2泊3日の荘内藩への旅 その3

ヒヨリベーカリーでの昼食後

向かい側にある 即身仏で有名な海向寺には向かわずに

隣の日枝神社の とても大きな山門を見学し

そこから 日和山公園へ


公園北側にある千石船を見に行くと 

冬季管理のため 池には水がなく 

ポツンと 捨て置かれたような状態で

水が抜かれたコンクリートの上に鎮座していた


そこから南方向に歩き

少し小高くなっている場所にあったのが

旧酒田灯台として使用されていた木造六角灯台

もちろん 再現(再建)されたものだろうが 

この秀逸なデザインが 私の心に刺さったが

ここで あれれれ・・・となった


太平洋に慣れた自分には 

昼間で海が右側にあると 向いている方向が北だと感じてしまうのだが

光と影が逆・・・

 

晴れていたから まだ良かったのだが

曇っていたら 明らかに南北が逆転しかねない私だった


六角灯台を眺めながら 

そんなことを考えていたら

妻は私を置いて 

クラッチ(片手杖)を突きながらどんどん先に歩いていく・・・


歴史的な地における 妻の興味関心レベルは高く

こんな時は いつも私は「置いてけ堀」・・・


脚が悪いというのに・・・


日和山公園を後にし 

愛車で 南洲神社へと向かう


荘内藩は戊辰戦争での薩摩藩との戦があったにも関わらず

西郷隆盛(南洲)の指示もあって 

終戦時に特段の配慮を為された


会津藩が 青森の下北半島で斗南藩(となみはん)となり 

言葉にできないほどの辛酸を舐めたことに比べれば

同じ奥羽越列藩同盟としては 完全な特別扱いだった


もしも 薩摩郡が太平洋側を北上していれば 

会津藩のように 悲劇の歴史を歩むことなどなかったのでは・・・と


西郷の その特段の配慮に感謝し 建てられた南洲神社


礎には こんな碑文があった


明治政府に反旗を翻し 西南の役で没した西郷が 

明治政府主導で 何故に上野公園にその銅像が建てられたか・・・


今でも腑に落ちない自分ではあるが

こと荘内藩にすれば その行為を「大徳」とまで評して

西郷を神格化したことには ある程度は納得がいく・・・


加えて

「遺訓」の碑までもあった


庄内藩の人々からすれば 

「教え」となるのも然り・・・・


この碑を眺めて そんなことを考えていたら

妻は 小さな建物の中で 

チャリンと音を立てて

賽銭箱の前で 手を合わせていた・・・


テロ紛いで 京都の治安を掻き乱し 

江戸幕府を強引な手法で閉じさせた張本人の西郷


奥羽越列藩同盟にすれば 

西郷こそ仇となすべき輩


しかも その西郷を祀る神社だと分かって 

ここまで来たのだが・・・


もし 幕府が政権を握ったまま

開国した上で 新たに民主政治を推し進めていたら・・・ 


考えるだけでも わくわくする・・・


さて

この日の酒田市見学は これで終了


妻も 今日だけでかなり歩いたので

これ以上の歩行を終わりにしなければならず 

まだ日は高かったが ホテルに戻ることにした


6階角部屋のツインルームに戻ると

鳥海山にかかっていた 地上霧の雲も減り 

南東側に遠く 雪を抱えた月山も 

雲が払われ始め 美しい姿を見せていた 


部屋から見える 最上川河口の景色も

たいへんに良かった


部屋で2時間半ほど 休憩し 

ホテルからタクシーに乗り 夕食場所へと向かう


妻の希望で鰻を食べるためである


ホテルから10分ほどで 「うなぎ割烹 治郎兵衛」着


気仙沼市にも震災前までは 「扇屋」という

抜群に美味しい鰻専門の割烹があったが

津波で全壊・廃業してからは 

素直においしいと感じた鰻に出会ったのは

名古屋で 友人の案内で入ったお店で

しかも ひつまぶしの名店・・・当たり前か!


今回の「治郎兵衛」は 妻のチョイス


タクシーでお店の前に乗り付けると

和服姿の女将と若女将が出迎えてくれた


事前予約していたので すぐ部屋に通される


建て物は歴史を感じさせるもので

尋ねると 昭和56年建造とのこと


少しカビ臭を感じたが 

さして苦になるレベルではなかったので安心


カビ臭があると 時に呼吸困難になる私は

どうしても入れない建物に出会うことがある


その際たるものが 

北海道ニセコ町にあった有島武郎記念館で

入ってすぐに呼吸困難になってしまい

即 踵を返して 

安全な場所に避難したことがあった


そんなことを思い出していたら 

骨煎餅が運ばれてきた


鰻の背骨を味付けした後に 油で揚げたもので

妻は 歯にトラブルをかかえているので 専ら私がいただいた・・・


歯ごたえもよく 旨味が引き出されていた


そして 鰻重定食


鰻の大きさが 3段階あるようだったが

大きい鰻だと 途中で飽きてしまうので

一番小さい普通サイズにした


ほかに 名物だという卵焼きも

妻の要望で追加していた


この卵焼きは 独特の味付けで 初対面なものだった


卵本来の旨さを引き出すのではなく 

出汁を効かせたものだったが 

味覚レベルがかなり高い妻も 

ついに 出汁を特定できなかった


それでも 出汁が何なのか 悩んでいる私を見て

「美味しいから それでいいんじゃない」と笑顔になっていた

・・・切り替えが早い妻・・・


そして 鰻のお味は 甘さを控えたもので

鰻の旨味を引き出すためのタレだと思われた


私は小骨が気になったが 味はよろしく

久々に味わった肝吸いにも 唸った・・・


とはいえ 私たち夫婦の 鰻重の原点は 

気仙沼で味わい続けた「扇屋」にあり 

廃業されたことが とても残念でならない・・・


「扇屋」は 出てくるもののすべてがおいしかった


今 気仙沼には 

懇意にしていただいている家族が経営する

「世界」という割烹があり

鰻重も出してくれるが

折角 酒田まで来たんだから

酒田の鰻を食べたいという妻の希望を最優先・・・


デザートも甘さを控えたもので

お料理に合っていると 妻は喜んでいた


妻も私も満足して ホテルに戻った


次回に続く


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