思い出が紡がれていた
実家の母の生活の跡を、時間をかけて片付けている。
母の遺した暮らしぶりという糸と、私と妹の記憶の糸が、
思い出という布を、紡いでいく。
そんな後片付けの日々を過ごしている。
私ももうすぐ60歳になる。
まさかこんなに早く旅立つとは、
当の母も想定できなかったようで、
生活していたままの状態で、全てが残されていたのだ。
そんな母の暮らしの跡を、
少しずつ片付け始めて、かれこれ2か月が経つ。
少しずつ片付け始めて、かれこれ2か月が経つ。
昨日も片付けをしてきたのだが、
私の知り得てなかった、母の暮らしぶりが、
手に取るように分かってくるのだった。
私や妹の写真、そして早くに旅立った兄の写真を、
いったいどれほど繰り返し見ていたのだろうか、
アルバムから取り出された、母のお気に入りの写真が数枚、
いつも手が届く場所に置いてあった。
それらの写真は、全て私たちが幼いころの白黒写真で、
きっと撫でるように何度も見ていたのだろう。
きっと撫でるように何度も見ていたのだろう。
母の遺した暮らしぶりという糸と、私と妹の記憶の糸が、
思い出という布を、紡いでいく。
そんな後片付けの日々を過ごしている。
私ももうすぐ60歳になる。
確かに私も、成長した我が子たちの幼いころの写真を、
愛おしいように、妻と笑顔で見ているのだった。
愛おしいように、妻と笑顔で見ているのだった。
親というものは、どうしてこんなにも切ないものなのだろうか。
母が遺した暮らしぶりから推察される想いに、涙し、
つくづくと親というものを実感した自分がいた。
母が遺した暮らしぶりから推察される想いに、涙し、
つくづくと親というものを実感した自分がいた。
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