2泊3日青森旅3
<前回からの続き>
昨夜は
自宅にない大きさのテレビで
ワールドカップのバスケットボール男子を視聴し
カーボベルデ戦での勝利に興奮した
自力でのオリンピック出場権を獲得したのは
私が大学生時代に
バスケットボール部に所属していた時以来のこと
涙が出た・・・
とはいえ
暑さと運転の疲れもあって
早めに眠りに就いたのだったが
のどが渇いて 夜明け前に目が覚めたのだった
天気予想をスマホで確認すると
8月30日の青森市の最高気温は34度とのこと・・・
がっかり・・・しかも晴れマークしかない・・・
少し暑かったので エアコンの温度を1度下げて
またベッドに横になったものの
再び眠りには就けなかった
6時ごろになり 妻が目を覚まし
私が起きていたことに気が付いたようで 話しかけてきた
「今日も暑いのかな」
「うん 34度で終日晴れ」と私
妻も昨夜の時点で この日の暑さを覚悟していたようで
「じゃあ 予定通りだね」
「それしかないね」と 覚悟を決めた私
覚悟と書いたが 私は 暑さが大の苦手・・・
「じゃあ 出発は予定どおりで 9時前くらいだよ」と私
「了解!」と 歯切れ良い返事をする妻
妻は元気いっぱいのようだ・・・
7時30分ごろ 朝食会場へと移動
この日は 和食と決めていた
旅行中は生野菜を多めに摂ることにし
タンパク質と脂質を少な目にして食事を終えた
暑さへの不安は大きかった
というのも この日は7度目となる三内丸山遺跡見学
屋外での見学が多いからである
何故にそんなにも再訪するのかと問われたなら
毎年のように新しい遺跡発掘が報告されているからである
加えて 今回は
三内丸山遺跡の前に 小牧野遺跡の見学も計画していた
連泊予定だったこともあり ホテルの部屋に大きな荷物を置き
身軽な状態で出発
午前9時を過ぎたばかりだというのに 車の外気温系は30度・・・
こんな暑い8月末の青森・・・どこも皆暑いのだから仕方ない
ホテルから 八甲田方向に15分ほど車を走らせ
細い道をうねうねと走り 小牧野遺跡保護センター着
かつて小学校だった建物を 保護センターにしているので
冷房が効いているのか不安だったが
断熱性の不足のためか かろうじて効いているレベルの冷房で
見学できた・・・
そこから 未舗装の細い山道を2kmほど走り 到着
車から降りると 容赦ない日差し・・・
妻も私も ハット型の帽子をかぶり歩き出す
それにしても 猛烈に暑い・・・
写真の左側に見えるのは 「どんぐりの家」という施設だが
最初に入っておけばよかったと 反省・・・
というのも
見学路の最初にあった立て看板に「熊に注意」と書いてある
そうか 渓流釣りで使う熊除け鈴を持ってこれば良かったと思ったが
後の祭り・・・どんぐりの家で無料貸与されていたのだった
お目当ての環状列石に到着
縄文時代後期前半(約4000年前)に作られた2900個もの石を
離れた川から運び込まれ
全体で55mという日本最大級サイズの環状列石が作られたという
当然ながら
実験考古学で 石の運搬方法は検証されたのだろうが
これだけの大きな石をどのように運んだのかは
何処の環状列石においても 不明のままであることは仕方ない
この直径55mほどの大きさの円の中に
2軒分の竪穴住居跡が発見されたらしいがその説明はなかった
おそらくは冬場に亡くなった方の 仮安置の場所だったのだろう
冬場に手作業で土を掘るなど 当時では無理なことは明白
さて 再び未舗装路を走り 三内丸山遺跡に向かう際
2台の大型ダンプトラックが
濛々と土埃を巻きあげて対向してきた
幸い すれ違える場所だったので良かったものの
愛車は さらに砂埃だらけに・・・悲
走っていれば 砂埃はある程度は払えるだろうと思ったものの
三内丸山遺跡まで来ても 車の後方は 土埃だらけだった・・・
しかも 駐車場から降りる時の外気温系は34度を差していた
今回のお目当ては 第48次発掘調査の現状を
なんと現場で じかに発掘担当の専門家の話を聞けるという・・・
