきて、ほとほと感心した。 運転していて、心底、愉しいのである。 これまで乗り継いで来た車には、 常にどこかに不満が寄り添っていた。 手に入れて8か月のスバル WRX S4。 やっとこの車の、愛車バカになれた気がする。 隣に乗る妻も、 「守られている感じがする。」 「乗っていて安心できる車。」と言ってくれた。 自宅に戻って、エンジンを止めようとすると・・・ ・・・・信じては貰えないかもしれないが、 「まだ、エンジンを止めたくない。もっともっと走りたい。」と、 我儘を言う、もうひとりの自分がいることを感じたのだ。

現実に引き戻される・・・

気分転換の青森旅行を終えて、 あっさりと現実に引き戻された 原因は、もちろん実家の整理。 私の実家となる家は、母で3代目となる大家族の家。 枯山水の庭だけで約120坪。 私の祖父が、戦後に稼いだ収入で、築き上げた庭。 母の葬儀の際に、葬儀社の方が、 「こんなに素晴らしいお庭のある家が、この一関市にあったんですね。」と 驚かれていた。 私にすれば、幼い頃から見慣れた実家の庭。 「そうなんだ!」とばかりに、その事実に、 齢(よわい)59にして気づかされた。 確かに「武家屋敷」などの歴史的な建造物ならまだしも、 この時代にこれだけの規模の庭が残っていることなど・・・。 然し乍ら、今となれば、こんな庭は無駄でしかなく・・・・ そして、私の曾祖母の代からの、陶器などの家財もあり、 祖父母と両親がそこに住み、残してきたものがある。 その膨大な数の陶器類や漆器類を片付けるだけでも、 たいへんな手間。 さらには、箱に入ったままの、未使用の陶器や漆器も数多くあった。 未使用なので、リサイクルショップなどに持って行きたいが、 人手を考えると、片付けの優先順位としては、 日常的な「燃えるもの」と「不燃物」の仕分けと処分が最優先。 母の衣類、書類、化粧品、使わないでいた鍋やフライパン、 そして書籍等々、時間をかけて、妹と一緒に、片付け続けてきた。 専業主婦をしている妹は、 千葉県から出かけてきては、泊り込みで進めてくれたが、 やはり自身の日常の生活も大事。 そうそうに空けてばかりいられない。 私はというと、時間のある時に実家に通い、 妻の協力を得て、少しずつ少しずつ・・・・ 昨日やっと、大型冷凍庫の引き取り先の見込みが立った。 冷凍庫は、まだまだ使える2009年製の綺麗なものだ。 大手家電量販店での無料引取りが利用できることが分かり、 手出しなしで、運搬までも業者が実施してくれることに・・・ ありがたいことだと、つくづく思った。 大型家電品というのは、増やすのは予算さえあれば容易いが、 始末のことを考えると、結果的に手間を金銭的負担を増やすだけ・・・ 便利さを追求することも、ほどほどにしないとならない・・・・。 自分自身への戒めでもある。 次に控えるのは、使っていない...

