今だからこそ  ~大切な友と再会するために~

ほぼ半世紀ぶりに再会できた 

石川県在住の 大切な大切な友がいる


学生時代に 同じ学部のしかも同じ専攻で学び

たまたま その友のお姉さんの嫁ぎ先が

私の出身地である一関市だったということもあり

自然に その距離が詰まったことが思い出される


学生時代の4年間は その友がいてくれたことで

精神構造の幼い私は 本当に助けられたのだった


この年齢になり 

やっと半世紀ぶりに再会できたのが 

昨年のことだった


友が 一関在住のお姉さんのところに寄った後

気仙沼まで来てくれたのだった


顔を見た時は 手が震え

本当にうれしかったことを鮮明に覚えている


私の学生時代は 恥ずかしいほどに

幼くて愚かだった・・・


そんな私が 

他者と比較しても 何も始まらないということに

やっと気が付いた時には 

人生の半分が とうに過ぎていた


自分の良さというものは どんな部分なのか

そこに気が付くのが あまりに遅かった


自分の人生は

多くの方々のおかげで 今ここにある


もちろん

その大切な友の 豊かな人間性に 

多くを学んだことはいうまでもない


退職して12年にならんとする今

過去となって久しい 仕事上の成果は 

人によっては その人生を誇る 重要な要素かもしれないが 

私には そのように誇れるものはない


仕事を辞めて 無職となってからは

家族のために 自分の時間を費やすと決めてきた


自分だけが思う 「自(おの)が人生」を 

退職後に 新たに歩き出すと 心に決めたのだった


公(おおやけ)の職にあった自分は 

心身共に 疲弊しきっていて 早期退職を選んだ


それは 自分の身体も心も 弱かったからであり

もうこれ以上は続けられないと 判断したからである


「逃げた」とも思われるだろう 

「逃げた」と評価する方は 

おそらくは強い心をお持ちなのだろう


幼い頃から感じていたように

自分に自信が無い私でも

運良く 最愛の家族を得ることができた


石川県在住の その大切な友は 

仕事と併行して 自らの学びを深め 

大学での職を得るまでになった

敬服するばかりである 

 

私はといえば 仕事をしながら修士学位を取得するため

学びを続けてはいたが 

単位を半分ほど取得した頃に起きた

あの震災で 心が折れてしまったのだった 


震災以後の私は 

あの惨状によるトラウマが生じてしまい

何かにつけては 手が震えたり 涙が出る始末で

それまで夢中になっていた趣味も すっかりと萎れてしまい

呑気に修士学位取得しようとは 思えなくなっていた 


あの頃は 幽霊のような自分だったことが思い出される


気仙沼市で 出会った大切な友が

津波被災で 旅立ってしまっただけでなく

お世話になった

たくさんの友人知人や そのかわいい子供たちまでもが

天に召されてしまったのだった


妻にも かなりの心配をかけたが 

今では 努めて明るく暮らそうと思えるまでになった


とはいえ 70歳にならんとする今でも 

そのトラウマを 完全に断ち切れた訳ではない

これからもきっと 持ち続けるしかないのだろう


人は 自ら言葉にすることで

生きる指標を見出す


昨年 その友との再会が半世紀ぶりにできたという幸運を

決して逃さず 

友との記憶を辿りながら

恥ずかしくなく 再び会えることを願い

これまでの自分と向きい

ランダムに記していたものを

ここに纏めてみたのだ


とはいえ 石川県在住の その友にすれば

私などは 数多くの同級生のひとりなのかもしれず

私の気持ちは 一方的な身勝手なのかもしれない 


過度の迷惑に 決してならないよう  

友と再会する前に 自分の人生を

しっかりと振り返りたかったのである


次回は 石川県金沢市での再会の話を綴ろうと思う



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