七ヶ宿町を訪れてみた(後編)

前回からの続き

旧七ヶ宿街道の小坂峠を下り始めて間も無く   
十数件のみしかない 上戸沢集落を右手に見ながら
感慨に耽ってしまった私がいた・・・

この地は   仙台藩の南の護りの要所であり
多くの北の諸藩の大名も通った参勤交代の道

戊辰戦争の際には   雪残る3月に   この地域を
当時の白石城主片倉小十郎重長の配下が
いずれ小坂峠を越えて来るだろう   明治政府軍に対処するため
200名に及ぶ警備の陣を張った場所

すぐ北隣にある戸沢集落とともに
こんな小さな集落に   総勢200人の武士・・・

長く厳しい警備の任だけではなく
寒さと兵糧に苦慮したことが明らかに理解できた

しかも伊達一門で    最も勇猛果敢だったと言われる片倉小十郎重長は
御公儀から   根絶やしを命ぜられた真田家の血筋を匿い   守り通したという
勇猛果敢さだけではなく   情に厚い戦国武将でもあったようだ

そんな片倉小十郎重長の城   白石城は
奥羽越列藩同盟の活動に大きく関わりのあった場所でもあった

そして  ここ  七ヶ宿も・・・

さて   現在の戸沢集落の姿は

当時の風景が残る建物を見つけたものの
保存状態は好ましいものではなく
茅葺き屋根が崩落しかけていた・・・

この七ヶ宿町が    戊辰戦争に大きく関わったのは
1868年に奥羽越列藩同盟設立の
前哨会談(密談)の会場となった場所であるということ

私たちは
それを知っていての見学ではあったため
期待を大にして   見学を続けたものの

明治政府の勝者による力技の結果は
長くこの地も   負の歴史を負わせてしまったのだろう

道の駅のとなりにあった歴史館においても
奥羽越列藩同盟の成し遂げようとしたことについて
一片の気概でも良いので   感じさせるような展示があればと願ったが
一切   そこには無かったことに落胆した

最後に訪れた場所は  安藤家
現在も家人が居住しているため  内部は見学できなかったが


安藤家は  当地の苗字帯刀を許された肝煎の家
現存していたことに驚いた



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