青森旅行最終日・・・新緑の八甲田から十和田湖を駆ける

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青森ドライブ3日目 朝起きて、青森から十和田湖にかけての天気予報を検索。 青森は午前10時くらいまでは小雨。 十和田湖付近は正午付近には雨が上がり、 盛岡は午後は曇り・・・ 「なんとか、濡れないで予定通りドライブできそうだよ。」と妻に話す。 今回のドライブは、「3日間すべて晴れ」という予報を鵜呑みにし、 実は、傘を持ってこなかったのだ・・・・ 朝食を食べにレストランへ・・・ 余談だが、このホテルでは「 ブッフェ スタイル」と読んでいるらしい・・・ では「 ビュッフェ スタイル」とはどう違うか・・・ いつも分からないままでいたので、ちょっと検索したら・・・ フランス語の発音が「ビュッフェ」 で 英語の発音が「ブッフェ」 。 両者の意味はまったく同じく「立食」・・・あぁ~!(嘆) それならレストランで座って食べるのは「違うだろ!」って・・・ なんてつまらないことで、悩んでいたんだろう・・・(滅) ・・・で、 ブッフェ スタイルの私の朝食は、 座っての和食を選択。(苦笑) 食事を終えて、部屋に戻り荷物をまとめ、 ホテルをチェックアウト。 八甲田の萱の茶屋の手前で、八甲田山系を背景に・・・ やはり、こうやってじっくりと見ると、 iPod touchは便利だが、画像は・・・難ありで・・・まあ、仕方ない。 小雨模様で、萱の茶屋も止まらずにパス。 この辺りは、無茶な運転をする輩が多いので、 留意しながら走っていると・・・・やはり、いた! センターラインを踏み越えて、 うちの車すれすれで過ぎていくおバカな対向車が・・・ それも営業用の白いワゴン。 ハンドルを切って、ぎりぎりでかわす。 そしてすかさず「あ~!やだなあ~」と、ぼやく。 「会社の看板背負って、なんであんな無謀運転できるんだろう・・・」と私。 まあ、高速道路でも、無茶な速度で走っているのが営業車両の常。 酸ヶ湯温泉のしばし手前で、右に折れ、 城ヶ倉大橋の方向へと向かう。 実は城ヶ倉大橋は、枝道の先にあるため、毎度パスしてきた場所。 実際に初めて見て、「おぉ~」と声が出た。 これまた、絶景! 写真を撮って、少し歩いて、石碑を読んで・・・足早に車へ・・・ 実は寒かったのだ。 なにせ外気温は13度...

本州一と評されるドライブコースを走る

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6月7日 窓から進入してくる騒音で、早くに目が覚めた。 森の中の我が家とは異なり、ここは青森の中心街だった・・・ トイレを済ませ、鏡を見て・・・・がっくり。 顔が真っ赤で、少し腫れていた。 軽微な火傷状態だった。 タオルを濡らして、少しでも熱を取ろうと考えたが、 それもまた、その場限りのことで・・・ 朝食のため、真っ赤な顔のままレストランへ・・・・。 日焼けに弱く、いつもこうなってしまうため, 昨日は、帽子を被っていたのだが, さすがにこの時期の紫外線だけに、容赦ない。 伏目がちに朝食を済ませ、大きな荷物は部屋に置いて出発。 真っ直ぐに向かったのは、太宰治の生家である金木の斜陽館。 かつて私は、公的管理に移管される前に行ったので、 かれこれ30年ほど前に訪れていた。 ここは妻のたっての希望。 公的管理になって、かなり修繕され、環境が整っていた。 「以前来た時は、ほんと酷かった・・・・」と私が言うと, 「そうなんだ~」と妻・・・ 初めてというのは、時には幸福なのかもしれない。 正直なところ、私は気乗りしてはいなかったのだ。 以前のままだったら、目も当てられないからだった。 妻を連れてきたことに、安堵した。 しかしながら、私にはお目当てがあった・・・ 芥川賞欲しさのあまり、選考委員だった川端康成宛に書いた 「芥川賞をください」と、執拗に懇願する手紙だった。 それは、あった・・・ 長い手紙だったが、しっかりと最後まで読んできた。 太宰の粘着質が、理解できる文面だった。 だからこそ、あれだけの作品が書けたのだろう。 様々な逸話を残した作家だからこそ、 極めて独自性の高い作品が、多いのだろうと納得した。 斜陽館を出て、車に戻ると,車中はまるで真夏の暑さ。 エアコンが効くまで、しばし我慢しながら車を走らせる。 顔が熱いため、エアコンの冷たい風を、 直接顔に当てながら、運転する。 十三湖の道の駅に着くと、妻は嬉しそうに車から降りた。 十三湖はシジミの産地で有名なのだ。 妻は、余程気になっているものでもあるのか? でも妻は、シジミは嫌いな筈・・・。 私の頭の中には???がたくさん並んでいた。 妻が買ったのは・・・・ 何のことはない、砂糖不使用のブルーベリ...

