2025年5月18日日曜日

北海道旅行9 7泊8日の旅 最終日

北海道旅行記も今回で最後

読んでくださる方には 感謝だが

そろそろ飽きているかと思われ・・・


旅行記も 今回で最後なので

どうぞ 我慢してお付き合い願いたい


コロナ禍や義母の介護のため 実現できなかった北海道旅について

以前の記事で8年と書いたが

過去ブログを確認したら

2016年7月以来の北海道旅だから 

1年多い 9年ものブランクがあったことに気が付いた  


今回の旅は 義母の体調も安定していたこともあり

思い切って北海道を旅したものの 

正直なところ 不安がつき纏っていた・・・


施設から電話が来たらどうするのか・・・

すぐには帰れないからだ


旅行中に 次回となる北海道旅行の素案はできたが 

義母のことを考えると 夢物語になるかもしれない 


さて 今回の旅は

往復のフェリーで2泊 

帯広駅前のリッチモンドホテルの

スイートの名がつく 一番大きな部屋に5連泊し 

天気に応じて 行き先を決めるという 

帯広満喫に特化した旅


そんな贅沢な旅も終わりを迎え

苫小牧港で 太平洋フェリーに乗り込み 

「いしかり」で迎えた 4月29日火曜日の朝のこと


目が覚めたら 「いしかり」は 

なんと気仙沼沖を通過していたことを

TVのインフォで知ったのだが

海霧のため まったく陸地が見えなかった


昨夕からの大きなうねりは だいぶ収まったものの

まだ 横揺れが続いていた


昨晩は 立っていると頭が 大きく8の字を描くような揺れで

夕食後は ベッドに寝ていることしかできなかったのだった 


気仙沼沖を過ぎると 船の舵が少し東に向いた

牡鹿半島を回避するためなのだろう


そのタイミングで 

少しばかり揺れも小さくなったこともあり

朝食にすることにした 


幸い 海霧も消え

陸地が見える席を取ることができた


揺れもあるため 食事量を制限し

早々に 食後のコーヒーを飲みながら

「だいぶ揺れなくなったね」と妻 

「ほら 牡鹿半島が見えるよ」と私が指さすと

進行方向を背にして座った妻が 

うっすらと霧がかかる牡鹿半島を確認しようと

窓ガラスに顔を近づけて 振り返るように覗き込んだ


レストランから部屋に帰る通路では

揺れが さらに小さくなっていることを実感した


着岸までの残り2時間とちょっとの間

妻と あれこれと今回の旅のことを話題にした


牡鹿半島をまわり 仙台湾方向に舵を切る前のことだが

前方には 青空が見え始めていた

波もすっかり落ち着いた


それにしても 雪を纏った早春の十勝連峰は

本当に美しかったことや


そして この旅で 私が嵌まった

ビールじゃなくて スモークチーズ


妻は 行きたかった場所 食べたかったものを

十分に楽しめた旅だったと言ってくれたが


妻は 「十勝のソフトクリームをもっと食べたかった」と

さらには「温かい季節に また十勝に来よう」と私に催促・・・


最後の見学地だった 縄文世界遺産「キウス周堤墓群」は

予定していた4月23日ではなく 28日に変更して良かった


と・・・つくづく思った 

23日が雨だったことで 帰路の28日に変更したことが幸運だった

しかも 雨も降らずで・・・


これで 世界遺産指定の北海道・北東北の縄文遺跡群は 

見学していない遺跡は少なくなり 

残すところ 函館周辺のみとなった


縄文遺跡での学びは まるでジグソーパズルのようで

パーツを組んでいくうちに あれこれと姿が見えてくる
 

発掘がどんどん進み 解明されるものが増え続けるという

そんな リアルタイムな歴史の学びができるなんて・・・
 

実に愉快なことである


15000年もの間 争いの形跡もなく続いたという 

日本ならではの縄文文化の偉大さ


今 世界中に起きている紛争の

利益を貪ることに囚われた一部の指導者たちの 心の貧しさ

  

北東北の代表的な遺跡は ほぼすべて訪れた

しかも 三内丸山遺跡は 

公開された年からなので 軽く数えても7回ほど・・・ 


船は 仙台湾に入り 陸地が見えてきた


仙台市泉区にある仙台大観音が 小さく白く写り込んでいる


「いよいよ 帰ってきたね」と私

「楽しかったね」と妻


仙台港で船を降り 

その後は 三陸自動車道経由で 無事に帰宅した 


ばんえい競馬は 馬インフルエンザのため中止になったけど

十勝の観光地や 美味しいものは 十分に満喫できた


妻は「こんな旅もいいね」と・・・

私も「お天気とホテルに恵まれたね」と・・・


北海旅行記 おわり

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