2018年5月15日火曜日

「風」が私に与えたもの

若い方々に
「風たちぬ」という作品を知っているかと尋ねるたら
その多くが   ジブリ作品のアニメを思い浮かべるであろう

私が記事にするのは
堀辰雄氏の中編小説「風立ちぬ」である

ジブリだけでなく
邦画でも堀作品の「風立ちぬ」は
かつて2度の実写化があったようだ

しかし・・・
実写化されたにしても   文学作品を超える映画はなかなか見当たらなく
映画を視聴するまでもないと思っている


さて・・・・
私が かつて   堀作品  「風立ちぬ」を読んだのは
かれこれ40年ほど前のこと


齢60を過ぎて   再び読み返し
作品そのものの味わいに   大きな差が生じていることを感じ
青年期に読んだ印象というものは    いかに儚いものかを思い知った

今だからこそ    年齢という薬味が追加され
作品本来の旨味を味わえるようになったことを実感している

今は作品の中頃を読み進んでいたところであるが  
この作品により   自分の人生だけではなく
自分が好きな文体が   この作品にあったことも思い知った

読み進めることで   頭の中で映像化される風景は
時間の経過と八ヶ岳の大自然が織りなす
孤高とも感じられるほどの優れた表現力で
見事なまでに   立体化された映像が焦点を結ぶのだった


作中「風立ちぬ  いざ生きめやも」という一文が
完璧なほどまでに    その作品の前と後ろを切り替える

この「・・・いざ生きめやも」は
稚拙な私の頭では   到底理解できそうにないほどに難解な
ポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓標」の中に  その表現がある

堀氏は   その詩から引用しており
その一文によって
生きることへの   自らの決意を示したのだった

この作品の中の「風」の存在というものは
解釈は様々であろう
だがひとつだけ    確かなことがある

20歳にならんとしていた当時の私は
読後   「風」の存在を
自らの人生と結びつけて考えるようになった

ありがちなことだが
しばしば人は   人生を   船の航海に喩える

しかしながら
個人的には   異を唱え
「風を感じるながら   地に足を付けて立つ」ことに
喩えるようにしている

この作品は  それだけ影響力の大きかった作品であり
壮年期も終わりが近づいている今
じっくりと読み返して   楽しもうと思う



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