それが今回の旅の一番の目的だった
施設に入り 受付を済ませ
現地でのガイド時間を確認して外に出た
現場は とんでもなく広い遺跡の東端に位置する
暑さに構わず もう行くしかないと心に決め
帽子をかぶり 外に出た
発掘場所まで かなりの距離だったが
脚の悪い妻も 頑張っていた
そもそも史学系の職に就きたかった妻だけに
今回に 好奇心の熱量は高く
クラッチを突きながら私の前になって歩く
現場では 数名の方々が 木陰になっている場所で作業されていた
専門の方のお話を聞けて 目から鱗の話題もあり
15分ほどの説明を聞いた後 涼をとるために施設に戻った
水分補給をして 妻と涼しい場所に座る
「やはり餅は餅屋だね」と私 妻もうなづく
紙面などでは理解できない情報に 大いに満足していた・・・
現地では 私たち夫婦だけのタイミングだったこともあり
立て続けに質問を繰り返した私だったが
面白い見学者だと思ったのだろうか
多くを語ってくださった
とても貴重な時間だった
だいぶ 体調も落ち着いてきたので
私たちにすれば あまり代わり映えしない
常設展示を見学し
また外に出た
そしていつもの場所で撮影
ひたすら暑い・・・我慢大会か!?
草刈り作業をされているスタッフが たくさんいらした
「暑い中 お疲れ様です。」と 通りすがりに声を掛けた
僅か10分ほどで また施設に戻ろうと決めた私たち夫婦
妻は 目を輝かせて勝手に移動していたが
その背中を追うように 暑さにヘタレな私が移動していた・・・
ここでは 新たに防腐対策や補修された箇所と
大人の墓地跡だけを確認して
施設に戻り 水分補給をしてから 時計を見ると
既にお昼が過ぎていた
という訳で この日の昼食もカレーライス 笑
午後はじっくりと「縄文と漆」の特別展を見学
7月に 是川縄文遺跡で 上質な漆塗りの展示物を
これでもかというほど 見てきただけに
それらの学習成果も踏まえながら
妻とあれこれと話をしながら 見てまわった
見学を終えて 時間は3時を回っていた
妻と相談し
お土産を買いたいらしいので
滞在ホテルから近くにある アスパムへと向かうが
アスパムの駐車場に到着した際
地元ナンバーのマナーが最悪の車に出会い
腹を立てた私は 「明日の朝にまた来る」と妻に話し
ホテルに戻ることにした
暑さで かなり疲弊していた私は キレ加減になっていたのだった・・・
ホテルに戻ってからは
シャワーを浴びて 少し横になったら 眠ってしまった
私が寝ている間 おいしい夕食を食べたかったらしく
妻は あれこれとスマホで検索していたようで
6時も近かったことから
蒸し暑い中 ホテル周辺を散歩した
とはいえ
脚の悪い妻が 今日も
歩き過ぎになっていたことが気になっていた
国道4号線と7号線が合流する記念碑があったので
そこを見てきた(私は2度目だったが・・・)
かつて 薩長主導の明治政府が
東北の大動脈となる国道に4(死)号線
三陸沿いを45(死後)号線
日本海側を7(死地)号線と
幕府を支持していた新潟も含めた奥州諸藩に対し
明治の世になっても 「許すまじ」とばかりに
国道のナンバリングを侮蔑的に割り得てたと聞き及ぶ
それを知ってか知らずか 合流点に記念碑を建立しているのだった
そんな話を私から聞いた妻は 返す言葉を失っていた
今となれば些末な話かもしれないが
東北は 阿弖流為の時代から 「蝦夷は獣」と朝廷軍に蹂躙され尽くし
源頼朝の時代にも 攻め込まれた挙句に 平泉文化は滅び
さらには 豊臣秀吉による奥州仕置きを受け
徳川慶喜公による大政奉還後は
新潟を含む東北は
戊辰戦争後も 長く明治政府から虐げられ続けたのだった
さて この日の夕食は・・・
シャワーを浴びて 少し眠ったとはいえ
私の疲れが半端なくて
蒸し暑さの中で もう歩きたくもなくなり
コンビニのお弁当を買って ホテルの部屋で食べたのだった・・・
次回に続く
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