金沢市への旅1 ~友に会うために~ 追加修正あり
学生時代の大切な大切な友に会うため
石川県金沢市まで 妻とともに5泊6日の旅をしてきた
旅といっても 長くても一週間ほどの小旅行に限られ
施設にお願いしている94歳の義母は
もともと胃腸も丈夫で
今も自分で食事ができていて
もしかすると 100歳を越えるかもと思えるほどだが
気楽に長旅をすることは 控えているのだった
さて 初日である12日は
午前6時30分ごろに自宅を出発
この日は 暴風警報が出されていて
東北道を南下していて
強烈な西風に 車体が安定せず
時には 大きな枝が飛んで来ることもあり
とても緊張を強いられた
常時4WD走行のスバル車を 4台乗り継いできた私だが
これほどまでの経験は初めてのことだった
郡山から磐越道に移ると 防風圏域から外れたのか
嘘のように 風に悩まされない走行となった
新潟市を通過して 長岡市に入り
午後3時近くに
予定していた 河合継之助(つぎのすけ)記念館の駐車場に着いた
駐車場はわずか4台程度しかなく 運良く利用できたのでひと安心
河合は 幕末に活躍した歴史的人物
戊辰戦争において
奥羽越列藩同盟にあった長岡藩の筆頭家老として
新政府軍と共存する道を探り 和平を願って行動したが
聞く耳を持たない新政府軍は
河合が差し出した嘆願書を読むこともなく拒否
やむなく河合は 決戦を決意
最終的に河合は
足に被弾したことが原因で命が尽きた
奥羽越列藩同盟の戦史において 長岡藩の戦いは
会津藩と同様に 歴史に残るものである
館内では 妻も私も会話することも忘れ
目を皿のようにして 資料を見てまわった
小さな巨人の生き様を しっかりと記憶に残すことができた
次は
そこからすぐ近くにある 山本五十六記念館へと移動し
同様に 夢中になって資料を見てまわった
平和であることを希求し続けた 長岡出身のふたりの巨人
時代は大きく違えども 戦争という運命に振り回された
ふたりの生き様を あらためて知ることができた
さて この日の宿は 長岡市のルートインホテル
今回の旅のすべては ビジネスホテルを利用したのだった
初日の走行距離は449km
暴風の東北道で疲れきった私は すぐに寝入ることができた
13日は ホテルを9時ちょっと過ぎに出発した
今日の目的地は 金沢駅西のダイワロイネットホテルで
午後2時あたりには ホテルに着く予定を立てた
およそ160kmの距離を
昼食時間を含めて のんびりと5時間かけて着けばよいのだから
というのも・・・
妻の希望で 北陸道では いくつかのSAに立ち寄る予定なのだった
まあ こんなことがあってもいいよね
金沢市内のICで降りて ガソリンを給油し
ホテルへと向かう
ホテルの立体駐車場に入庫したのが 午後 2時15分ごろで
チェックインして 部屋に入る
想定以上に 部屋が大きく感じた
長岡の部屋は狭かったからなのだろう
少しばかり広くなった部屋に
妻は「広い~」と 声を出した
今日の予定は
鼓門(つづみもん)と駅舎全体を見てまわる予定でった
妻はといえば
駅舎内にある 豊富な店舗を見てまわりたかったのだった
荷物を置き カーテンを開けると
「お~」と声が出てしまった
9階の部屋の窓からは駅舎が見え 鉄道ファンなら喜びそうな塩梅で
このホテルの部屋は 何よりも水回りが独立していているのが良くて
少しお値段の張る この部屋を 3連泊で予約していたのだった
少々贅沢かもしれないけど
旅の思い出の中で 利用した宿の記憶は とても大切なのである
さすがに長岡の部屋は 狭所恐怖症ぎみの私には
しんどかったことは事実
高齢者夫婦(私たち)による高齢者(義母)介護から手が離れ
少しだけ気楽な時間ができたからこそ
私たち夫婦の今を大切にしないでどうするのか・・・
そして
これくらいの贅沢は
ともに70歳にならんとする私たち夫婦には 善なのである
さて 少しの間
ホテルの部屋でゆったりと休んでから 駅舎へと向かった
西口の風景を眺めてから東口に抜けたのだが
鼓門は 生憎の逆光となってしまった
事前に資料を見ていて 分かっているつもりだったが
確かに これまで見たことのないものだったが
写真には撮らないでしまった
駅舎全体が よく練られた設計になっていて
メイン通路を挟んで 北と南の両側に店舗等が入る
いわば十字のように配置されていた
買い物となると 思いのまま自由に歩く妻
それを追う私・・・
いつものことながら 笑えるパターンである
そして
妻の整形外科の担当医師から
足の負担を軽減するため
極力 荷物を持たせないようにという指示があり
いつも私は 荷物持ちなのである
予想外に 妻のこの日の行動は
好条件の駅前のホテルに3泊するのだから
初日のこの日は あくまでも様子見だったようだ
一度 ホテルに戻り
妻は足を休めてから 夕食は何にしようかという相談になったが
結局のことろ
また駅舎に行ってから考えることにし 和食となった
この日の走行距離は 僅か162kmだったものの
私としては 最高のドライブとなっていた・・・
運転手のため 写真は取れなかったが
念願だった 妙高山の山体崩壊の状況を
しっかりと目に焼き付けることができたことと
日本海の上を通過する
北陸道 親不知(おやしらず)海岸高架橋を
とてもきれいな海の色と青空のコントラストを眺めながら
快適に走ることができたのだった
10年ほど前にも 富山~新潟間の北陸道を通過したが
その時は 小雨模様で
北アルプスは 低い雲にしっかりと覆われていたのだった
妻も SAでの買い物を楽しめていたようだった
まだ金沢についていないというのに
(ここからの文章が消えていたので追加した・・・ご容赦願いたい)
どんだけ買い物する気なのか・・・・と
道すがら思っていたのだが
実は 金沢駅での買い物のどちらも
この日は様子見だったようである
妻は金沢を離れる直前と 帰りの北陸道での買い物を考え
どうやら時間をかけて お店を眺めていたらしい・・・苦笑
続きは 次回
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