7月31日のことを書く
7月30日の朝
カムチャッカ半島で発生した地震のため
日本中が大騒ぎになった
その翌日に しかも津波警報が出ているタイミングで
石川県在住の 学生時代の大切な友が
遠路はるばる 気仙沼を訪れてくれた
その友とは45年ぶりに再会した訳で
幸運な再開だった
幸運と書いたのは
この年齢で お互いに元気に再開できたということに尽きる
大学時代の数ある友の中で 誰よりも会いたかった友である
待ち合わせ場所を指定しておいてたのは私だったが
友は 想定していた時間よりも10分ほど早く着いたのだった
コンビニの駐車場に入り
それと思わしき車を発見した私は
車を停める前に すでに満面の笑顔になっていたことに気が付いた
友の車の隣に 私が車を停めると
友も車から降りてきて
再開の握手と挨拶に
震えるほどの嬉しさに満たされたのだった
ひとしきり挨拶を交わした後
暑かったこともあり 先ずは我が家に案内することにした
私の暮らしぶりを目にしてもらい
ささやかな昼食で接待した後
津波警報の最中での 気仙沼市内の案内をした
当然だが
予定していた海の近くの施設が 臨時休業になっていたり
日常的に使用している道路が 津波対策のため扉が閉じていたり
コンビニまでもが閉まっていたりと
極めて稀なタイミングとなってしまい
申し訳なく思いながらも 気仙沼市の観光ガイドをした訳で・・・・
そんなタイミングでのルート設定をしたのだったが
そのひとつとして
気仙沼大島に渡る橋の上から見える風景・・・・
こんな姿・・・
これはとても哀しい姿だったのだ
平時であれば
たくさんの養殖筏が 航路の両側に整然と並んでいるのだが
その美しさは皆無の状況で
筏の数も大幅に減り
おそらくは 沈んだり 大きく移動してしまったのだろう
しかも
鰹船が行き来する航路も無いほどの状態になっていた
落胆していた私の近くに
知人の水産関連(漁網等の)会社の方が
現状確認のため来ていたことに気が付いた
その方の情報では なんと3tもの重さのアンカーが移動するほどの津波で
昨夜は 川のように 潮が行ったり来たりし
時には大きな渦を巻いていたという・・・
気仙沼市は最大で99cmの津波
「たかが1mに満たない津波」ではない
1mでも その被害は甚大なのだ
素人の私が 記憶していた過去の情報から推測しても
被害総額は2億円は越えるのではないかと思われた
さて そんな最悪のタイミングで
大切な友を連れ回すだけになってしまったのではと不安になった
警報発生中のため
通過できない
施設も閉まっている
主だったお店も閉まっている状況・・・
それでも 45年ぶりの友は
復興状況の現状がよく分かったと 喜んでくれた
震災で 大切な趣味友達を亡くして落胆していた私に
やはり
友のありがたさを あらためて思い出させてくれたのだった
可能な範囲を案内した後 一度自宅に戻って休憩
夕方になり
友が予約していたホテルのチェックインに付き添い
その後は 友との夕食をするため
お勧めの居酒屋を予約していた
驚きの 最上の焼き魚を食べさせたいと思ったからだ
この店は 気仙沼の「福よし」という店で
震災前から私が大好きな店だった
おすすめコースを注文し
次々と出てくる肴に 箸が進む
そして 最後に出てきた焼き魚に
「こんなうまい焼き魚は初めてだ」と
驚くほどの勢いで 夢中になって食べてくれた
これで 昼間の挽回ができたのかなと 勝手ながらに思った
もうすぐ70にならんとする自分に
友は 少し若返ったような そんな時間をくれた
感謝するばかりである
酒と肴を存分に楽しんでくれた友人を ホテルまで送り
再会を誓い
私は 自宅に戻った
翌日となる 8月1日の早朝に
友はホテルを出発し 帰路につくという
もちろん 友は
途中での 様々な楽しみを予定しての帰宅
本当なら もっと話したかった
もっと会っていたかった
ありがとう 大切な友
次は私が 石川県に行くよ
次回は 青森旅の続き
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