「ら抜き」言葉に思う

世の中の「ら抜き」言葉に、毎日のように辟易しているのだが、

今日もテレビなどで、多くの日本人が、
それも、兎角「今の若い者は」と言いそうな年配の方々も
平気に「食べれる」と発言している。

言語には、語用論というものが常に付いて回るものだが、
時代の変化と、流行により、多くの言葉が変化していく。
避けて通れないものであり、
この現象は、何も日本語だけの現象ではない。

だから、自分自身にも「まあ、そんなもんでいいんじゃない・・・」と
言い聞かせるようにしているのだが、
「見られる」が「見れる」になってしまっていたり
「起きられる」が「起きれる」に
「寝られる」が「寝れる」に
「来られる」が「来れる」に
「感じられる」が「感じれる」なっているなどなど・・・
あまりにも煩雑に、耳に入るようになってきていることも事実。

現在、テレビでは、字幕修正をすることで、
きちんとした用法で、補足されている。

しかしながら、どうなのだろうか?

正直なところ、見苦しいし、聞き苦しい思いは隠せない。

入ったお店で「ら抜き」言葉が使われると、
臍曲がりな私は、もう二度と入ろうとは思わない。

現職の頃は、言葉にうるさい指導的立場にあった自分だが、
流石に短縮語だけには、抗えない自分がいる。

それらは、あたかも流行語のように、お遊びで用いられていることも多く、
流石に、受け流すしかないと諦めている。

日本語ならではの美しさの本殿とも言える
謙譲語、尊敬語、ていねい語の三つに分類される、敬語も然り。
ら抜き言葉に次いで、大いに気になるところである。

綺麗な敬語を話す日本人には、気品すら感じられる。

もう一度、美しい日本語を見直し、暮らしていくことができるよう、
自らを律していこうと思っている。

そのためには、美しい日本語を使う作家の作品に触れることも大切であって、
そのような作家の作品を見つけ出すこともまた、
読書の楽しみでもあると言えるだろう。

さてと・・・口直しに、あの作品でも読むとするか・・・




コメント

白金の豚 さんのコメント…
あの作品???
気になりますねぇ~(笑
mistyhill さんの投稿…
個人的に一番のおすすめは、円地文子さんの作品です。
PCのない時代に、あれだけ首尾一貫して
全くぶれない作品を書き上げる明晰さは、一読に値します。
然しながら、
淡々とした作品作りのため、読み手にとっては我慢を強いられるという傾向もあります。

私の個人的傾向として、現実感のない作品は好みませんので、
「食卓のない家」とかは、すっと読み進めることができました。

でも、最近は、江戸時代の武家の言葉に興味があり、
情景描写にも優れた藤沢周平さんの作品の方を読むことが多いですね。
藤沢周平さんの作品も、日本語ならではの美しさがあります。

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