久々に心が躍った。

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津軽半島の絶景を楽しみながらも、 ハイパワー車で、あの竜飛を駆け上がる爽快感を味わいたい。 つい先日、そう思い立って計画した今回の青森旅行。 本来予定していたスバルの浜名湖オフ会への参加は、 お分かりの通り、母の看護と看取り、そして野辺送りと、 時間だけが慌ただしく過ぎていく中で、 オフ会参加のための、ホテル予約等の全てを キャンセルせざるを得なかったのだ・・・。 オフ会で、みなさんにお会いしたかった・・・。でも仕方ない・・・・。 母の仏事も5月末に一段落し、 急遽、宿も取れたこともあっての旅行・・・ 予想外の疲労が積み重なり、 僅かな時間だけでも良いので、 思い切って気分転換を図りたいと願ったのだ。 そんな訳で、6月6日から2泊3日で、青森市内のホテルに連泊し、 過去に反時計回りをした竜泊ラインを、 ハイパワー車を手に入れたこともあって、 今度は時計回りに走ることにしたのだ。 初日の青森方面は上々の天気予報。 逸る気持ちを鎮めながら出発。 淡々と、いつものように水沢ICを目指す。 妻も、久々のロングドライブへの期待が大きいことが、 事前の準備の様子からも窺えた。 水沢ICからは、東北道をクルーズコントロール頼みで、のんびりと走る。 岩手もすこぶる快晴。 途中道路工事がやたら多くて、少々難儀したが、 国交省計画による、近い未来に控えた120km/hという、 速度制限の上乗せのための準備だろうか。 既に工事を終えた部分は、平滑性が著しく高い路面となっていた。 盛岡を過ぎると、道路の両側には、 延々とニセアカシアの樹が連なり その白花が、今が盛りとばかりに咲き誇っていた。 白壁のようにも見えるその姿は、 なんとも驚いたことに、 碇ケ関ICを過ぎる辺りまで、続いていたのだった。 明治時代に輸入された、外来種のニセアカシアも、 今や養蜂家にとっては、欠くことのできない品種となり、 ここ東北の気候に合致して、益々自然繁殖が進んでいるようだ。 途中、岩手山SAで休憩をする。岩手山が一部に雪を残し聳え立っていた。 東北道で、最も岩手山を身近に感じられる場所が、ここだ。 でも、盛岡にある岩手大学で学生時代を過ごした、妻のお楽しみは、 見慣れた岩手山よりも、お買い...

汚染されたのか?

どうやら,何かしらのネット上の悪さが, このブログサイトに影響しているようです。 訪問していただいている方から 「 ウィルス駆除メッセージ 」が出てくるとのお話をいただきました。 さらには,コメントができない状態になっているとのことです。 場合によっては,躊躇せずにブログを完全に閉鎖します。 そのため, 解決策が出るまでの間,更新を控えます。 どうぞご容赦ください。 ちなみに・・・ 私のPCを複数回ワクチンを使用してスキャンしましたが, 何ら問題は発見されませんでした。 タブレット端末にもワクチンを使用していますが, そちらにも問題はありませんでした。 ということは、 やはりサイト管理のGoogle側ということでしょうか? とすれば、こちらにはどうにも手が出せませんね。

思い出が紡がれていた

実家の母の生活の跡を、時間をかけて片付けている。 まさかこんなに早く旅立つとは、 当の母も想定できなかったようで、 生活していたままの状態で、全てが残されていたのだ。 そんな母の暮らしの跡を、 少しずつ片付け始めて、かれこれ2か月が経つ。 昨日も片付けをしてきたのだが、 私の知り得てなかった、母の暮らしぶりが、 手に取るように分かってくるのだった。 私や妹の写真、そして早くに旅立った兄の写真を、 いったいどれほど繰り返し見ていたのだろうか、 アルバムから取り出された、母のお気に入りの写真が数枚、 いつも手が届く場所に置いてあった。 それらの写真は、全て私たちが幼いころの白黒写真で、 きっと撫でるように何度も見ていたのだろう。 母の遺した暮らしぶりという糸と、私と妹の記憶の糸が、 思い出という布を、紡いでいく。 そんな後片付けの日々を過ごしている。 私ももうすぐ60歳になる。 確かに私も、成長した我が子たちの幼いころの写真を、 愛おしいように、妻と笑顔で見ているのだった。 親というものは、どうしてこんなにも切ないものなのだろうか。 母が遺した暮らしぶりから推察される想いに、涙し、 つくづくと親というものを実感した自分がいた。

紫蘭の花がほぼ満開になり,そろそろラベンダーも咲き出すか?

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紫蘭の花が,ほぼ満開に そして,大株になってきている10株ほどのラベンダーも そろそろ色づき始めるころですね。 初夏の花が次々と,庭を明るくしています。